さて、なんだかんだ書きながら、昨日書いたのって、結局それぞれへの考察じゃねぇの?カプ論じゃねぇだろうと思いもうちょっとカプっぽく考えてみた。
銀新って嵌った中では、風光るの沖セイにやっぱり近いのかもしれないなぁ。
師匠と弟子、忠誠、武士なんてキーワードは丸々だもんな。
どっちも話の底辺にあるのは明治維新だしな。
銀時にとっての新八は庇護の対象でありながら、甘えられる相手でもある。
むしろ故意に甘えているのかなぁと。
銀さんって、スッゴイ器用そうだよね。
でなきゃ万事屋やろうなんて考えないだろうし、ちょっと思考がぶっとんでいるというか、デリカシーとかが欠落しているけど。
だらしないけれど、大体は出来るだろう。
新八がくるまでは一人で気ままにやってたんだろうし。
でもあえて新八にやらせることで、なんかこう自分のスペース内に新八の場所を作ってあげているというか。
食卓で新八の場所、神楽の場所、っていうのが万事屋の中に作るみたいな。
今まで丸々銀さんのテリトリーだったのに、そこから荷物をちょっと捨てて、新八と神楽のスペースを作った。
それは銀さんには凄いことなんじゃないのかなと思う。
元々あったものは、空っぽのダンボールかな。
何を入れても良いけど、いつも空っぽで、時々知り合った人とか依頼とかがそこにぽろんって入ってくる。
でもそれは終われば、ペイって外に出して、また空っぽに戻る。
その繰り返して使ってきたダンボールを、銀さんは少し捨てて、新八と神楽ちゃんの場所を作った。
今までは空っぽだったから、邪魔だったらちょっと動かして、別のダンボール箱の上にでも重ねてたけど、新八と神楽はそうは行かない。
動かないし、ずっとそこに居るし、しまいにゃ自分達でちょこちょこと居場所を増やしていくし。
銀さん的には、あぁあもうこらてめぇらうごくんじゃねぇよ!!!と言いたい感じ。
でもじゃあ捨てようかって言う気にはなれないというか。
捨てるのは多分出来なくはないんだけど、でも捨てようとすると、きっと神楽と新八はスッゴイ嫌がるし、泣くし、悲しそうだし、だからそれはいやな銀さん。
昔は仲間が捨てられず守ろうと思って、闘ってきて這いずってきたけど、結局守れなかった。
だから、せっかく守れるかもしれないものを自分から手放して、それが悲しむのが凄くいやだなぁって思う。
甘えるって言うのは、そういう行為の現われなんじゃないかなぁと。
甘えるというか任せているというか。
じゃあなんで神楽ちゃんじゃなくて新八なのか?っていうと、ココは微妙なんだけど。
新八と神楽は銀さんに対するかかわり方は凄く似ている。
どちらも家族と言うカテゴリだし、仕事の仲間になるのもどっちも押しかけ仲間。
そしてどちらも銀さんに対して、得られなかった父親像を求めているように見えます。
神楽ちゃんにとっては、いつも傍に居てくれることのなかったけれど強い父。その分傍に居て欲しい、離れたくないと言う気持ちも強い。
一方新八にとっては、武士という物にこだわり続けた父の姿。ちょっと頼りない父でもあったけれど、もちろん嫌いでもなかっただろうな。
そして銀さんはそんな2人のリクエストにバッチリ応えているんですよね。
神楽ちゃんには、強くそしていつも傍に居て、神楽ちゃんが無茶や我侭を言えば叱りもするけど、欲しがるものに関しては可能な限り上げたりもする。
新八に対しては、信念はしっかりと持っていている武士として接して、その背中を見せることで、新八を育てている。頼りない部分を示すことで、新八の居場所を作ったりもしている。
コレが故意なのか、天然なのかは不明。
でも銀さんは発信はしないけれど、受容は大きそうなんだよな。
アンバランスすぎて、ちょっと危ないなぁって思うけど。
じゃあこの関わりで新八と神楽で違いがあるかというと、ちょっとしたことなんだけど、あくまで神楽ちゃんは家族・仲間という分類だけど、新八はそれに加えて武士であり、そこにはしっかりとした上下関係が存在しているということかな。
そこらへんが神楽ちゃんはけっこう緩いし、おそらくココは結構銀さんも故意に緩くしているのかな。
自分に荷物をちょこっと持たせたり手伝わせたりして、強くして、新八のプライドも尊重したりする。
上下関係というとなんか凄く重たい嫌なものと言う印象もあるかもしれないけど、私自身は成長過程にはやっぱり必要なんでないかと思う。
守られるからこそ、守ろうとするし、教えられたから教えられるものだと思うし。
銀さんも松陽先生に教わって守られてきたからこそ、守ってやれるんじゃないかな。
そういえば、松陽先生のあの本、本当にもうないのかな。
アレ、新ちゃんに上げるとかそういう話があれば、私は嬉しいんだけど。
ちょい話がずれたけど、銀さんにとっては、やっぱりそういう侍としての繋がりは家族としてのつながりとは別で、ものすごく大きい強いものなんじゃないだろうか。
銀さんの弟子である新八は、いうなれば松陽先生と共にあったころの自分。
つまりは、新八っていうのは、銀さんからしてみると過去の自分。
銀さんが新八を大事にしたい、育てたい、と言う気持ちは、松陽先生に大切にされていたことをなぞることであり、同時に過去の自分を大切にする気持ちなんじゃないかな。
そんな弟子の新八は、実戦経験こそ足りないけど、一途だし、自分が言う雑用もこなしてくれるし、自分が2人を手放そうとすれば、ダダを捏ねるし。
でもそんな駄々がやっぱり銀さんは嬉しいんじゃないかな。
必要とされているんだから。
重き荷を負うて行くが如くというのは、正にだよな。
なんかだって、春雨編の帰りで、首根っこに引っつかまれて2人を背負って帰っていく銀さんは、文句言いながらもスッゴイ嬉しそう。
重いなちきしょうって、いうのは、なんだか”重いのになんで手放せられねぇんだよちきしょう”っていうことなんじゃないかなぁとか。
可愛いなぁ、スッゴイ可愛い。
あの時の俺の国の俺の物発言も凄いぞ。
あんたの物なんかいぃいいい!!と突っ込みいれたくなったのは、私だけじゃあるまいよ。
銀さんは確かに仲間を守るために闘ってきたんだけど、それでも欲しかったのはその仲間達と過ごす平穏な日々だったんだろうな。
でも守れなくて、仲間なんてなくなって、一人でいたところに現われたのが、新八という新しい仲間。
侍として、仲間として、家族として。
ずっとずっと欲しかった”仲間と過ごす平穏”。
それをくれたのが、新八なんじゃないかなぁ。
そりゃ可愛いと思うし、大事だと思うよな。
銀新のというか、銀さんの根底にあるのは、そういうものなんじゃないかな。
ついでに言っちゃえば、まぁ同性っていうのは、あんまり気にならないだろうな。
まぁそりゃ柔らかいおねえちゃんが好きだろうけどね。
なんせこの人戦乱経験しているお侍さんだし、史実では武家・僧門はそういうなのはOK社会だし。
基本女人禁制の世界だしね。
例外はあるだろうけど、妻帯はあるし、事実婚みたいなのはあるだろうしね。(妾とかね)
ついでに言えば、お妙さんも問題ないだろう。
お妙さんがあえて言うのなら、ネックになるのは、銀さんの収入面での不満であって、同性であることに関しては、問題ない。
なんせ、お妙さん自身が九ちゃんと結婚しようとしたぐらいだしね。
これはなんていう免罪符なんだか。

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