23 騙す普段どれほど温厚な顔を見せていようと、あやつの本質は、妖怪だった。忘れていたわけではないが、久方ぶりにそれを実感したような気がした。思い返しても背筋の辺りがひんやりとした空気でなでられるかのようだ。
しかし、正直今でも驚いている。氷のような目をした極悪盗賊。あの蔵馬が、一人にあれほどの執着を見せるとは、思いもよらんかった。
扉がコンコンとなる。誰だと想いながらも、出ないわけには行かない。明日の決勝戦のことで、幽助が来たのかもしれん。それとも霊界の使いの者か。
まさか一オーナーとしての参加のつもりが、お飾りとは言えど、参戦と言う形になったのだ。霊界に帰れば、口うるさい上層部に何を言われることか。またくだらない嫌味を言うに決まっている。面倒だが、今はそれをどうこう言える状況ではない。
「ぼたん、そこに居れよ。
タオルは、好きに使えばいい。」
「はぃ。」
まだ少しぐずっているぼたんを、洗面台に放って、わしは扉へ向う。もう一度ノックの音に急かされる。念のために覗き窓から見れば、そこに居たのは、意外な男だった。直ぐにチェーンロックを外し、扉を開ける。
「蔵馬、どうした。
わしの部屋に来るなど珍しいな。」
「えぇちょっと。
ぼたんを探していまして。
居るんでしょう、中に。」
「えっ・・・いやぁ・・・。」
意外な問いかけに、さすがに驚いて、咄嗟に返答に窮する。とりあえず、中を探られるのは不味いと思い、わし自身も部屋を出て扉を半開きのまま隠す。しかし何故蔵馬ががぼたんを探すのか。珍しいこともあるものだと思った。するとわしの心でも読んでいたかのように、蔵馬が答える。
「今、幽助たちの部屋で、みんなで飲んでいるんです。
それで、ぼたんが居ないので、俺が代表で探しに来たんですよ。」
「そうか。
しかし、お前ら明日試合なのだぞ。
大丈夫か?」
「心配要りませんよ。
ちゃんと早めに切り上げますし、幽助も桑原君もお酒はそれ程弱くないですし。
少し騒いでお酒でも呑んだほうが、幽助たちも緊張もせずに済むでしょうしね。」
確かに幽助や桑原たちのことを思えば、そのほうがいいのかもしれない。特に今の幽助にはそうやって騒いで皆と過ごしているほうが、心が落ち着くかもしれん。下手に一人で居れば、幻海のことを思い出さずにはいられないだろう。
それに皆の前では虚勢も張れる。強がりと言えばそれまでだが、それが必要なこともある。悲しみは、涙を誘い、涙は悲しみを誘う。今、幽助は立ち止まるわけには行かないのだ。少なくとも明日の勝負が決するまでは。幻海もきっとそれを望んでいる。
そして、未だに泣きべそをかいているわしの部下も、そうなのかもしれん。
「そうか。
まぁお主がそこまで言うのなら、心配もなかろう。
早めに休むようにな。」
「えぇ。
それで、ぼたんは居るんですよね。」
「あ・・・あぁ・・・居るのは居るのだが・・・・。」
もはや蔵馬は、居ることを確信しているようだ。
さて、どう言ったものかと迷う。部屋にはいるが、泣きべそをかいているぼたんをあわせるわけにもいかないし。出来れば幻海の死は、決勝戦の後まで、伏せておきたい。口には出さないが、どうやらそれが幽助の意向なのだ。それは叶えてやらねばならない。
後から行く旨を伝えておくと言うか。では何故今これないのかと言われるのも。別段疚しいことをしていたわけではないのだが、なにやらわしが手癖の悪い男のような気分になってきた。
「あぁ、幻海師範もそこに居られるんですか?」
「へっ?」
いきなり出てきた名前に、さすがにわしも声に驚きを隠せなかった。
「幻海師範、ぼたんから心霊医療の治療を受けていたんじゃないんですか。
幽助たちの部屋は今騒がしいですし、女性陣の部屋っていうわけにはいかないですからね。」
「あぁ実は、幽助と行った修行で奥義を渡して、霊力が著しく減っておっただろう。
それにあの連戦もあってな。
まぁそれでぼたんの治療を受けたのじゃが、調子が思わしくなくてな。
どうも明日の試合は無理かもしれんのじゃ。」
「そうですか。」
「既に幽助には伝えておいたし、補欠の6人目は既に手を打ってある。
その辺は心配せずとも良い。
お前らに余り心配をかけても・・・と思ってどう伝えたもんかとも思っておったんじゃ。」
