美しい人。優しい人。愛しい人。貴方の愛がなければ、私は永遠に醜い姿のまま。ですが、貴方の悲しみ、貴方の苦しみをどうして救わずにいられるだろう。それ程私は、貴方を愛しているのです。
醜い今の身体は、昔の私自身。美しき魔女の呪いにかけられて、この心に相応の身体に変っただけのこと。自らの傲慢の報いと思えば耐えるほかない。ですが、私の心は、貴方を知ってどれほど鮮やかに彩られたか。貴方は、私の心を変えたもう一人の美しき魔女。そんなこと、きっと貴方は知りはしないだろうけれど。だから私は貴方を救わずにいられない。
貴方が笑うことは、世界が優しさと光に満ち溢れ、幸福の華が開くことと同じ。そして、貴方が涙し、悲しみに暮れることは、私のとって世界が終わることと同じぐらい、恐ろしいことなのです。
そう、それ程私は貴方を愛している。
愛しているのです。
それだけは紛れもない真実。
08 秘められた関係スクリーンに見る、大きな毛むくじゃらの野獣はもう息も絶え絶えだ。大きな茶色い獣は、確かに子供には醜く見えるものなのだろう。生憎、昔魔界でこれ以上にグロテスクな容姿の者など幾らでもいたので、どう見ても可愛いとしか見えない自分が空しいというべきか。
だが、隣に座るぼたんは、至って真剣そのものだ。彼女だって暗黒武術会でイヤと言うほど化け物染みた容姿の者など見ただろうし、彼女の職場霊界には、鬼だっているのだ。恐ろしいという気持ちは正直薄いだろう。しかしきっとぼたんが真剣に見入るのは、涙をこぼし獣に縋りつく美しい女性に同情して。そしてきっと起こる奇跡を信じている。
そしてそれはちゃんと、用意されていた。空から幾筋もの光が降り注ぎ、不思議な力が野獣を包んでいく。そして獣は人間に戻る。ぱぁっと明るくなるぼたんの顔を見ているだけで、それだけで俺は満たされた。
「はぁ・・・面白かったぁ。
ごめんよ、蔵馬。
つき合わせちまってさぁ。」
映画館を出て二人で、どこへ行くともなく歩きながら、話し出す。パンフレットを持ったぼたんは満足気だったが、俺を見れば申し訳なさそうな顔をした。
映画は1時間半ほどのアニメなので、さすがに子供が多かった。だが有名な童話が元になっている所為もあって、席は大人の女性の姿もちらほらと見受けられ、男性はその女性の付き添いと言うのも多かった。
「構いませんよ。
俺も楽しめましたから。」
「本当かい?」
「えぇ、もちろん。」
嘘ではない。確かに俺も楽しんでいた。ただし映画ではなく、コロコロと表情を変えるぼたんをだったのだが、それはさすがに言葉にしなかった。嘘ではないので、良いだろうと言い訳をする。
「ならいいんだけどさ。」
信じてくれたらしく、嬉しそうな顔をする。しかし元々俺が、無理に付いてきたようなものだ。彼女が良心の呵責を感じる必要は一つもない。
最初に誘ったのは、俺だった。仙水の一件がひと段落して、その3日もしないうちに彼女が俺の部屋を訪れた。薔薇の合図は毎日のようにしていたし、そのうちに来てくれないかと期待はしていた。心配性なところがある彼女のことだから、あの闘いの後、皆の所を回っているだろうと。
そしてそのときに今度の休み、つまり今日に出掛けないかと誘った。あの事件も大変だったから、気晴らしにどうかと。コレもけして嘘ではない。確かに俺にとっては何よりの気晴らしになる。
だがそのとき彼女が表情を曇らしたのだ。困ったような顔で、どうしても見たい映画があり、もう直ぐ公開が終わってしまう、と。それを見る予定をしていたが、蔵馬はきっと興味の無いようなものだろうからと言われた。そんな理由でせっかくの機会を逃す気はなかった。タイトルも聞かずに、直ぐに同伴をさせて欲しい、と俺が願い出たのは言うまでもないことだろう。
かくして、こうして俺は、彼女との時間を得ることが出来た。
「正直さ、幽助や桑ちゃんは絶対趣味じゃないだろう。
雪菜ちゃんは幻海師範の所で遠いし、螢子ちゃんは受験勉強もあるだろうし。
静流さんと温子さんも・・・・。」
「見そうな感じでは・・・ないですね。」
