03 指を絡ませる外では、雀がチュンチュンと朝を知らせている。あけられた窓から入ってくる心地よい風が、カーテンを揺らし、ぼたんの上を行き来する。
「大丈夫ですか?」
瞼が開いても、まだぼんやりとしているだろう思考に声をかける。何度瞬きをして、次第に意識がはっきりしていくのが、傍目でもわかった。
「蔵馬?」
「はい、そうです。
痛みは?
気分はどうですか?」
「うぅうん、大丈夫。」
こめかみの薬草入りの貼り薬が気になるのだろう。ソファから身体を起こして、自分の頭を撫でている。そしてキョロキョロと辺りを見回している。
「身体、他に痛むところはありませんか?」
「いや、それも無いよ。
ありがとう・・・ってあのココ・・・・四聖獣は!!」
「四聖獣は無事に皆倒しました。
ココは、桑原君の家のリビングです。
ご家族には、桑原君から事情を説明してもらって、もう仕事に出てられます。
桑原君も今日は学校が気になるとのことで、出かけてます。」
「そうだ、螢子ちゃん!!!」
「大丈夫ですよ。」
俺はそれから、あの後のことを説明した。間一髪で虫笛を壊すことが出来たこと。幽助も怪我はしているが無事で今は桑原君の部屋で寝ているということ。ぼたんが懸命に守った甲斐もあって、螢子ちゃんに怪我は無いこと。幽助と桑原君を負ぶって戻ってきてから、俺は幽助の学校に行き、事情の飲み込めて居ない螢子ちゃんから、ぼたんを預かってもう一度桑原君の家に戻ってきた。さすがに夜も遅かったので、螢子ちゃんには、そのまま帰宅してもらった。
「一応、後日ぼたんか幽助から、事情説明をしてもらえるだろうって伝えておきましたから。」
「そ・・・そう、ありがとう。」
俺は台所へ向いコップに水を注ぐ。桑原君から、家の物は好きに使っていいと言われていた。もし俺が、家のお金でも盗んだらどうするのだという気もしたが、たった1日共に闘っただけの俺を、すっかり信頼してくれているらしい。コレでも魔界では、そこそこに名の知れた盗賊だったし、つい最近霊界から秘宝を盗み出したばっかりの重罪人なんだ。それは確か幽助が、道すがら説明したはずなんだが。
でもそれが彼らしいと思う辺り、俺も桑原君をすっかり信頼しているのだろう。彼が嘘をつけるような人でないと思うのだ。実直で義侠肌が厚く、ひたすら真っ直ぐだ。幽助の為に倒れるまで霊力を送り続けた。嘘や偽善で出来ることじゃない。
「そういやあんたは?
怪我してないのかい?」
「してないわけではないですけどね。
もう傷口は塞がっていますよ。」
身体は人間だが、妖怪としての力が体の回復を早めてくれている。玄武にやられた傷は、既に塞がっており、後は時折する引きつる痛みだけだ。コレも今日には引いてくれるだろう。こんなときばかりは、自分の妖怪の血が有難く思える。
台所から戻って、ぼたんにコップと一緒に、俺の作った痛み止めの薬を手渡す。それを呑むとほっとしたらしく、幾分落ち着いたようだった。
「そうかい・・・ごめんよ。
私が暢気に寝ちまってたから、蔵馬に迷惑かけちまったね。」
「構いませんよ。
元々昨日は帰らないって、家に伝えてたから帰るつもりも無かったし。
外で夜を明かすより、ココに居れた方がずっと良かったですから。」
「ありがとう。
本当、蔵馬がいてくれて助かったよ。」
まるで赤子を相手しているような気分になった。こちらの好意に対して、それがまるで光が鏡に反射するように、そのまま返ってくる。少しむず痒いような、照れくさいような気分だ。幽助の周りの人と言うのは、皆こんな人たちばかりなのだろうか。無鉄砲で自分を省みずに、他人を気遣う。人が好すぎる気がするのは、きっと気のせいじゃない。幽助も桑原君も、そして彼女も。
「さぁ、もう少し横になっていてください。
動き出すのは、もう少し後からでもいいでしょう。」
「でも、蔵馬だって寝てないし、学校あるだろう。
私はもう平気だよ。」
俺はぼたんの体を支えて横たえると、上から毛布をかける。それでもなお起きようとするぼたんに、俺は肩を掴んでそれを阻む。
「俺は学校に欠席の連絡入れてますから、大丈夫です。
貴方は自覚がないかもしれませんが、額の怪我だから結構出血していましたよ。
だから、もうしばらくはゆっくりしていて下さい。」
「でも・・・・」
「休んで元気になったら、いやでもお仕事をしていただきますよ。
螢子ちゃんへの説明やら、桑原君や幽助の怪我の治療もありますし。
コエンマへの報告もあるんでしょ?」
「うぅん・・・わかった。」
額に手を当てると、すんなりと目を閉じた。やっぱり無防備すぎる。この状況では有難いのだが、なんだか少しそれは恐いとも思う。
人間にもそして妖怪にも、悪意を持つ者は必ずいるのだ。そんな奴らの罠にかかってしまうのではないだろうか。傷ついたりしないだろうか。今見ている笑顔が曇る時がくるかもしれない。それは余り考えたく無いことだった。でもそれを忠告するのは、気が引けてしまう。今の彼女達が悪いわけではないのだから、変って欲しくない。
ふと視線を感じた。いつの間にか目を開けていたぼたんが、俺を見ていた。額にあてていた手に、ぼたんの指が少し触れた。
「蔵馬。」
「はい、何ですか?」
「ありがとうね。」
言うだけ言うと、ぼたんは今度こそ目をつぶって、直ぐに微かな寝息を立て始めた。おそらく先ほど呑んだ薬が効き始めたんだろう。彼女の前髪をかき上げてなでる。
昔のことを思い出す。母の腕の傷。自分の痛みよりも先に、俺のことを気遣ってくれた、あの日のこと。そう、彼らはどこか母と似ている。何の打算も計算も無い優しさは、俺には無いものだ。俺はいつだって先のことを考えてしまう。何百年とそうやって自分の身を守ってきた。その習性は最早俺の血肉となって、切り離すことは出来ない。
でもこの人間界には、そんなものよりもっと大切なものがあると知った。そして、どれだけ欲しいと願っても、俺には手に入れることが叶わない。極悪盗賊と呼ばれ、欲しい物を手に入れるためならば、どんな謀略も罠も作り上げた俺でさえ、盗むことは出来ない。
指先に絡んだ水色の髪。こんなにも近い距離にいられる。許されている。信頼されている。
ここは、酷く心地よい場所だと思った。得ることが出来ないのならば、せめて守ることが出来ればいい。その為に俺の狡猾さが役に立つなら、それもいいと思えた。
END

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