素直さと損得への無関心が同居しているものを、世間では阿呆と呼ぶ。自分を偽る方法は、処世術と優れた盾となる。しかし、いつの世にも阿呆はいる。苦しみを抱えてなお笑う者。楽な道を他人に譲り、自分は針の筵を選ぶ者だ。
昨今の世の中では、そう言う人間は戦場に多く見ることが出来る。だが銀時が見つけたときは、すでに仏と成り果ている。銀時はそんな阿呆な仏から、着ているものと、金目の物を剥いで命を繋いできたのだ。銀時も他に術があるかも知れないと思ったことはある。だが、そのほかの術をおしえてくれる者がいなかった。なぜなら、銀時の周りには物言わぬ阿呆な仏しかいなかったからだ。
銀時もまた、生きているときに会いたいと思った。金目の物を奪うには、死人でなければいけないと分かっていたが。しかしそれでも知りたかった。
そんな阿呆だけが知っている。その綺麗な目だからこそ知ることが出来る真実を、聞いてみたいと思っていた。
君世の神 参「俺が、もっと早くココを出て行ってれば、こんな喧嘩にもならなかっただろうしな。」
銀時の言葉に、皆が息を呑んだ。その言葉も又、真実に違いなかったからだ。銀時がいなければ、こんな騒動も起こらなかっただろう。しかし今となっては、それは他の子供らを責めるものにしかならないのだ。
別段、善意でもなかった。松陽を慕い、松陽に迷惑をかける銀時を排除しようとした晋助ら。彼らは、松陽を慕うからこそ、松陽の近くにいる銀時に苛立ちを向けた。しかしそれは、新八に固執し、新八を独占したい気持ちで一杯になっている銀時と何一つ変わらなかった。それを思えば、松陽が本当に善意から銀時を保護してくれたことは、分かっていた。
本当はずっと前から分かっていた。しかしそれを認め松陽を慕うことは、出来なかった。松陽に守られ傍に居ることを望めば、新八を一人にしてしまうのではないか。そんなことを思った。
ならば一思いに、ココを出て行くことに戸惑いはなかった。新八はせっかくの縁が切れることを残念がるかも知れないが。
「どこへ行く?」
出て行こうとする銀時に、小太郎が声をかける。小太郎はこの塾内では皆をまとめる晋助の諌め役であり、調整弁のようだった。だからこそ、この中では唯一銀時へに嫌悪がなかった。正直に答える気なったのは、その返礼だ。
「大事に守ってやりたい奴がいてな。
そいつの所に行くわ。
じゃあな。」
そう言って、銀時が駆け出そうとした時だった。後ろから肩を取られ、強く後ろに引かれた勢いで身体が反転する。視界が歪みが止まった瞬間には、目の奥で火花が散った。頬に熱が爆ぜ、痛みがひろがった時、銀時が見たのは、初めて見る笑んでいない松陽の顔だった。
「思い上がるのも大概にするべきだ。」
静かにそう言った松陽の声は、初めて聞いた者であれば、怒りなど感じなかったかもしれない。しかし普段の温和な声を知っている者であれば、その声の冷たさにぞっとする。見下ろされている銀時の背にじわりと汗が滲んだ。
「何のことだよ。」
「断言してもいい。
今の君に守れるものなど、何もありはしない。
それどころか、いずれ君のその思い上がりが、その大事なものを傷つけて壊すことになる。」
松陽の言葉を、銀時は理解できなかった。しかしその言葉はじわじわと銀時の中に染みを作り、新八の顔が過ぎると、怒りに震え、立ち上がった。
「もういっぺん言ってみろ。」
「何度でも言おう。
今の君に守れるものなどない。
このままでは、いずれ君はその大事な者を傷つけて、壊すだけだ。
期待をさせるだけ今よりも残酷なことになるなら、するべきじゃない。」
「いい加減なことをぬかすな!!