「だろう。
だから一人で見るしかないかなぁ・・・って思って。」
ストーリーはかなり王道の恋愛物だった。しかも出てくるのは王子様とお姫様。人生の辛酸を嘗めていそうな二人が、それを見たがるとはとても思えなかった。しかしさっきの理由、一つ気になることがあった。
「じゃあ、なんで俺を誘ってくれなかったんですか?」
「えっ・・・う~ん。
だってさぁ、蔵馬頭いいじゃない。
なんかこう・・・・・。」
「馬鹿にするんじゃないだろうか・・・ですか?」
「うっ・・・ん。」
しょんぼりとした顔でうな垂れられると、可愛いので批難なんて言えるわけ無いけれど。犬ならば尻尾がぺたりと垂れていそうだ。
とてももどかしいと思う。ぼたんは俺の気持ちなんて、何一つ知らないのだから無理はない。でもこれは一つ釘を刺しておくべきことだ。今回は偶々俺が声をかけたから良かったものの、こんな良い機会を知らずに逃してしまうのは、俺としてはあまりに惜しい。そんな自分勝手な理由だけれど。
「酷いですね。
俺がそんな人間に見えていたなんて。」
「ごめんって・・・。
だって、蔵馬凄く頭いいし。
だから童話とかこういう子どもじみた映画なんて、見ないと思ったんだよ。」
「確かに、普段なら見ないかもしれません。
でも嫌いなわけじゃないですし、映画の好みで貴方を見下げたりもしませんよ。」
大体可愛いと思うし、こういう映画を心底楽しめるのは、彼女の良さだ。そういう部分を好いているというのに。目の前の主人公と獣に一喜一憂する。その物語に込められたものを純粋に汲み取れる。きっとそれは、俺には出来ない。理解はできるが、それに心や感情が伴えない。現実だとかあの獣を見ても、恐いとも醜いとも思えない。彼女の言う、そんな俺の聡さなんて、俺にすれば何の価値もない。でもぼたんが隣に居てくれるなら、それでいいと思える。彼女のそんな無垢な心の傍に居られれば、俺もそんな綺麗なものを得られたかのような気持ちになれる。自分の醜さを許すことが出来る。
「解っていただけましたか?」
「うん、ごめん。」
「そうですね・・・じゃあ俺から一つお願いしていいですか?」
「なんだい?
私にできるなら何でも構わないよ!!」
キラキラと邪気のない目で言われているというのに。何でもなんて言われると、どうしようもない昔の癖が出てきそうだ。欲しいと思うものには、その爪をかけずにいられない姑息さ。でも今は言葉遊びにでも言うべきではない。そんなことをしようものなら、きっと彼女はさっきまでの俺の言葉全てを戯言だとしてしまう。それでは元の木阿弥。言いたい言葉をグッと飲み込んだ。
「なら、これから俺に付き合ってください。
この近くに、母さんが教えてくれた、美味しいケーキを出す喫茶店があるんです。
そこに行きましょう。」
「?蔵馬、ケーキなんか好きだったっけ?」
「いいえ、嫌いではありませんが、甘いものはあんまり食べませんね。」
ぼたんの足が止まる。振り向けば俺との距離は2歩ほど。彼女は意味がわからないと首を捻る。今まで食事を一緒にしたことはあるけれど、ケーキを食べたことはないはずだ。
「でも、ぼたんは好きでしょ?」
すると途端に笑顔が広がって、伸ばされた手に俺の腕が攫われる。ぎゅっと絡みつきしがみつく身体。突然のことで、俺が今までにないほど驚いているなんて、きっと彼女は気付いていない。
「うん、大好き。」
その後ろにケーキがとつくのが解っていると言うのに。解っていながら、俺の頬の肉は体たらくでどうすればいいのか。独りでに緩んでしまう。でもこの満面の笑みを見れば、獣も鬼神も微笑むはずだ。さぁ行こうと急かして腕を引かれる。どこにあるかなんて知らないのにぐいぐいと引っ張る。楽しくて堪らない。本当に、これ以上の気晴らしなんてきっとない。そんな梅雨前の貴重な晴れの日。
