3 嘘とやさしさは切り離せないものですかテーブルの上。目の前に置かれた白い紙袋をどうしたものかと迷った。その紙袋の向こう側では、一燈さんが、しかめっ面でお茶を啜っている。おそらく機嫌が悪いというわけではないと思う。一燈さんはいつもしかめっ面だ。もしかしたら少しぐらいは、機嫌が悪いかもしれないけど。それこそいつものことだ。
黒牡山に来て、一ヶ月が過ぎた。田舎だとかいう次元を超えて、人がまったく居ない山寺に篭っていると、時間の経過に疎くなりそうだ。
ただ外の景色は、少しづつ変り始めている。そろそろ夏が終わろうとしていて、この山では夜は肌寒いぐらいには季節が移ろいだ。そんな頃に一燈さんがひょっこりと顔を出してきた。紙袋一つ持って。偶々とか気紛れで来るには不便すぎる、こんな山奥に来る程の用事なのだろうか。
「あの・・・一燈さん?
今日はどうしたんですか?」
普通の疑問だった。気を悪くする物は何もなかったはずなのに、理不尽なほどギロリと睨まれた。どうやら機嫌が悪いのは間違いない様子だ。いつも機嫌が悪いから余り区別が付かなかったけど。八つ当たりをするほど子供っぽい人ではないと思うから、余計に性質が悪い。
「とりあえず、それを開けろ。
話はそれからだ。
って言うか、見りゃ解る。
言わすな。」
「はぁ。」
何をそんなに怒っているのか。怒るほどの物なのか。仕方なく腰を上げて、紙袋の中を覗き込むと、そこには綺麗なフルーツの描かれた封筒が見えた。書かれたあて先は”志村へ”と可愛らしい文字。
それだけでもう誰が書いたものか解る。そんな風に僕を呼ぶのは彼女だけ。ミーコさんだけだ。そして、その手紙の下から香ってくる甘い匂いに全てを察する。あぁコレは一燈さんの機嫌を悪くするはずだと思う。
なのに、思わず頬が緩む。胸の奥がくすぐったくて堪らない。それが申し訳なくてチラリと一燈さんを見ると、思ったとおり。さっきより眉間の皺がくっきりとしている。苦笑いに逃げたくなる。
「ふざけんなあのヘンタイ女。
ちょっと修行の様子やら、最近のこっちの様子を伝えに行くっていったら、コレだ。
人を宅急便扱いしやがって、くそが!!」
「すみません。
ミーコさんも悪気は無いんですよ・・・多分。」
「ねぇ訳ねぇだろ。
馬鹿かお前!!
しかも持って行け、落とすな、揺らすな、形がどうだとか文句言いやがって!!」
「すみません。
僕からも、ちゃんと言っておきますから・・・。」
「お前が言ったぐらいで、アレが直るか。
くっそ胸糞わりぃ。」
ぶつぶつと文句を言う一燈さんに、僕は言葉を返せず、苦笑いでやっぱり逃げる。手紙と一緒にその下にあった化粧箱を取り出した。
守護家当主の中でも、一燈さんは、一番守護家としての役割を重んじている。それだけにこういう私事には、拒否反応を見せてくる。まぁ僕もミーコさんと会うまでは、そういうことには興味も無かったけれど。人は変るものだとつくづく思う。一燈さんもいつかこんな風に誰かを想う日が来るかもしれない。だって、蓋を開けると、やっぱりそこにはいくつかのケーキが座っていて。綺麗に形も崩れていないから。あの険しい山道を来て、これほど形を保っているのは、奇跡に近いと想う。
「ありがとうございます。」
「にやけるな。
気色悪い。」
お礼を言うなと言うほうが無理なんだけど。とりあえずケーキは、また後で食べることにする。意を汲んだ式神が化粧箱を持っていった。出て行ったのを確認して、残ったのは一通の手紙。早く読みたいなと想う気持ちが伝わったのかもしれない。それとも表情に出ていたのか。
「落ちつかねぇから、とっとと読め。
こっちの話は急ぎじゃねぇから。」
「はい。」
現金過ぎる自分に困りながらも、いそいそと便箋を開ける。中に入っていたのは、封筒と揃いのフルーツのイラストの入った可愛らしい数枚の便箋。女性らしい柔らかい筆跡で綴られている。その一字一字に目を通す。
内容は、こちらの様子を伺ってくるものから始まっていた。彼女にとって、僕はそれほど危なっかしいように見えているのか。そこから寺の者たちのことが書かれていて、我が家の様子が見える。ミーコさんは、毎日のように寺にいるらしい。みちるさんとも洋服を見に行って、店員に褒められたら水柱でマンホールが吹き飛んだと書かれていた。相変わらずだ。とにかく書かれているのは、平和で皆元気で暮らしているということ。ミーコさんも元気だということにほっとした。頑張れとの励ましに、心強くなる。気持ちが奮い立つ。
こちらに来て一月だ。まだ当分帰れそうに無い。正直家の様子が気になっていた。今頃家の皆はどうしているのかと最近は毎日のように思う。確かに馴染んだ家に戻りたい気持ちになるだろうと修行前から覚悟していた。修行の辛さは、当主になったときにいやと言うほど味わったから。だから、毎日それなりに平穏だった日々が恋しくなるだろうと想っていた。だがそれは予想以上に大きかった。
家が恋しい。いや正直に言えば、ミーコさんが恋しいと思った。会いたい、声がききたい。あの暖かい虹彩を見たい。出会うまでの十数年が信じられない。あんなに近くに暮らしていながら、知らずにいられた自分の無神経さを呪いたいぐらいだ。たった一月で餓えるほど彼女が足りない。
でも、それが少し和らいだ。頑張ろう。寂しいだとか恋しいだとか。そんな気持ちでいるのは、応援してくれているミーコさんに申し訳ない。
「なんて書かれてたんだ?」
「えっ・・・あぁ。
屋敷の皆も、自分も元気に暮らしているから心配するなと。
ミーコさんも寺の様子を気にかけてくれているので、安心しました。」
嘘は言っていない。なのに、一燈さんは視線を逸らして小さく息を吐いた。まるで何かを見下すようなそれを、不思議に思う。頬杖を付いて、僕を見る目は、まるで悪戯を明かす子供のような目だった。胸元から煙草を取り出して、口にくわえる。指を弾くと、煙が揺らいだ。
「信じんなよ、そんなの。」
「信じるなって?」
吐き出された煙の匂いが、部屋を包む。
手紙に書かれているのが嘘だというのだろうか。でも寺に何かあったなら、一燈さんは真っ先に言いそうなものだ。何よりケーキなんて作っている場合じゃない。
「そのまんまだよ。
元気だ?