何も!!俺たちのことを何もしらねぇ癖に!!」
「確かに、私は君たちのことは何も知らない。
だが見ずとも分かることもある。」
「何がわかる!!」
「少なくとも、君がその者を本当に守りたいと思っていることをだ。」
銀時は怒りを取りこぼした。呆然と松陽を見ると、先ほどまで怒っているのだと思っていたその目は、今では憂いを帯びているように見える。松陽は、銀時の前に膝を折り、視線を合わせた。
「私にも、ここにいる誰にも心を開かなかった君が、守りたいと言える相手だ。
君にとっては、本当に大事に思うものなんだろうな。」
先ほどの怒りも驚きも忘れ、銀時は小さく頷いた。それに松陽は微笑んだ。
「私は、君に剣の使い方を教えると言った。
それは君に、自分の大事な者を守れるようになって欲しかったからだ。
だから誰であれ、君が心から大事と思える者が現れたのなら、それは本当に嬉しく思う。
しかし、方法を間違えてはいけない。」
「ほうほぅ・・・。」
「そうだ。
君のことだ。
きっと大事な者の為なら、自身の身を削ってでもと、思っているだろう。
しかしそれではいけない。
君がそれほど大事に思っているのなら、きっとその者も君を大事に思っているだろう。
だから、もし君傷つけば、君が大事にしたい者も傷つく。
そのことを忘れてはいけない。
そして、君が何かを守りたいと思うなら、君はその者と同じぐらい自分を大事にしなければいけない。」
銀時が思い出したのは、あの日のこと。自分の器に嫉妬し、新八を泣かせて安堵したときのことだ。銀時に嫌われるのでは、と不安に泣きじゃぐっていた新八。もし銀時に何かあったとき、新八をどれほど苦しめることになるか。まして自身の為にであれば、なおのこと。
その優しく柔らかい心は壊れるかもしれない。信じることを捨ててしまうかもしれない。会ったことも覚えてもいない神を信じていた新八が、何も信じられなくなってしまったら。
それを想像するだけで、銀時が自分が壊れるような気がした。
「人一人が一生をかけても、守れるものなんて微々たるものなんだ。
人の命は重い。
だからこそ、一人を守りきることも難しいだろう。
どれだけ刀を持っても、どれだけ強くなっても降りかかってくる闇の大きさは人の身に余る。
まるで大きな幕のように人など簡単に覆ってしまう。
自分に降りかかってきた幕は、自分一人なら切り裂くことも出来るだろう。
でも自分の後ろにいるものまでは手が届かない。
それでも守りたいなら、方法は二つだ。」
二本立てられた指が、銀時の前にかざされる。いつしか銀時は松陽の言葉に聞き入っていた。松陽の言葉を一つも残さずに聞こうと、神経が張っていた。
「一つは、守るその者に、自分の背を守らせること。
背中合わせに立ち、二人で幕を払う。
だがそうは行かない者もいるだろう。
力のない者や守る術を持たない者もいる。
そんな者を守りたいときは如何するか。
それは・・・」
「俺たちを頼れってことだよ、このタコ!!」
ついさっき誰かが言ったお返しとばかりに、飛んできた言葉。いったのはもちろん言われた張本人だ。だが怒っているような言葉とは裏腹に、頬は赤い。それこそ本物のタコのように。
「そうだな。
一人では手に余るものも、コレだけの数がいれば大きな幕も破れるだろう。」
晋助の言葉を桂が拾う。後はもう、皆が口々に勝手を言い出した。やれ、お前の剣では頼りないだとか、格好をつけるなよれ毛だとか、酷いことばかりだ。だがその顔は皆笑っている。銀時に向かって。
「守るということはね、信じるということだ。
自分の背にある大事な者と自分の背を守る友を信じること。
私は君にそれを教えたかった。」
松陽の言葉に、銀時は反応できなかった。ただ呆然とするばかりだ。それは当然の話だった。
生きることは人の死を待つこと。生きたいと思うことは他人の死を望むこと。
庇護してくれる者のいない世の中を生きてきた銀時にとっては、そう言うものだった。でなければ生きていけなかった。何かを持つことさえ許されない。持てばその分、身動きは鈍る。