一口だけ、そう言って食べたフルーツタルトは、確かに甘かった。一度は固辞したものの、せっかくだからと差し出されたフォークから、パクリと頂く。乗せられた木苺の甘酸っぱさに、少し救われたかもしれない。それでも不味いこともなく、鮮やかな酸味は悪くなかった。何より、その後も何の意識もなしに、同じフォークでケーキを切り崩していくぼたんを見れば、幾らでも欲しいといってしまいそうで。
恋は恐ろしい魔物だと聞いたけど、正直これほどとは思わなかった。きっとどんなS級妖怪も叶わないはずだと改めて思い知る。自分の強さなんて、まやかしだ。知略や戦略なんてきっと彼女にかかれば大したものではない。自分がこんなに溺れるなんて、まるで予測できていなかったんだから。
さっきの映画の感想を息巻くぼたんは、本当に楽しそうだった。傲慢な心を持った王子は、美しい魔女の呪いにかかって醜い獣の姿に、家臣たちは家具に姿を変えられてしまう。タイムリミットは、薔薇が散るそのとき。その身の悲劇を嘆き苛立つ獣の元に、運命の娘は訪れる。怯える娘と傲慢な獣は、少しずつ歩み寄り、いつしか愛し愛されることで真の姿を取り戻し救われる。
なんとも深い教訓だろう。醜い心の器にふさわしく姿になり、美しい心を取り戻すことで美しい姿が蘇る。
「でもさ、最後はお父さんも一緒にハッピーエンドだったし。
よかった。」
「そうですね。
さぁ、そろそろ出ましょうか。」
「そうだねぇ。」
人気の店なのか。入り口の辺りは、待ちの人が既に数人いる。食事も終えたのでそろそろ出るのも頃合だった。会計を持って先に席を立った。支払いを済ませると、財布からぼたんが自分の分を払おうと1000円札を取り出そうとするのを、やんわりと制する。そして開いたままになっていた、お財布の中から500円玉を1枚を取り出した。完全に奢れば、きっと気にするだろうから、コレぐらいが丁度良いだろう。
「さぁ行きましょう。」
「でも・・・」
「ぼたん、俺に恥をかかせないでください。」
こういうときは、奢らせて欲しい。まして好いた女性の支払いなら、喜んで払えるぐらいは、持っているつもりだ。女性に対しては、基本的に敬意を払っているが、好いた女性ならばなおさら。いつもほれた弱みで負けっぱなしなのだから、時には見栄の一つも張りたくなる。こういうところは、子どもっぽいかもしれない。千歳を裕に越えているというのに。
「ありがとう蔵馬。
ご馳走様。」
「いいえ、どう致しまして。」
空調のきいていた店内から外へ出ると、温いぐらいの空気。梅雨まではまだ少しあるはずだ。人込みを2人で歩き出す。
「でもさ、蔵馬ってまだ高校生だろう?
バイトだってしてないだろうし・・・・。」
「してませんよ。
お小遣いは、まぁ親からも貰ってますけど、ご心配なく。
貯蓄に関しては、働いている人並にぐらいは持っていますから。」
「でも、・・・盗賊・・・ってこともないだろうし・・・まさか!!!
こ・・・木の葉のお金だって言うんじゃないだろうねぇ!!!」
疑わしいと言わんばかりの目で、小さな声はまるで恐ろしいことを口にするような言い方。あんまりな想像。コレに思わず噴出したのは、俺が悪いわけじゃないと思う。
「あははっつ・・・くっく・・・。
ぼたんの中の俺のイメージって・・・ふっ・・・。」
「だ・・・だって!!
蔵馬だったら・・・ほら・・・出来そうっていうか。」
木の葉のお金なんて、正に昔話の悪い狐のような話だ。確かに変化の術を心得た狸や狐もできるだろうし、それより長く生きて、人間界で言う天狐や空狐にあたる俺だと、木の葉があれば、本物の紙幣を作ることも可能だ。しかし実のところ、そんなことに一々妖力を使う必要は一つもないし、何より木の葉で一々お金を作る自分の姿をぼたんが想像したと言うことが、可笑しくてしょうがない。
「まぁ、出来なくはないですけどね。
違いますよ、ちゃんと本物のお金ですってば。」
真っ赤な顔で弁解するぼたんが可愛いので、何とか笑いを収めようする。かなり笑いのツボに入ったので、笑いを止めようとすると胸が痛くてしょうがなかった。
「でも、それじゃ・・・。」
「盗賊もしていませんよ。
まぁどちらかと言えば、そっちの方が少し近いといえば近いですけどね。」
「えっ!!!
