09 庇う目を使い過ぎた。酷使した視神経が洩らす不平が聞こえてきそうだ。騙し騙しやってきたのも、ここら辺が限界なのかもしれない。時計を見れば既に前に休憩を取ってから5時間が経過していた。疲れているはずだ。それもここ1年が、休みすらなく働きづめだ。こんな調子では、肉体が根を上げるのも無理は無かった。
しかしもう1年になるのかと、改めて思うと早いと感じた。幽助が魔界へ行ってからだから、ソレぐらいだろう。今頃魔界でどうしているのか。仙水の一件は、幽助、蔵馬、飛影、そしてわしにも大きな転機をもたらした。あの一件がなければ、今これほど残業続きになることも無かっただろう。だがソレを口にすることは出来なかった。一言わしが漏らすだけで、この霊界の勢力分布に大きな一石を投じることになる。
だがそれは建前なのかもしれないとも思う。結果論とはいえ、幽助たちをこの魔界の三大闘争に巻き込む切欠を作ったにも関わらず、大した手助け一つしてやることが出来ない。そんなわしがこんな作業に愚痴など一言だって漏らせるわけがない。わしに今できるのは、こうしたデスクワークしかないのだ。そしていずれ訪れるであろう魔界での戦いが起こったとき、最善の手を打てるように、体制を整えるしかないのだ。
「ぼたんで~す。
ただいま戻りました。」
思考の途中で、扉の向こうから能天気な声が聞こえてきた。そう、コイツの処遇も今のわしに出来る、小さな手助けの一つだった。
「入れ。」
入室の許可を与えると、大きな扉が自動で開き、悩み事などないと言うような明るい顔が見えた。まぁ、沈んだ顔をされるのも景気が悪いと思うのだから、十中八九、八つ当たりと言う奴だろう。それに機嫌の良さそうな顔を見れば、人間界に異常は無かったのだろうと解る。
「コエンマ様、ただいま戻りました。」
「うん、ご苦労。
時間はまだあるか。」
「はい。
日勤なんで、まだ2時間ぐらいは空いてますけど。」
「そうか。
なら、この書類をコピーをとって、資料庫へ返却しておいてくれ。」
わしは、デスクの上にあるうず高くつまれた資料の束を指し示した。途端にぼたんの表情が曇りだす。
「こ・・・こんなにあるんですか?
2時間じゃ終わらないんですけど。」
「霊界では残業代はきちんと出しているぞ。
なんならわしの足元も、もう2山程あるんだが、それも持っていくか。」
ぶんぶんと首が折れそうなほど、振ってきた。せっかく片付けてしまおうと思っていたのだが、仕方がないか。あとでジョルジュか菖蒲でも呼ぶか。
「久々の人間界は、どうだった。」
「えぇ、特に問題なくですよ。
平和そのもの。
春なんで風も気持ちよくて小春日和って感じでした。」
「・・・そうか。」
正直、片付ける資料をもう一山増やしてやろうかという気もしたが、やめておいた。楽しんでやっていた本来の霊界案内人という仕事を外し、自分の側近として内勤につけている。急な休みになった霊界案内人の代理。人間界への仕事は久しぶりならば、喜ぶのも無理ないことだ。
”手を貸して欲しい”蔵馬がそういってきたのも、もう1年ほど前の話だった。それは猫の手も借りたいほど忙しくなったわしにとっては、けして悪い話ではなかった。人事異動の名目は新しい霊界案内人の育成と周りには公表しているが、実情は違う。それは、ぼたんさえも知らないことだった。
黄泉からの魔界への招待を受けた蔵馬は、ぼたんを遠ざける為に、霊界案内人としての仕事、取り分け自分との繋がりを悟られたくないと告げてきた。他の雷禅、躯と違い、黄泉はその戦闘力だけではなく知略謀略、そしてなによりその野心の危険性はわしも話に聞いていた。2大妖怪と呼ばれた雷禅、躯より遅れてのし上がった男を、ただ強いだけの妖怪だとは思っていない。
