一体いつから繋がっていたんだろう。初めて出会ったときか。それとも普段の何気ない瞬間だったのかもしれない。今となっては、その瞬間を覚えてはいない。どれが決定的な何かだったのかはわからない。思い出そうとしても、それは曖昧で、言葉にしようとすればするほど、ぼやけて霞がかってわからなくなる。
本当にいつの間にか、俺はその糸を繋いでいた。繋がっていたことにさえ、あの時まで、俺は知りもしなかった。
19 抱き合うぼたんを探して歩いていたというのに、気配を断って近寄った。ホテルの廊下。曲がった直ぐ先から聞こえてくる。気付かれないようにと想ったのは、その声が涙が混じっていたからだ。そして、もう一人、人の気配を感じたから。
「まったく・・・お前がそんなことでは、幻海が浮かばれんだろう。」
「だって・・・っひっく・・だぁってぇえ・・・・。
コエンマ様・・・、師範がぁ・・・ぁんな・・・。」
その言葉に、俺は全てを察した。昨日消えた幻海師範の霊気は、やはりそういうことだったのだろう。
それ程親しい付き合いをしてきたわけではない。面識は幽助の師匠であるということだけだったし、覆面としては会話らしい会話もしていない。それでも幽助や桑原君、ぼたんが慕う様子を見てきたし、幽助がどれほど口で悪くは言っていても、師範を信頼し心のどこかで頼っていたのは、見ていれば直ぐにわかった。幽助も桑原君もこの世界に身を投じて、それ程長くはない。足りない知識と経験を、彼女が埋めてくれていた。
何より、霊光波動拳の幻海の名を知らない妖怪は、居ないといっていい。おそらく今大会の中で見せた技など、彼女の多くあるものの中のほんの一端に過ぎない。人間でありながら、それ程の力を手に入れた彼女に対して尊敬の念がある。どれほどの修行を積んできたのか。飛影でさえ、彼女のことは認めていただろう。
幻海師範を失ったことは、チームの損失としても、とても大きいのだ。
「いい加減泣きやまんか。
まったく、お前のことだ。
どうせ幻海の前でもピーピー泣いたのだろう。」
「だって・・・師範が・・・。」
その姿が容易に想い浮かぶ。知った相手の魂を運ぶのだ。それ程辛い仕事はないだろう。霊界に行き、そしてその後、天国か地獄かへの選択が迫られる。そして、忘却の河を渡って、輪廻転生に加わり、新しい命としてこの世界に戻ってくる。まったく別の者になるのだ。
別れを苦しまないわけがない。情に厚いぼたんなら、きっと師範に取りすがって泣いただろう。
「そんなお前に、幻海はどう言った。
辛い苦しいとでも言ったのか?」
「・・・みっとも無いから・・・泣くなって。
もうずっと前から・・・解ってたから、これで・・・・いいって怒って。
でも!!!でもこんな!!!」
壁を背に、二人の様子を伺うと、納得できず言い縋るぼたんが、ますます嗚咽を高くしていく。幻海師範の嗜める声が、俺の耳にも聞こえてきそうだった。さっぱりとした気性であり、長い人生をこの世界で生きてきた人だ。どんな最期だったにせよ、納得して逝ったのだろう。少なくともそれを泣かれて、喜ぶ人ではない。
だがぼたんも、それをすぐに納得できる人ではない。
昔は、俺も飛影も敵だった。少しでも関係が違えば、幽助と闘っていただろう。今回の武術大会で、敵として相対していた可能性はけして低くはないのだ。なのに今では、すっかり俺達を仲間だと信頼してくれている。狡猾な俺はまだしも、普段悪ぶっている飛影のことでさえ。
怪我をすれば自分のことのように悲しむし、時には自分の身を省みないことさえある。よくも悪くも酷く人間に近い。彼女は、別れ、死と言うものを、人のように恐れるのだ。死を恐れる死神。それは俺に少し近しいかもしれない。妖怪でありながら、人のように人を愛する俺と。
「まったく、不出来な部下を持つと、苦労をするよ。」
その時、目の前が、一瞬真っ白になった。自分の目が何を見ているのかが、上手く認識できない。何故出来ないのかさえ、理解できなかった。
「コエンマ様・・・・。」
「とっとと泣ききってしまえ。
そんな顔では、みんなの前に行けんだろうが。」
ぼたんの手が、コエンマの背中に回り、ぎゅっとしがみつく。コエンマの手は、ぽんぽんと優しくぼたんの背を撫でていた。まるで幼子をあやすような仕草だ。
コエンマに特別な想いは、感じなかった。本当にただ慰めているというだけの仕草だ。あるとすれば、言葉通りの諦めがあるくらいだろう。困った部下に対してのそれは、とてもコエンマらしく良き上司の姿だ。霊界案内人として、死を受け入れられないぼたんを嗜め、認めることはない。だが、それでも手を差し伸べる。厳しさと寛容を持ち合わせているのは、人の上に立つ者としての大きな資質でもある。普段はふざけておどけた姿も見せるコエンマだが、仕事に関しては、有能で頭の切れる統治者だ。ぼたんにとっては、信頼に足る上司だろう。まして事情も知っているのだ。頼るのはおかしくない。
おかしいのは、俺の思考だ。
これではまるで言い訳を考えているようだ。そして言い訳と同時に、俺は自分の中に強い虚無感が湧き上がっていくのを感じた。繋がっていたものが、何かの拍子にぷっつりと切れてしまったような頼りなさ。繋がっていたのは、落ちた糸は一体なんという名だったのか。俺は初めて、その糸に気付いたのだ。
不意に笑いたくなった。
愚かすぎる自分を、おもいっきり笑ってやりたくなった。
強く唇を噛んで、それを堪える。
それからどれぐらい、そうしていただろう。長いのか短いのか解らない。漸く落ち着いたのか、少しぼたんの嗚咽がおさまってきた頃だった。
「酷い顔じゃな。
とりあえずわしの部屋に行くぞ。
顔ぐらい洗わせてやる。」
「はい。」
そうして、コエンマはぼたんの肩をソッと促した。それに頼るようにぼたんが、少しずつ歩き出す。廊下の端に消えた二人を見送ってから、俺はゆっくりと気配を解放した。
コエンマはぼたんを慰めていただけだ。悲しみに暮れる部下を気遣うのは、別段おかしいことではない。そんなことは解っている。解っているのだ。頭の中では理解しているのに、思考の奥がジリジリと焼けていく。苛立ちが高まって指先が震えた。
「はっ・・・ははははぁ・・・。」
やっと零れた笑いは、我ながら、酷く自嘲めいた笑いだと思った。左手で顔を覆う。何から目をそらそうとしているのかは、自分でも解らなかった。解りたくも無い。知ることは、少し恐い。自分の中の価値観が、一気に壊れてしまう。そんな可能性さえ孕んだそれは、今知るには重すぎる。
仲間だからだ。だから大切にしている。傍に居ることも多い。信頼もされているだろう。そう想っていた。だから、だからきっと他の誰かを頼られたことに嫉妬している。それだけだ。ただの子供のような所有欲にも似た幼稚な感情だ。勝手な思い込みだ。
それでいい。それ以上知ろうとすることは、大きな変化の嵐に自ら身を投げ出すことだ。
右手がいつの間にか握りこぶしを作っていた。熱く痛む手が唯一の正気。
変り始めているそれは、今はまだ予感のままで。
END

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