ダメじゃないのさ!!
やっぱりお金払うよ、私!」
今のできっと、ぼたんの頭の中には、俺が夜な夜な銀行にでも出稼ぎに行く姿を想像しているのだろう。近いといったけれど、なんて正直で素直な人なんだろうと思う。
「違いますって。
16年前、向こうから来たときに持っていた金銀ですから。」
「16年前?」
「そうです。
向こうで現役だった頃のをね。
霊体で来ましたが、向こうの植物の種や金銀も少しは身に着けていましたから、それをこっちで隠しておいたんですよ。
武術会で使っていたシマネキ草の種とかは、昔に持っていたものなんです。
まぁ今なら召喚もできるんですが、武術会まで出来ませんでしたから。」
人間界の草花に妖力を通せば武器にも出来るから、自分より下位の妖怪と闘う時であれば、それで事足りる。だが魔界の植物はやはり向こうでしか手に入らなかった。そうなるだろうと言う予測はあったので、魔界から来たときに隠しておいたのだ。
「もちろん金銀を換金するのに、子どもの姿では出来ませんでしたから、お金を使えるようになったのは最近になってからですけどね。」
幻覚を使えば出来なくもないが、母さんからそれなりにお小遣いも貰い、使い道も無かったので、不自由もしていなかった。もう直ぐ母さんと畑中さんの結婚式もあることだし、そのときになにか大きなものをプレゼントできればとは思っているが、それでもまだ充分に余りある。
「まぁ余り綺麗なお金とは言い辛いですけどね。
なので遠慮なく奢られてください。」
確かに今この人間界での罪ではないし、魔界では他人からの略奪行為は、罪には当たらない。力のみが秩序と言う場所なのだから、あちらではまっとうな職な方だといっていい。だが大きな声で言えるようなものでもないのも事実だった。妖狐の力を必要としていて、それに助けられている。いや妖狐もまた俺自身であることは、間違いない。ならばそれの行いを否定するのは卑怯だ。それを彼女に伏せておくことも。だからぼたんに卑怯だと言われる前に、自分から懺悔したかった。
「馬鹿を言うんじゃないよ。
それは蔵馬が向こうで稼いだお金じゃないか。
あっちにはあっちのルールってもんがあるんだから、汚いなんて思うわけないだろう。
そんなことで、あんたを見下げたりするもんか!!」
トンと胸を拳で軽く叩かれる。ついさっき俺が言った言葉をそのまま返されれば、苦笑いをもらすしかない。ちゃんと魔界の秩序をわかってくれているのが本当に嬉しかった。
「今の蔵馬は良い奴!!
それで充分じゃないか。
それに・・・」
「それに?」
「ケーキ美味しかったしね。」
あぁ、本当に俺は彼女には敵わない。きっと盗賊としても敵わない。そう思った。こんなにも鮮やかな手口で、俺の心を掴んでしまうぼたん以上の盗賊なんてきっといない。
「また、来ましょうか。」
「うん。」
コレで、また一緒に居られる口実が一つ。
「アレ?母さんと畑中さん。」
「へっ・・・。」
しばらく歩いていると、向こうから来る二人連れの男女。それは、見間違えるはずもない。自分の母とその再婚予定の相手である義理の父だ。母さんがこちらに気付いて、手を振ってくれたので歩み寄る。思えば今日は、出かけると言っていた。地元だし駅は近いのだから会っても可笑しくはないのだけれど。
「秀一こっちにいたのね。
母さん達は、式の打ち合わせに行ってたんだけど。」
「そういえば、朝に言っていたね。
こんにちは畑中さん。」
「こんにちは、秀一君。
そちらのお嬢さんは?」
2人の視線が、ぼたんに向う。一瞬なんと言って紹介するべきかを迷った。霊界人であるぼたんに苗字なんてあるわけがない。だが、俺の動揺を他所に先にぼたんが口を開いた。
「浦飯ぼたんって言います。
初めまして。」
「あら、浦飯さんって確か幽助君の。」
「えぇ、私、幽助とは親戚なんです。
幽助を通してく・・・秀一君とも友達に。
今、映画を見に行ってたんです。」