”きっと自分の身の回りの人間を脅迫材料に使ってくる。そのとき最も危険なのは、ぼたんだ。”と蔵馬は言った。そのときの表情は、今でも覚えている。冷静でありながら、今までに見たこともないほど、暗澹とした目をしていた。蔵馬の胸の内はわしも既に知っていた。惚れた女を遠ざけねばならない気持ちは、同じ男として察して余りある。
「コエンマ様、お茶入れました。」
「あぁ。」
ぼたんから湯呑みを受け取る。掌に伝わっていく温度を感じてから、口をつける。菖蒲が入れるよりは少し渋めと言った所だが、まぁ不味くは無かった。未だに緊張している目を強く閉じて、息を吐いた。
蔵馬からの話に、わしは直ぐにぼたんを霊界案内人から、一時的な人事異動としてわしの臨時の側近とした。霊界内部での内勤とし、わしの通常業務外の仕事を手伝わせた。元々仙水の一件で犯罪件数の偽造を疑っていたわしは、信頼できる側近が菖蒲以外にも必要としていた。誰にでも手伝える仕事ではなく、口外の心配もなく妖怪に対する偏見もない人物と言うのは、霊界でもそれほど多くない。だがその点でぼたんは、幽助の助手として多くの妖怪と接してきたこともあり、妖怪に対する偏見もない。少々間の抜けたところを除けば、正にうってつけの人物だった。こうしてぼたんは、わしの側近として霊界での内勤に変った。
「お疲れですねぇ、コエンマ様。」
「まぁな。
致し方あるまい。」
気付いてしまった以上、捨て置けるような疑惑ではなかった。犯罪件数の水増しの歴史はかなり古い。遡るほどにこの霊界の派閥争いと言うものが見えてくる。綺麗なだけの組織など存在はしないと頭では解っては居るが、あまりにも血塗られた記録か。しかし、その裏には魔界に張られた亜空間結界も絡んでいるとは思わなかった。
チラリとぼたんを見ると、どうやって資料を運ぼうか思案している。なんと言う巡り会わせかと思うと、苛立たしく、そしてやるせない気分だった。
そのとき、ノックの音が響いた。気質の違いとでも言うのだろう。ノックの音一つでも、人のよって違いはある。そしてこの音は、わしが嫌っている奴の音だ。
「鐘馗ですが、少しばかりお時間をよろしいか?」
部屋の中に、一瞬緊張が走った。ぼたんがこちらを視線で伺う。わしは印を組み術を発動させると、机の上にあった書類が視界から消えた。別段片付いたわけではなく、目に映らないように隠しただけのことだ。ぼたんは、サッとわしの傍に寄る。
「どうぞ、入られよ。」
ゆっくりと扉が開き、その先から一人の男が現われた。耳から顎先まで長く伸びた髭に、親父を思い出させる厳しい顔つき。手にした大剣を振り回せば、鬼さえも従わせる荒ぶる神。わしの親父とさえ並ぶ霊界上層部毘沙門天直属の部下。つまりはわしと同格。そして霊界の中でも、こやつの上司は有名な保守派の一人だ。普段は、霊界でも審判の門に来ることはないと言うのに、一体どういう風の吹き回しか。
「この時間までお仕事とは、お互い大変ですな。」
「わしが忙しくても、良いことなど一つもないと言うのに。
まったく嘆かわしいことだ。」
「もっともな話。
こちらも地獄で脱走する鬼達は後を絶たない。
連れ戻すのも一苦労ですよ。」
お互いに腹を探り合う。回りくどいような言い回しは、この男にしては珍しいことだ。腹芸のできる男ではない。どちらかと言えば自身の権力と武力で、大体は物事を押し切ってくる。嫌な予感がした。ぼたんが心配気にこちらをチラチラと見やる。こやつも腹芸が出来ないが、今はソレを構ってやれる状態ではない。
「して、今日はどのようなご用向きで。
申し訳ありませんが、こちらも忙しい身。
できれば手短に願いたい。」
「もちろん。
お時間をとらせるつもりはありません。
ただ、貴方には早めにお耳に入れておいたほうが、良い話かと思いましてな。」