そんな銀時がひとつだけ背負いたい荷が出来た。ただ生きることを、幸せになることを許してくれた。人の役にも立てない。それどころか死人に触れて、衣や刀を盗み生きてきた自分を、そのふくふくとした真新しい手で触れてくれた。自分の幸福を信じてくれた。
そしてその言葉通り、新八と出会い銀時は多くを知った。新八は、一人きりだった銀時の遊び相手に、信じられる者になった。守りたいと銀時に思わせた。自分以外の誰かの為に生きることを銀時に教えた。それこそが幸せだった。
それがあったからこそ、今の銀時がある。新八が教えてくれたこと。守ろうと思うことで、これほどの友を得た。
まさに縁。
人が生きて、そして人と交わること。
信じ、守ることで、生まれるもの。
「いいのか?俺は・・・」
何を言おうとしたのか、銀時にも分からなかった。酷い言葉を吐いた。松陽の好意を疑ったのは、けして嘘ではなかった。しかし言葉さえない。疑いも試すことも、もう銀時には不要だった。守ることが信じることならば、信じようと思う。受け入れてもらえると。
「せん・・せぃ。」
ボソッと銀時が言った。震えそうになる胸の奥をそのままに。銀時は顔を上げた。
「先生。」
ひゅっと誰もが息を呑んだ。固唾を呑んで、松陽の言葉を待った。松陽は、銀時の言葉をかみ締めるように口元をほころばせる。皆が見守る中、松陽の手が銀時の頭をそっと撫でた。
「今まで、よく一人で頑張ったね。」
その言葉が皮切りだった。今までじっとしていた子供らが、我慢できないとばかりに、一斉に二人の元に駆け寄ってきた。数人が銀時の首に腕を回し抑えたり、バシバシと背中を叩いたりと手荒な歓迎を受け、そんな状態の銀時に我先にと自己紹介をしようとする者もいた。
だが銀時も痛いだの見えないだのと文句を言いながらも、口元は笑っていた。
そして知った。縁の意味を。本来ならばまず出会うことはないだろう、神の器に出会った理由。全てはこの為。
新八との出会いは、松陽やここにいる仲間を信じる為の物だった。
その時だった。
銀時の視界が真っ暗に閉じた。首に腕の感触を感じながら、一瞬で時が止まったかのような感覚に陥った。何と思うまもなく、苦やら闇の中で声を聞いた。
”やっぱり、大丈夫だったでしょ。”
声と共に、視界が戻った。暗転から現実へ戻るが、身体が崩れ落ちる。
「おぃ、銀時!!」
突然崩れ落ちた銀時。慌てた子供が支えながら、銀時を座らせる。すぐに松陽が銀時の様子を見るが、視線が定まっていないことは、誰の目にも明らかだった。様子を察した松陽は、子供の一人に医者を呼ぶように言う。
「違う!!そんなんじゃない!!」
叫ぶような銀時の言葉に、振り返る。荒い呼吸を繰り返しながらも、銀時は何とか自力で身体を支えた。何とか立ち上がろうと、足を踏ん張る。しかし踏ん張ろうとすればするほど、全身が痛む。血管を這う血が膨れ上がったように感じ、目を開けることさえ銀時を苦しめる。
「どうした、銀時。」
「わりぃ先生。
今はいえねぇ。」
説明を求める気持ちは分かっているが、今はそれをしている暇はなかった。時間は一刻を争うことを銀時は肌で感じている。
あの瞬間。暗転した視界の中で聞いたのは、間違いなく新八の声だった。そして今まで繋がっていた縁が切れたことを、はっきりと感じたのだ。身体の痛みはその証拠だ。
「俺、行くわ。
アイツが、呼んでる。
みんなはココに居てくれ。」
「手助けは、させてくれないのかい?」
松陽の声は、けして責めているわけではない様子だった。銀時が守ることの意味を理解して、その上での決断なことを分かっていたからだ。
「わりぃ。
たださ、アイツめっちゃ恐がりで泣き虫なんだよ。
こんな大勢で行ったら恐がって、出てきてくれそうもねぇし。
その代わり、絶対、帰ってくるって約束する。」
もうココは、銀時にとって家だった。仲間と師がいる銀時が初めて得た、新八がくれた大切な居場所だった。
「行きなさい。
気をつけて。」
時間がないことは分かっている。それでも銀時は諦めるわけにはいかなかった。新八にもう一度会わなくてはいけない。会って伝えなくてはいけない。
新八に出会えたことが、どれほど幸せなことだったかを。
銀時は駆け出した。

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