初耳なんだけれど、一体いつの間にそんな話が出来ていたのか。確かに幽助の霊界探偵と言う仕事を通じて知り合ったのは間違いではないのだけれど。あっさりと言う所を見ると、以前からそういう話になっていたのだろう。しかし嘘と本当のギリギリの境界線を走っている気がする。これ以上彼女のことを話させないほうがいいと思い、俺は話をそらすことにした。
「そうだ。
この間母さんが言ってた喫茶店に、今ぼたんと行って来たんだ。」
「まぁ、そうだったの。
で、どうだった?」
「フルーツタルト、すっごく美味しかったです。
苺とか中のカスタードもトロっとしてたし、生地もサクサクで。」
「まぁ、良かったわ。
私もフルーツタルト、好きなのよ。
ショートケーキとか、ガトーショコラも良いんだけど。」
「志保利さんは、甘党だからね。」
畑中さんの言葉に、母さんは照れたような笑みを見せた。そうやって笑うと、母というよりも、一人の女性に見えるのは、嬉しくもあり少し寂しくもある。
「私も甘いの好きなんです。
シフォンケーキも迷ったんだけど。」
「あそこは、シフォンケーキも美味しいわよ。
でもそうね、シフォンケーキなら、駅から少し行ったところに良いお店があるのよ。
毎週週変わりでいろんな種類のがあるの。
ねぇ、秀一。」
「母さんが良く買ってくる店の奴だね。
あそこのは美味しいよ。」
「へぇ。
いいなぁ、食べてみたい。」
女性二人は、すっかり甘い話題に夢中だ。俺は思わず畑中さんと視線で会話をしてしまった。尤も嬉しそうな顔を見ていて嫌な気はしないものだけれど。
「母さん、これから家に?」
「えぇ、買い物をしてから帰るわ。
今日は秀一君はクラブの皆で食べに行くそうで、夕食いらないそうなの。
だから畑中さんもこちらの家で食べることになっているんだけど。
秀一はどうするの?」
「う~ん・・・。」
今日、ぼたんとはこれからの予定を決めているわけではない。晩御飯も一緒にと後で誘うつもりではいたけれど、まだぼたんの予定がわからない。出来れば今日一日一緒にいたいけれど。
だが、女性と言うのは、俺が思っていたよりずっと凄いものだ。俺のそんな気持ちを母さんに気付かれてしまったらしい。
「もし、ぼたんさんさえよければ、家にご招待してはダメかしら?」
「えっ!!
私を家に・・・ですか?」
正直、いきなりの母さんの言葉に、おそらくぼたん以上に俺の方が驚いていただろう。イヤだというわけではないのだけれど。顔に出さないように注意しながら、俺は内心酷く動揺していた。
「ぼたんさんのご都合さえ良ければ、なんだけど。」
「あっ・・・ごめんなさい。
ものすごく、行きたいんですけど、その今日は夕方から用事があって・・・。」
きっと仕事なのだろう。ぼたんの霊界案内人と言う仕事は、朝夜を問うものではないからとても不規則だ。しょんぼりとうな垂れるぼたんに、母さんはもちろん気にした様子もなかった。
「そう、それなら仕方ないわね。」
「ごめんなさい。」
「そんなことないわ。
突然誘った私が悪いのよ、気にしないで。
もしぼたんさんさえ良ければ、また・・・・。」
「もちろん、今度こそ是非。」
仲の良い2人の姿は、俺としてはなんだかとても照れくさいものがある。自分の母親と好いた女性が話していると言うのは、複雑と言ってもいいかもしれない。もちろん別に恋人だと紹介したわけでもないし、友達と紹介しただけだというのに、酷く後ろめたいものさえ感じてしまう。母さんの言った食事会も残念な反面、ホッとしたという気持ちもあった。
「じゃあ、秀一。
お母さん達、先に帰ってるわね。」
「うん、解った。」
そう言って、2人は互いにぼたんとお辞儀を交わし、すれ違って歩いて行った。俺たちもそれを見送って反対側へと歩き出す。俺は揶揄するような口調で話し始めた。
「俺初めて知りました。
幽助と親戚だったんですね。」
「にゃはははっ・・・まぁ、部屋借りるのとかに、色々手続きがいるじゃないか。
最初は霊界で色々してくれてたんだけどさ。
他にも私のこっちでの仕事、アレだからまぁ・・・色々あるだろう。