剣呑と揶揄を秘めて言えば、薄笑いを浮かべて返してきた。イヤな形に歪んだ口に、胸元が騒ぐ。いい話ではない。もはや核心に近かった。
「雷禅が死に、そして躯と黄泉が国家解散を宣言したそうです。」
「馬鹿なっ・・・あっ・・ありえん!!!」
「何だって!!!」
思わず立ち上がり、ソレを否定した。とても信じられる話ではなかった。雷禅の死は、既に話に聞いていた。もうそろそろだろうと解っていた。しかし躯と黄泉の国家解散は、一体どういうことだ。雷禅の死と同時にどちらかが総攻撃をかけ、黄泉と躯の一騎打ちになる。されていた予想が、大きく歪む。
だが、あまりにも逸脱した情報だ。だからこそ嘘ではない。そんなことをしてこの男には、何一つ得るものなどないからだ。
「信じられないと言う気持ちは、私も同じ。
だが、それだけではないのです。」
「それだけではないと。」
「えぇ。
何でも、その国家解散と共に、魔界で統一トーナメントが行われると言う話です。
そのトーナメントの優勝者が、魔界の真の支配者になり、敗者は全員その優勝者に従うとのこと。
既にトーナメントには躯や黄泉、我々が魔界へ送った蔵馬や飛影も参加を表明している。
そしてそのトーナメントの発起人。
それがあの浦飯幽助だと・・・・。」
「・・・ゆ・・・幽助が!!!」
悲鳴のような声を上げたぼたんの隣で、わしはもう言葉さえ出なかった。一体何があったのか。それを知る術はない。蔵馬や飛影はまだしも、何故黄泉と躯がそのトーナメントに参加をしたのか。幽助は何を考えている。国家解散の意図は。雷禅の死と同時に一体魔界で何が起こったのか。全てがわからない。蔵馬もなにやら思惑を持っていたようだが、コレの一件も計算していたことなのか。
しかし、既にあやつらはわしの部下ではない。わしが霊界や人間界を守ってくれなどと言える立場ではない。命令できるような権限など、何一つなのだ。もとより霊界があやつらを追放したのだ。
雷禅の死を機に、この一年静か過ぎたと言ってもいい魔界が、ついに動き出した。それもまったく予期していなかった方向へと動き出した。
「そのトーナメントの開催はいつに。」
「他の参加者の募集や準備に100日の猶予があるとか。
詳しいことは、まだ情報待ちですが・・・。」
「そうですか。」
あと3月ほどで、魔界が大きく動く。しかしトーナメントでは、一体どんな結果になるかまるで読めない。もちろん黄泉と躯が優勝候補なのは間違いないだろうが、トーナメントの組み合わせ次第では、まったくの第三者が魔界の支配者になっても可笑しくはないのだ。コレでは霊界としても、人間界としても手の打ちようがない。
「まったく、あの男はとんでもないことをしてくれた。」
思考が急に現実に戻る。鐘軌の言わんとしたのが誰かは、直ぐにわかった。霊界からの抹殺命令が出た時点で、幽助は忌むべき子となっていた。
「統一トーナメントなど・・・何を考えているのか。
幾らA級S級の妖怪が高い知性があっても、その凶悪さには変わりない。
そんなトーナメントなどしたところで、野蛮な妖怪たちが従うものか。
もし優勝者に従ったとして、ソレは魔界に強大な軍事大国が出来るも同じ。」
気に障るいい振りではあったが、その読みは理解できなくは無かった。トーナメントをしたところで、その結末に気に食わなければ、反乱や魔界内部での大戦争になる可能性だってあるのだ。そうなれば、国家同士の闘いよりも、もっと複雑で血で血を洗う事態になるだろう。
「穢れた輩など、覚醒前に殺しておけばこんなことには・・・。」
「幽助は汚れてなんかいやしないよ!!!」
その声は、それまで静かにわしの隣に控えていたぼたんだった。ぼたんの啖呵を止めるタイミングを計り損ねたのは、明らかにわしのミスだった。
「無礼な!!
