ネウロのアイさんのことを思い出しました。
人間は出来ないものがあるといって、絶望していたアイさん。
でも、やっぱりそんなこと思う必要は無いと思うんです。
きっと青いバラを作ろうとした人は多く居たんでしょうね。
一杯研究して、一杯失敗して、それでも考えたんでしょうね。
きっと青いバラを作れなくて、そのまま死んでしまった人も居ただろうし、途中で止めてしまった人も居たんだろうな。
でも、そんな人たちが居て、それでも時代を渡って、研究をする人がいて、だからこそ出来たんじゃないかなと想います。
出来ないって言われて、それでも研究して、できる方法を模索して。
きっと笑われることもあったんじゃないかな。
出来ないって言われてることを、やっているんだから。
昔の飛行機の試作品とか失敗作とか、有りますよね。
腕に羽のようなものをつけて、飛ぼうとしたりしてる。
今から見ると笑ってしまうかもしれない。
きっと当時の人も笑ってしまってかもしれない。
でも、今人間は飛行機を作った。
でも飛行機を作れたのは、実際に完成させた人だけじゃない。
それまでに失敗して、挫折して、出来ないって悩んで、笑われて、そんな教科書に名前の載らない人が居て、初めて出来上がったものなんじゃないでしょうか。
今当たり前にあるものだって、きっと昔の人には、出来ないって思ってたものが山のようにあると思う。
ネットだってそうです。
昔のそれこそ電話も無かったような江戸時代の人は、今のネットとかなんて出来るなんて思ってもいなかっただろうな。
でも、出来たんです。
凄いですよね、進化。
ネウロに言う進化って、私、人のという種の中にもあると思うんです。
出来ないって言うことを、一人ひとりでは短いかもしれない人生を繋いで、受け継いで、そうやって長く長く育んでいく。
それが人間の進化なんじゃないかなぁって。
実は、最近ちょっとへこんでました。
自分のあまりにもの不器用さと、頑なさに。
どうして私はこんなにも人の話を素直に聞けない人間なのかと。
昔の恩師に注意されていたことだけに、凄く情けなくて、悲しくて。
まだ直って無いんだなぁと思うと、凄くへこみました。
教習所でね、先生の言うことがどうしても納得できなくて、でも先生の言うことが正しいって解っているのに、何か納得できないようなそういうもやもやしたものがあったんです。
腹が立つんだけど、先生に怒るのはお門違いなのは解っていて、でもどうしようもなくて、出来ない自分にも腹が立って、素直に聞けない自分が何より腹立たしくて。
まして不器用だから、言われても癖とかが直ぐ直せなくて、一遍に言われると混乱したりとか。
不器用で、頑固で、そういう自分が嫌いなんですよね。
それを自分なりに反省したりとか、どうしてそういう癖がついたのかとか、実は昨日散々自分で考えてたんです。
どうして、そうなるのか、癖だけじゃなくて、その時自分は何を考えているのかとか、イロイロ考えて、なんとなく原因とかがわかってきて。
そうすると、先生の言わんとすることが、やっと納得できて。
すると今日はちょっとマシになって。
ちっちいことですよね。
きっと他の人はスイスイ~っとできるんでしょうね。
でも私は、人一倍不器用だから出来ないんです。
ちゃんと納得して、理解しないと駄目なんです。
一つ一つでないと出来ない。
きっと何でもちゃっちゃかできる器用な人から見れば、亀かカタツムリなみたいにどんくさいんだろうけど。
ちなみに良く家族や友人からもドンくさいといわれるんだけど。
本当は、何でもスイスイ出来ればカッコいいんだけどなぁ。
憧れるんですけどね、そういう人に。
でも、きっとドンくさいし、中々直ぐには出来なくても、きっとできるようになるんじゃないかなって想いました。
青いバラの話を考えてたら。
何事にもね。
それは、教習だけじゃなくて、もっと他のことでも。
出来ないこととか、解らないことが駄目じゃない。
諦めることも駄目じゃないと思う。
一生懸命やって諦めなきゃならないときだってあると思う。
だからきっと駄目なのは、出来ないってことを決め付けること。
出来ないって決めつけて、やる前から諦めること。
やったことに、価値の無いものなんて、無いと思うから。
それは凄く勿体無いことだから。
青いバラの話を見て、この記事書いて、なんだか自分でも気持ちの整理がついた感じがします。
ということで、明日も教習頑張ってきます!!!

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