そしたらさ、温子さんが・・・処理してくれてね。
一応コエンマ様と温子さんとでも話は通っているみたいだから。」
色々や話と言う言葉で隠された内容を、俺はなんとなくで察した。幽助の母親温子さんは、世が世なら女傑と言われていても良いような人でもある。どうもこちらの世界での深い部分とも伝手があると言う話は、幽助からも聞いている。まぁコエンマとも話がついているというのなら、おそらく問題は無いはずだ。何かあったときにもみ消すと言う意味も含めて。
「でもさ、蔵馬やっぱり違うさね。」
「違うって、何が・・・。」
「お母さんと居るときさ。
なんかいつもの蔵馬と、ちょっと違うみたいだなぁってね。」
それは少し照れくさい気持ちだったけれど、仕方がないことだ。母さんは俺にとっては特別な人だ。恩人であり、大切な人でもある。罪悪感や申し訳なさもあるけれど、それ以上に慕っているし、どれだけ感謝しても足りない。人として尊敬や色々な感情のスタートと言っていい。守らなければと言う気持ちは何よりも強い。それでもきっと俺は母さんには敵わない。そう思っている。俺の弱点、一番無防備なところなのかもしれない。
「なんか・・・いいね。」
「えっ?」
「さっきの映画じゃないけど、やっぱりいいもんだよね。
家族でも恋人でもさ、一緒に生活して、同じもの食べたりさ。
普段の生活の中のちょっとしたことで、解り合えたり、気持ちが繋がっているっていうの。」
例えばなんでもない食事の癖を知っていたり、苦手なものを知っていたり。朝に起きたとの寝ぼけた顔、ちょっと体調が悪いときに自分を案じてくれたり。そんなことで、何の見返りもなく、優しさを注いでしまえる。血の繋がらない家族など幾らでもいる。夫婦だって紙で制約を結んだ繋がりだ。そんな中で、繋がっていると確実にいえることは、同じ家に帰る。突き詰めてしまえば本当の共通点はそれだけだなのかもしれない。
でも、それがどれだけ大きなことか、俺は知っている。帰るから家があるわけじゃない。家があるから、帰ることが出来る。そこに待っている人がいてくれると、心のどこかで信じている。何の根拠もなく信じられる。それはとても幸せなことだ。
「なんか、ちょっと・・・羨ましいかも・・・ってね。」
少し茶化したような声でぼたんが言った。考えれば、ぼたんは人間界では一人暮らしだろうし、霊界人としての生活は本人も話さない。何より霊界人は機密が多くその殆どは謎がある。でも、彼女の話からして、霊界にも家族が居るというわけではないのが解る。
「だから、大事にしなきゃね。」
どうして彼女がいつも仲間を大事に思うのか。その理由を垣間見た気がした。それは、所詮家族を持つ俺には、本当に理解してあげることは出来ないのかもしれない。
それでも、俺は傍に居たい。家族にはなれないけれど、できれば一番近くで色々なぼたんを見ていたい。
「なら今度、俺の家に食事しに来てください。
きっと母さんも喜ぶから。」
きっと喜ぶ。母さんも畑中さんも秀一君も、みんなぼたんを歓迎してくれる。コレもまた何の根拠もないことだ。だが信じられる。これから俺たちは家族になるんだから。だから信じられる。
ぼたんは、少しだけ驚いた表情を見せたけれど。
「もちろん、約束したからね。
蔵馬がイヤだッて言ったって行くんだからね。」
笑ってくれた。弾んだ声。腕を取られて身体が少し触れた。愛らしい子猫のように懐かれると、どんな願い事も叶えてあげたくなる。この人の為に、俺は何が出来るのだろうか。今はまだわからない。物や形ではなくて、もっと温かみのあるものを探したい。彼女が俺にくれたもののように。
「蔵馬!!」
ぼたんが呼ぶ。俺のたった一人の美しい人が俺を呼んでいる。俺を変えてしまった、たった一人の愛しい女性。知らないことも、解らないこともまだ多くある。それでも今、彼女がこんなにも愛しい。
それだけは紛れもない真実。
END

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