一介の案内人風情がわしに意見するか!!!」
「案内人風情でも、幽助も蔵馬も飛影も汚れてなんかいやしないってことぐらい、解るってんだ!!!」
「生意気な!!!」
次の瞬間には、わしは椅子から飛び、振り降ろされた鞘に正面から立つ。音を立て響くのは、骨を打つ痺れ。左二の腕の肉が裂けたのだろう。
「コエンマ様!!!」
わしの背後でぼたんが悲鳴を上げる。
浮いた状態だったが、剣を受け止めることが出来た。じんわりと痛みと共に熱が広がっていく。腕を血が伝って行くのが解った。だがコレはまだ幸いと言うべきだ。剣を抜かれていれば、おそらく今頃わしは真っ二つになっていた。わしは痛みに構わず、その剣を腕で振り払った。
降ろした腕に、血が伝う。
確かに痛むが、自分の部下を傷付けられるのを、のうのうと見ているような阿呆になるつもりはない。それに今ぼたんに傷一つでもつけさせるものか。蔵馬との約束、必ず遂げてやらねばならない。わしの背中を掴むぼたんを無視して、鐘馗を見据える。
「部下の無礼な発言、申し訳ない。
不出来な部下に代わり、わしから謝罪させていただく。」
ぼたんが何か言いたげに口を開いたが、声になることは無かった。ぼたんが言いたい気持ちは十二分にわかる。だが今こやつを揉め事を起こしたところで、何の益もない。それどころか今騒動を起こして、後々に問題が起こったときに、不利になるのを避けておきたかった。
「部下の暴言については、どうかこの傷に免じてお許し下され。」
「こちらこそ、無礼を許されよ。
コエンマ殿。」
無礼を働いたのは、わしにではなくぼたんにであろう。そう言いたい気持ちをグッと堪えた。思考を痛みで逸らす。これしきのこと聞き流せずして、統治者など勤まらん。机に降り立つと、鐘馗の顔が醜く歪んだ。
「コエンマ殿も災難なことだ。
あのような輩に惑わされ、一時とはいえ霊界からも除籍されたのだ。
菩薩殿の口添えがなくば、今でも戻ってこられることは難しかったことでしょう。」
観世音菩薩殿は、上層部の中でも古株ながらも、わしと同じ改革派の一人であり、良き理解者でもある。同時にわしに難問を押し付ける嫌な女でもある。アイツに借りを作ったのだと思うと、どうにも気分が悪い。後でどんな見返りを求めてくるものか、解ったものではない。
”今後、魔界では戦乱は免れん。それに対応できるのは、霊界の現場を知り尽くし、魔界や妖怪の情報に明るいコエンマ殿以外にはいない。こんな非常時に以前の些細ないざこざに囚われて、いつまでも謹慎処分にするなど、愚かと言うものだろう。”
幽助の覚醒を助成したことに対する霊界からの除籍。それからの復帰も、菩薩殿のこの口添えがなければ、今もわしは、のんびりと人間界で過ごしていたことだろう。だがこの口添え、わしには「いつまで羽を伸ばしているつもりか。とっとと戻ってきて死ぬほど働け」という命令であり、保守派にとっては「魔界に関わるなどと言う汚れ役、コエンマに任せてしまってはどうか。それがお前らには都合が良かろう。」と言う誘いだった。口と頭はいい奴だ。ただしそれ以外、特に性格は最悪だと言うオマケも付く。
「閻魔大王のご子息という高貴な身には、あまりにも惨い仕打ち。
貴方の除籍で、一体どれほど現場が混乱したことか。
どうか、努々お忘れなきように。」
どうやら今日こやつが訪れたのは、嫌味と牽制。幾ら菩薩という後ろ盾があろうと、次の失態は容赦しない。これ以上魔族と関わろうなどと考えるならば、今度は除籍では済まさない。そういうことだろう。専ら肉体労働の鐘馗にしては、珍しく頭を使ったのではないか?それとも余程わしの存在が気に食わないのか。どちらにせよご苦労なことだ。わしとしても、これ以上観世音菩薩に借りを作るのは、御免被りたい。
「無論。職務に背くつもりなどありえません。
わしの仕事は、この霊界と人間界の平穏。
そして魂の潤滑な再生ですので。」
「良いお心がけだ。
それを聞きこの鐘馗、安心致しました。
では、コレにて失礼させていただく。」
空々しいことを言う。背中を向けられると、後ろから蹴り倒してやりたくなる衝動が疼いて、どうしようもなかった。グッと拳を握り耐える。
「そうそう、一つ言い忘れておりました。」
