04 傷の舐め合い「ごめんよ、待たせちまって。」
部屋から出てきたぼたんを、笑って迎える。その頬に見えた陰りは、見てみないふりをした。代わりにコエンマのほうを見れば、清々したとでも言いたげな顔をしていた。我ながら子供のようなことをした、と言う気もしたけれど、今さらどうこう言うべきことでもないだろう。
「いいえ。
では、行きましょうか。」
「あぁ。」
軽い足取りで歩きだすぼたんと並ぶ。肩が触れるか触れないかと言う距離。彼女の空気だけを感じる右腕が、妙にもどかしい。
「きっともうみんな出来上がってそうだねぇ。」
「でも、明日は決勝ですから、控えめで終わるでしょう。」
「そうだといいんだけど。」
「ちゃんと程ほどで止めますよ。
ですから、協力してくださいね。」
「はいな。」
隣を歩くぼたんは、そう言って笑った。幻海師範のことを、俺が知っていることには、気付いていないだろ。コエンマが言うとは思えない。ついさっきまで、あんなに泣いていたのが、嘘か夢のような笑顔だった。この人がこんな嘘をつけるとは、正直想っても見なかった。きっと他のみんなを騙してしまえるのだろうと想いながら、俺も笑いながら、廊下を歩いた。俺が思っているより、ぼたんは強いのだろう。
思えば、俺は彼女のことを、何も知らなかったのかもしれない。霊界案内人だということ以外に、何を知っているのだろう。明るくお人好しな気質や心霊医療が使えること、幽助の助手であることぐらいだろうか。なのに不思議と近い距離に居る。それが嫌な気がしない。むしろ心地よいと言える。
「明日・・・だね。」
「えぇ。」
お互いの声だけが明るかった。明日が楽な戦いにはならないことがわかっているのだから、仕方がない。沈黙が落ちる。普段なら応援の言葉を口にするだろうぼたんも、それ以上の言葉が出ないのだろう。
戸愚呂チームとの力の差は、ずっと感じている。浦飯チームの誰もが、苦戦を強いられる。俺自身も、鈴木から貰った闇アイテムがなければ、勝機さえ見出せないでいた。そして妖狐の力を目算にいれて、漸く勝てるだけの算段を立てられた。だが、それでも絶対ではない。命の取り合いでは、何が起こるかわからない。ましてその力が肉薄していればなおのことだ。
「大丈夫ですよ。」
「蔵馬・・・。」
「信じていてください。
・・・いつもみたいに。」
根拠の無いことを、と自分でも思った。勝算が高くは無いことを、他の誰よりも解っている癖に。それでも不安そうなぼたんの横顔を見れば、言わずにいられなかった。
いつの間にか、足が止まっていた。慰めたくて撫でようと手を上げた瞬間、失念していたことを思い出して、手を下ろした。
「ちょいと、怪我しているじゃないか!!!!」
俺が隠すより先に、ぼたんは俺の手をとると、皮膚の破れた右手を広げて見せた。そこにはきっちりと4つの爪痕が残り、未だに血がゆっくりとだが流れている。大した痛みも無かったから、忘れていた。ぼたんとコエンマの抱擁を見ていたとき、思わずつけてしまった傷だ。できれば理由までは悟られたく無くて、他の理由を探す。それは子供の意地のような感情だった。
「大した傷ではないですし、後で薬草でも貼っておきますよ。」
「何言っているんだい。
私が治してあげるよ。」
そう言うと、ぼたんは俺の有無も聞かずに、俺の手に自分の手を掲げた。じんわりと温かみを感じる。ゆっくりと血が止まり、傷口が塞がっていく。
「蔵馬ってさ、手、硬いんだね。」
「妖怪との戦闘は、今に始まったことではありませんから。」
確かに、俺の手はお世辞にも綺麗といえるものではなかった。何度も傷を繰り返し受ければ、皮膚は硬くなり、ガサガサとした感触ばかりする。
俺の手に比べれば、体温こそ低いが、ぼたんの手は綺麗なものだった。傷一つない指先が、俺の手を撫でる。
その時、何かがぽつんと小さな音を立てて、傷の消えた掌に落ちた。最初は一つ、続いて二つ、三つと次第に落ちる速度は増してく。
「ごめん、だっ・・・大丈夫だよ。
ほら、やっぱりちょっと不安になるって言うか。
相手は、戸愚呂チームだし・・・でも大丈夫。」
止まらない涙を隠そうと、袖で強く瞼を擦る。
幻海師範の死に知っているぼたんにとっては、この決勝戦がどれほど辛く心を押しつぶされそうになっていたのか。俺はわかっていなかった。必死に笑おうとするぼたんの歪む唇が、矢継ぎ早に言葉を必死に繋ぐ。
「ははっ・・・馬鹿だよね、あたしは。
私が闘うって訳じゃないのにさ。
なんか知らないけど・・・恐くなっちまって。