思わず肩の力が抜けた。我ながらよくもまぁ、これほどぺらぺらと嘘が吐けるものだと呆れる。幻海の遺体は既に霊界に送られて、冷凍保存されているというのに。だが今は言うわけにはいかない。申し訳なく思ったが、この非常時には、選べるほどの余地はなかった。
だが、わしは解っていなかったのだ。こやつは、わし以上のペテン師なのだと。
「では、・・・そういうことにしておきましょう。」
わしが気付くには、その一言で充分だった。
目を見開くわしに、この男は、静かな笑みを浮かべた。
知っていたのか、幻海の死を。気付いていながらそれをあえて口に出さないのは、おそらく幽助への気遣い。そこまで察していたのだ。
何で気付いたのか。霊気の衝突か、それとも。思えば蔵馬がココにぼたんが居ると確信しているのは、先ほどのわしらのやり取りを見ていたからなのかもしれん。それならば納得がいく話だ。
だが、せっかくの蔵馬の気遣いだ。無にするわけにもいかない。
「あぁ、頼む。」
そう言うしかなかった。おそらく蔵馬とて聞きたいことは色々とあるだろうが、今は言うべきではない。そういうときだ。
強くなくてはならない。たとえそれがハリボテであっても、強くなくては守れないものがある。失い悔やんでからでは、なにもかもが遅い。それは今、幽助が誰よりもわかっていることなのだ。そのために必要なのは真実でも正しさでもない。
だからこそ、今のぼたんを見せるわけにはいかない。
「では、ぼたんは、後でそっちに・・・・」
「待ちますよ。」
「いや・・・しかし・・・・」
「ぼたんの疲れが治まるまで、ここで待ちます。」
蔵馬の言葉に、わしは驚き言葉を詰らせた。全てを察しており、おそらく今のぼたんの状態もわかっているはずだ。それでもなお、そう言った。けして譲る様子もなく、わしを困らせるのはこの男には珍しいことだ。何故にと思う。
わしはその時、先の言葉に含まれていたものを、一つ見落としていたことに漸く気付いた。何故蔵馬はココに来た。ココにぼたんが居ることも状態を知っていて、何故ココに来たのか。何事も卆なくこなし、気を回すことに長けた男が、泣いている女を引きずり出すような真似をするのか。こやつならば、何とでも言い訳を作って、宴席の戻る事だって簡単にこなすはずだ。
その時わしは、普段と何も変わりない蔵馬の紺碧の虹彩に、切っ先のような鋭さを見た。
「10分でも、1時間でも。
ココで待ちます。」
自分より低いはずの視線に、咽喉元を切られそうな気がした。男の悋気ほど性質の悪いものは無いと、まさかこの男で思い知るとは。
つまりココに居させたくないと言うことか。
「・・・・20分たったら、もう一度チャイムを鳴らせ。
どうにかさせておく。」
「解りました。」
仲間であり、管理下に置いている妖怪をこれほど恐ろしいと思うことはない。御することができるのか、正直いささか自信がなくなった。背を向けることもできず、わしはそのまま部屋へと戻り、思わず重いため息を溢した。否といえるほど、わしも命知らずではない。鉄の扉が、まるで障子のような薄さに思えた。蔵馬のあの切っ先のような視線が、扉の後ろから突き刺さりそうな気がして、わしは洗面台へとすばやく戻った。
何が恐ろしいか。あの男に、自覚がなかったことがだ。蔵馬の狡猾さは、わしも良く良く知っている。魔界での所業もいくつかは聞いているし、三大秘宝の盗難では、あやつの作戦にわしも苦湯を飲まされたのだ。
そんな男が、自覚をすれば、おそらく悋気など幾らでも隠してみせるだろう。自分の不利になるものを見せるなんて、愚かな真似は間違ってもしない。おそらく自覚はないのだろう。だからこそわしに見せてしまったのだ。らしくもない失態を。もし自覚があったとしても、その悋気を抑えることもままならないほどの激しさが、あの男の胸にあるということか。
ぼたんを間違いなく受け渡し、顔を見れば、あの時の鋭さが嘘のようだった。まるで狐につままれたような気がする。だが、化かされたわけではない。
あの目こそが、きっと狐の本質そのものなのだろう。
END

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