本誌であんまり絡み無いのにね・・・ってそれは言わないお約束です。
初めて意識したのは、やっぱりタブーの回かな。
ぼたんの口を塞いだり、結構可愛いやり取りが多かった。
海藤がぼたんの魂を傷つけるといったときにぶち切れた蔵馬を見て、ぅうおおおそういうことかい!!!と突っ込みを入れた。
その後も、御手洗に手を差し伸べた回とか。
その辺りかな。
結構阿吽の呼吸があるんだなぁとか、この二人お似合いだなぁとか。
でも、多分それだけじゃないみたいだ。
この二人お互いのこと呼び捨てなんですよね。
・・・・いや、単純なことなんだけどね。
単純なんだけど、結構大事なんだと思うんだよ!!!
いや本当に!!!
実際、原作の公式というか、男女カプだけでも
幽助⇔螢子(呼び捨て)、一馬さん⇔雪菜さん(さん付け)と互いの呼び方は統一されている。
ちなみにこの二人は、蔵馬⇔ぼたんと呼び捨てなんだよな。
メインキャラは、ほぼ統一しているし、敵キャラにおいても、二人とも大体呼び捨てで統一。
違うかもしれない・・・と言うのがあれば、海藤、木戸、柳沢辺りだと思うけど、ここら辺を呼んでいる姿をぼたんが見せてくれてないので確認が取れないんだ。
ぼたん→幽助、桑ちゃん(桑原君)、飛影、蔵馬、螢子ちゃん、雪菜ちゃん、静流さん、幻海師範、コエンマ様
蔵馬→幽助、桑原君、飛影、ぼたん、螢子ちゃん、幻海師範、雪菜ちゃん、コエンマ
違うのは桑原とコエンマぐらいか。
でもぼたんちゃん時々桑原君って呼んでることもある。
しかもお互いのことは、呼び捨てにし合っている。
ちなみに他のキャラは、
幽助→桑原、飛影、蔵馬、ぼたん、螢子、ばばぁ
桑原→浦飯、飛影、蔵馬、ぼたん(ちゃん)、初期は雪村後半螢子ちゃん、雪菜さん、姉ちゃん
飛影→幽助、桑原、蔵馬、幻海、それ以外の女性キャラには大体貴様やらあの女。
螢子→幽助、桑原君、蔵馬君、飛影(君)、ぼたんさん、静流さん、(幻海)おばあちゃん
雪菜→和馬さん、螢子さん、ぼたんさん、
静流→和馬、飛影君、蔵馬君、ぼたんちゃん、螢子ちゃん、雪菜ちゃん、ばあちゃん
幻海→幽助、桑原、飛影、蔵馬、ぼたん、螢子ちゃん、雪菜、静流、コエンマ
コエンマ→幽助、桑原、飛影、蔵馬、ぼたん、雪菜、静流、幻海
呼ばないものは、解らないんだけど、覚えている限りではこんなぐらいかなぁ。
アニメで探したんだけど、殆ど記憶頼り。
ぼたんと異性で比べてみて、一番差異がないのが、蔵馬なんですよね。
桑原への呼び方にちょっと差異がある程度と、コエンマへの様付けぐらい。
蔵馬と異性で比べてみても、やっぱりぼたんが一番近いと想いました。
コレを受けて。
でもって、ココで気になるのは、蔵馬なんですが、蔵馬って女性キャラを呼び捨てにしているのって、ぼたんだけなんですよね。
年下だろう女性の螢子に対してはちゃん付け。
静流さんに対してなんて呼んでいるかが不明だったけど、やっぱりさん付けのイメージがある。
他のキャラも静流に対してはさん付けだし。
幻海師範のようなかなりの目上に対しては、敬称というか位名をつけてる。
本当だったら、蔵馬だったら、ぼたんに対してはさん付けでもおかしくないと思うんだ。
肉体年齢で言えば、ぼたんの方が上だろうし。
あのフェミニストっぽい蔵馬が、女性を呼び捨てって、結構凄いことだと思うのだが、どうなんだろう。
他のキャラもぼたんって呼び捨てにしているからかな?
思えば螢子ちゃんに関しては、螢子と呼び捨てにしているのは、幽助ぐらいかな。
でもさ、桑原のことでさえ、未だに君付けの蔵馬が、幾ら仲間だからと言っても、ぼたんが呼び捨てと言うのに、ちょっと突っ込みを入れてみたくなる。
一概には言えないとは思うけど、呼び方って、その人との距離なんだと思う。
呼び捨てにするとか、あだ名で呼ぶって、それを許されているってコトであって、それだけその人との距離の近さなんだなぁって思う。
まぁ長く時間がたつと、呼び方って変えられなくなるものなんだけど。
でもそれだけに呼び方って、最初のその人との距離と言ってもいいのかもしれない。
つまり蔵馬にとって、ぼたんは最初からそれ程近しい距離にいたということなのかもしれない。
考えてみれば、最初から蔵馬が妖怪だって知っているだけでも、人間の知り合いよりは近い距離といっても間違いではないかもしれない。
ちなみに、私なんて友達殆ど全員苗字+”さん”付けです。
・・・・・いや、まぁ癖に近いけど、余り呼び捨てだとか、あだ名が好きではなかったし、私自身秘密主義なところがあって、自分のことは話したがらない傾向にありました。
でも、未だに私の友達は、私を苗字+さん付けで呼んでくる奴は居なかったりする。
大体名前で呼び捨てか、あだ名で呼ばれることが多い。
・・・・まぁ習性みたいなもんです。
それに他人への呼び方って、結構うつるんですよね。
私の母親なんて、私の友達に対する呼び方は、私の呼び方(+ちゃん付け)です。
・・・勘弁してくれ。
そこらへんを考えると、蔵馬の女性に対する呼び方がぼたんとまったく一緒というのは、ぼたんからうつったのではないか?と言う憶測までしたくなる。
もしくは、二人とも他人への距離感覚が似ているということか。
どちらにしても萌えるなぁと思う。
かなり細かいことなんだけど、結構こういう小さなことが、嬉しかったりもします。

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