成人式の日ですね。
と言っても、当事者だったのは、もうそろそろぴー年前の話なのですが。
と言う話しをしたら、「あんたもうすぐぴー路なんだから、あたりまえでしょ」とかか様に手痛いことを言われました。
分かってます。
自分の年から20引くぐらい暗算でしてみせますともさ。
残念ながらというか、ありがたいことにというか、年齢的なことに対してはあまり焦りはない……らしいです。
ぶっちゃけていうと、まったくないわけではないのですよ。
私だってね、そりゃそう言うものにまったく憧れがないわけでもないですし。
基本安定思考、平々凡々がいいですねって人ですから。
ただ回りからは全然焦っているように見えない、らしいです。
確かに、わからなくはないけど。
どうも私の周りがまったりなのもありますし、誰かが居なければ楽しくないとか、将来が不安だとかそういうのがあまりないんですよね。
ひとりなれしすぎているし、一人で居る気楽さと、他人との楽しさ。一人で居る寂しさと、他人といる煩わしさ。
一つのことにはメリットデメリットがあって、どっちも私の中では50:50なんですよね。
どっちを選ぶかは相手に任せるし、時には気分で私が擦り寄る。
おかげで友達からは、「あんたは一人でも平気そうだよね」といわれます。
いや、私だって一人が寂しいときもあるんだぞ、と思わなくはないんだけど。
序にその子からは「そう言うところがずるい」と言われたことあるな。昔だけど。
結局は他人に決定を任せてるってことだから、相手に責任を全部被らせてるも同然。
と言うことらしいです。
まぁそれも一理ありと思います。
うん、私はずるいね。
でも結婚してたって、老後の問題やら相手に先立たれたらとか、親戚づきあいとか、ご近所づきあいとか、さらには子育て云々なんて問題は山盛りあるわけで。
独身であろうと、結婚していようと、問題なんて人間生きてればあるし、他人と比べてそれの大小を測るなんてできるわけないし。
価値観っていう定規も考えという単位も違うのに、どうやっても計れないんですよね。
でも、計ろうとする。
悪いことじゃないとは思うし、それは相手に対して理解したいという努力と関心だしね。
だけど、それで相手を理解しているという気になるのは、それはそれで驕りなのかなぁと思います。
エスパーじゃないんだし、わかるわけないんだよ。
エスパーでも無理だと思うけど。
それでも承知で相手を知りたいって思うことが、私は尊いと思う。
一人一人立ち位置があって、一人一人その人の人生で生きてきて、挫折やら成功やら恐いことや楽しいこと経験してきて。
自分にとっての正しい解答は、他人にとっては間違った解答のときが多々あって。
他人だからどうにもならないときも多いけど、他人だから言って上げられることがある。
まったくの第三者だから言えることもあれば、当事者でなければ見ないこともある。
だからどの意見も間違いであり、正解である。
正解の表裏と間違いの表裏、その両方を知って、そしてそれでもなお知り得ない情報と知識があると承知して、それでも決断すること。
そしてその決断に対して、自分で責任を取るということ。
これが大人、なんだろうな。
子供では出来ないんだ。
子供は庇護される対象だから。
それは子供が頼りないからじゃなくて、責任を取りたくても取れないように大人がした。
でなければ、どうやって守ればいいか知らない大人になるんだよな。
自分のことで頭下げる親や先生や大人を見て、守られることを知っていけばいい。
20歳はその庇護を出ること。
こっからはどうやっても自分で責任とって行かなきゃいけない。
そりゃ最初っからは無理かもだけど、少しずつね。
私は一番最初の会社でそれを痛感したな。
専門学校卒業して、働けるって思って舞い上がってたんだろうなあ。
今思うとすっげぇ恥ずかしいなぁと思うし、正直半年ほど前?に入ってきた営業の子は、その頃の私を彷彿とさせてくれて、たまらない羞恥心に襲われる。
まぁそんなこともあって、数ヶ月で仕事やめて、いろいろ反省して。
それまでもいろいろ失敗もやらかしてきたけど、あんときの挫折が一番きつかったなぁ。
本当にノイローゼ寸前と言うぐらいにまで行ってたし。
その時は、本当に私はまだまだ何も分かってなかったなぁって感じた。
わかっている、つもりだったなぁって。
成人を迎えられた方、おめでとうございます。
これから大変だろうけど、どうか頑張ってください。
大人になるって大変だろうけど、やっぱり楽しいですよ♪
責任取らなきゃいけないじゃなくて、責任取れるようになったんだ!!と思えば楽しいもんですから。