わしの殺気にでも気付いたのか。クルリと振り返り、口を開いた。ねっとりと笑う顔は、どんな下級妖怪よりも醜くおぞましいと思った。
「コエンマ殿、傍に置く者は選ばれた方がいい。
貴方のその高貴な血が穢れる様は、見るに耐えない。」
わしもまだ幼いということか。一瞬、頭に火花が散った。嘲りの視線の先に居たのは、わしではない。だからこそ腹立たしかった。これでは、ぼたんを叱れたものではないと思う。しかし穢れた血が誰を指しているのか。傷つけ、奪いそれでも飽き足らないというのか。必死に生きる者を愚弄して、何が高貴だ。反吐がでる。
「それでは。」
わしの殺気を見てみぬふりをし、薄ら笑いを浮かべて奴は悠然と部屋を出て行った。二度と来るなと塩をまいてやりたい。かみ締めた歯がギシリと軋み音を立てた。自身の権力と安寧以外に見えない妄執の輩めが。
「コエンマ様、大丈夫ですか?」
袖を引かれて振り返ると、ぼたんが眉を下げてこちらを見下ろしていた。言われて左腕の状態を思い出した。正直怒りで痛みを忘れていた。次第に痛みと熱が湧き上がってきた。見れば腕の下では、小さな血の池が出来ていた。袖をまくれば、鞘に収められていたとはいえ、さすがに鬼さえも従わせる剣。咄嗟にかけた結界をぶち破り、見事に肉が裂け、血が吹き零れている。
「コレくらいならば、大事無い。」
「でも・・・。」
納得できないらしいぼたんだったが、実際コレぐらいの怪我で済んだのは、幸いと言うべきだ。もしあの時わしが庇わなければ、ぼたんの頭に直撃していたはずだ。そうなれば、ぼたんが唯ではすまなかった。わかっていなかったのは、ぼたんだけだ。ソレをあの男、わかっていながらやったのだ。ぼたんは何も知らないと解っていて。
「ソレよりも、あやつに・・・と言うよりも上層部に喧嘩を売るようなことしてくれるな。
あぁいう輩は、言わせておけ。」
「でも・・・あいつら幽助のことを・・・。」
「まぁ、苛立つ気持ちはわかる。
だが今ココであやつらと揉め事を起こしても、何の利もない。
何より魔界での統一トーナメントなど、予期せぬ事態が起きたのだ。
今はまだ下手に敵を作るより、表面上だけでも波風を立てんほうが後が動きやすい。
それが後々には幽助たちの為にもなるのだ。
だから耐えろ・・・今はな。」
「すみません、私の所為で・・・。」
「あぁ、そうだ。
だからこれ以上のことはしてくれるな。
でなくては、わしの身が幾つあっても足りんではないか。」
おどけた調子で言ってやった。例えどんなことになろうと、部下を見捨てるような男になるつもりはない。それは人の上に立つ者として、最低限越えてはならないラインだ。
「コエンマ様・・・はい。」
涙ぐみながらも頷いてくる。こういう素直なところは、コイツの良いところだ。抜けてはいるが、馬鹿ではないのだ。こちらが誠意を見せれば、それ以上の忠義を返してくる。こう言えば下手に逆らったりはしない。
「よし。
では、まず菖蒲を呼んで来い。
魔界の状態を調べさせる。」
「でも、先に治療を・・・。」
「馬鹿にする気か。
この程度の怪我、わしでも治せる。
さっさと行け。」
「ハイ!!」
急かせば、いつもの能天気な笑顔を取り戻して、ぼたんが駆けて行った。すると気が抜けたのか、さらに痛みが増した。やせ我慢をしていたつもりは無かったのだが。
わしは机から椅子に座りなおし息をついた。片手で印を切り、詠唱をすれば傷口がゆっくりと塞がっていく。それを眺めながら、思わず大きく息を吐いた。
鐘馗の傲慢ともいえる振る舞いは、別段あの男特有の物ではない。上層部の中では、むしろ大多数だろう。長い年月自身の安寧を保ち、座り続けた椅子に固執している。そんな奴らが自分達を神だと勘違いしているのだ。可笑しくないが笑えてしまう。
鐘馗に宣言したのは、間違いではない。わしの職務はこの霊界と人間界の平穏。そして魂の潤滑な再生。しかし鐘馗は勘違いをしている。魂を持つのは、人間、霊界人だけではない。魔族さえ魂を持っているのだ。そのために必要とあらば、わしはどんな手段でも取るだろう。例えそれが、人の世や魔の世でさえ罪だとされる親殺しになろうとも。
それがわしにできる、せめてもの償いなのだから。
END

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