まぁ確かに怪我やら病気ってわけじゃないがな。
寺の奴らも元気だな。
ただ、お前がいなくて一番しょげてるのは、あのヘンタイ自身だ。」
「ミーコさんが?」
「あぁ。」
灰を灰皿に落として咥えなおす。匂いを堪能すると、意地悪く一燈さんが笑った。
「ここからはハクタクから聞いた話だからな。」
「はい。」
「夕方早めに帰ってきては、お前の寺に入り浸っているそうだ。
何するって言うわけでもなく、たまに居間にあるお前の貯め撮りしてたビデオ見たりとか。
あと、ハクタクから妖魔の歴史やらなんやら教えてもらったりとか。
みちるもえらく心配してたからなぁ。
まぁとにかく・・・・ってお前その顔なんとかなんねぇのか。」
「すっ・・・すみません。」
なんとかと言われて何とかできるなら、とっくにしているはずだ。顔が、熱い。夏ももう終わるというのに。とにかく熱くて堪らない。
あの溌剌としていて、行動的なミーコさんが、僕の家でじっと待っていてくれている。きっとしたいと思ったことは、そのまま行動に移すだろうミーコさんが。寺で過ごしているということは待ってくれているということだ。それでもここに来ないというのは、来るべきではないと我慢してくれているということで。何よりそんなことは微塵にも手紙に書いていなかった。それは僕を気遣ってくれているという風にとってもいいのかもしれない。
妖魔について知ろうとしてくれているのは、これからも(少なくとももうしばらくは)この彼女から見れば異様といっていいような世界にいてくれるつもりで。
僕の貯めていたビデオを見てくれているのは、どう解釈すればいいんだろう。期待や嬉しさにちゃんとした判断が出来ている自信がない。
でもとにかく、彼女のいじらしい気持ちを見てしまった気がして、なおさら恋しくなった。会いたい。会いたい、会いたい。早く帰りたい。待ってくれている。その日を心待ちにしてくれているのだと知れば、なおさら早く会いたい。
でも、今はダメだ。まだ帰るわけにはいかない。まだカトブレパスは出てこれない。こんな状態で帰れば、きっとミーコさんは怒るに決まっている。それこそ嫌われて終りだ。だからまだ我慢だ。あぁでも、少しだけ。せめてミーコさんのくれた気持ちに応えたい。
「あの・・・一燈さん。
お願いが・・・・。」
「手紙は読んだな。
なら、そっちの修行の様子を話せ。
長老達に報告しておくから。」
こめかみ辺りに浮いている血管が、はっきりと見える。でも、今は彼に縋るしかない。この山には郵便屋さんは来ないのだから。
「あの、出来れば今晩泊まって行って戴ければ・・・。」
「お前も居ない状態で、結界の近くを離れるのは・・・。」
「えぇそれは解るんですけど。
あの、今晩だけでも・・・。
もうそろそろ夕方に。」
「あと1時間ぐらいは問題ない。
日が暮れるまでに山を降りればいいだけだしな。」
「でも・・・できれば返事を届けてもらいたいなぁって・・・。」
あぁ、はっきりと空気が変った。今にも燃え出しそうな一燈さんの目つきが恐い。彼と対峙したときの妖魔の気持ちが少しわかる。いきなりテーブルから乗り出して、胸倉をつかまれては前へ後ろへ、右へ左へとゆすられた。
「お前もか!!
お前らそろいも揃って、俺を宅配扱いか!!!
舐めんのも大概にしろ!!」
「すみません!!
すみません!!」
それでもこちらも折れるわけにも行かなくて、何とか話しているうちに時間が過ぎる。結局その後、一燈さんから説教を受けていたら、いつの間にか日は暮れていて、一燈さんは一泊が決定していた。同時になし崩しに手紙を渡してもらえることも決まってしまった。
口は悪いけれど、人のいい一燈さんに申し訳なく思いながらも、僕は、いそいそと手紙をしたためて夜は更けていった。
END

PR