・・・あんたらの方が、よっぽどそう思ってるだろうに。
わかってんのに・・・・。」
我慢出来なかった。腕を伸ばし、強引に抱き寄せる。少し苦しげに蠢くぼたんの腕に気付きながら、加減さえ忘れて、その背を掻き抱いた。小さな背中だった。肩も華奢で、俺の背中に触れてくる指先の細さに眩暈がする。
「ごめん・・・ごめんねぇ。」
泣きながら謝るぼたんの頭を撫でると、太陽の匂いがした。心が揺さ振られる。
信じて欲しいなど、なんて残酷なことを言っただろう。俺は本当に、ぼたんのことを何も解っていなかった。そのくせ、コエンマに嫉妬したなんて、本当に無様だ。
どれほどの想いと優しさを、俺らにかけてくれているのだろう。傷を負い、死の淵を歩く俺達には、いつだって余裕などなく、後ろで気遣ってくれている彼女の視線を見ることが出来ない。彼女らができるのは、信じて待つことだ。見ているだけしか出来ない歯がゆさ。それは、きっと身を切られるように、辛いことだろう。
なのに闘いをやめることは出来ない。きっとこの闘いを終えても、それは続いていく。生きている限りは、逃げることも出来ない。
でもけして、彼女を悲しませたいわけではないのだ。笑っていて欲しい。いつものように、底無しの笑顔を見ていた。できるならずっと。そのためなら傷つくことも厭わない。それぐらいの覚悟ならば、幾らでもある。でも、彼女の笑顔を見るために必要なのは、そんなものではない。
「ごめんよ・・・何にも出来なくて。」
そんなことは無い。そう言いたいのに、気持ちばかりが咽喉に詰って声が出なかった。首を横に振って、伝えるしかなかった。
死にたくないと想った。心の奥底から、生きたいと想った。また彼女の泣き顔を見るぐらいなら、どんな手段を用いることも恐くはない。そう思えた。
彼女の笑顔を乞うには、傷つき死ぬことよりも、もっと困難な道を歩く覚悟がいる。
それは生きること。
生き続けようとする覚悟。
「約束します。
俺は、死んだりしないから。」
嘘をついた。いや、嘘になるかもしれないと解っていながら、空虚な言葉を吐いたといった方が正しいだろう。きつく抱きしめたのは、その後ろめたさからだ。顔を見ることが出来なかった。
この闘い、俺はきっと死と勝利を天秤にかけられれば、後者を取るだろう。でなければ、仲間を失うかもしれないから。守れないかもしれない言葉など、嘘とそれ程違いは無い。
今まで、色々な嘘をついてきたというのに、この嘘には、心が痛いんだ。母さんを騙しているのだと気付いたときのように。
「死ぬかもしれないから闘う訳じゃないから。
俺達は、生きたいから、闘っているんです。」
でも、今はまだ嘘ではない。嘘にしたいわけではない。生きたいと想う気持ちは、それだけは真実だから、どうかそれを信じて欲しい。
「蔵馬・・・、うん。
そうだよね。
そうに決まっているよね。」
少しだけ力を緩めれば、俺の腕の中でやっと笑顔を見せてくれた。涙を浮かべた目を俺の指が拭う。大切にしたい。俺達にこれほど心を分けてくれている彼女を、悲しませたくは無い。そのためには、みんなで闘いに生きて勝たなくてはならない。
「あっ・・・あのごめんね、蔵馬。
あの・・・。」
「・・・えっ?」
気付けば、ぼたんは真っ赤な顔をして、しどろもどろに言葉を繋ぐ。その時、漸く俺は自分たちが今どんな状態なのかを思い出した。急に冷静になった思考が、カッと熱くなり、自分の腕を放した。
「すっ、すみません・・・俺・・・。」
「あっいや、蔵馬の所為じゃないよ。
私がその・・・泣いたりしたから・・・。」
重い空気が辛く、恥ずかしい。女性の扱いを知らないわけでもないのに、抱擁一つをこれほど恥ずかしいと思ったことは無い。まして、我を忘れて女性を抱きしめるなんて。
そのくせ、腕の中にあった温度が惜しいと思ってしまった。矛盾している。
「・・・行こうか。」
指をとられた。軽く引かれて、俺は歩き出した。迎えに来たのは、俺だったのになんだか可笑しなことになっている。でも、ぼたんの照れて紅くなった耳を見るのは、悪い気分ではなかった。
「はい。」
指先だけが繋がり歩く。むず痒い気持ちに、頬が緩む。指先から伝わるのは体温だけではない。言葉にもならないような何かがある。
「蔵馬、約束だよ。」
「・・・・はい。」
生きるために。笑顔を見るために。そしてもう一度、この指先に触れるために。
その為の約束が、今二人を繋いでいる。
END

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