春川とHALの目的について。
弥子ちゃんが、くだらないといったこと。
色々な感想サイト様が、このことを書かれているのを見ているので、私も少し書いてみたいと前々から想っていました。
ですが、話が完結するまで、批判的な意見も、肯定的な意見も書くべきではないという自身の考えもあって、かきませんでした。
実際、私もこの台詞には、酷く違和感がありました。
これは、弥子ちゃんが最初にくだらないと言ったときにも、少し書いているんですけど。
弥子ちゃんにしては、珍しく攻撃的な台詞だったので、強く印象に残ったのかもしれません。
人を受け入れるのがこの子の特性ですから。
ただ、私個人の意見を言わせてもらえるなら、私はこのくだらないという意見は、理解できます。
私がもし弥子ちゃんの立場であれば、やはりくだらないと思う。
言えるかどうかは解らないし、難しいかもしれないけど、言えればいいなと思います。
言えた弥子ちゃんが、凄いと思った。
少し感想と離れるかもしれませんが、書きます。
私は人間や生き物には、みんな魂というものがあると思っています。
魂が有るから、生きているといってもいいかもしれません。
だから、私は歌や絵や音楽、建築物でも、誰かが作った何かというものがとても好きです。
私は芸術には無学な人間ですが、それでもそんな無学の女がそれに触れて強くひきつけられるものには、きっと魂が込められているからだと思うのです。
キャラクターもそうです。
作者が心を込めて作られたものは、本当に活き活きとしているから。
では、魂がどんなものか。
きっと人それぞれ違う考えだと想いますが、私の考える魂は、心の奥にある自分でも気づかない。
でも、自分の根底の判断をするものが魂だと考えています。
自分でもよくわからないけど、とにかく惹かれたり、逆にどうしても嫌悪したり。
でも、だからこそ、魂って人の作れるものじゃないと思っています。
魂を込めるということは可能だと想います。
でもそれは、あくまで自分の魂を込めるのであって、やっぱり新しく魂を作るというのとは違うと思う。
しちゃいけないと思うのです。
そんな簡単なものであってほしくない。
だからこそ、どの人間にも価値があって、大切で、命は尊くて。
そして、自分の魂を磨こうとする。
それがもしかしたら、ネウロの好む進化ではないかと想います。
陳腐な言葉でしか表現できない、自分の稚拙さが情けないですが、私にはそうなんです。
だからこそ、春川のしたことが、私にはくだらないんです。
だって、春川は、彼女を作りたかった。
人、魂を持った彼女を作りたかったはずなんですから。
けして、魂を持たない彼女を作ろうとしていたはずではないと思う。
だって、春川が愛したのは、確固とした自分を持った刹那さんだったんですから。
もちろん、弥子ちゃんや春川のように、私にだっています。
25年間生きてきていれば、人の死にはどうしたって出会います。
それにこれからだって、好きな人がもし亡くなったら、自分の子供がそうなったら、私はきっと春川と同じように、願うと想います。
何をしてでも、その人に戻ってきて欲しいって。
自分で作れるなら、作りたいって思う。
きっと思う。
そうしたいという気持ちは、誰にだってあることだと想います。
まして、それに近い技術が私にあるなら、きっとする。
でも、だからこそ、誰かにコレがくだらないって言って欲しい。
そう言って、私を止めて欲しい。
だって、私はそれが間違いであることを知っているから。
私を殴って、叩きのめしてでもいいから、誰かにくだらないって言って欲しい。
そして、自分の大切な人が、もしそんな間違いをしようとしているなら、私は止めたい。
弥子ちゃんが、どういうつもりで「くだらない」といったのか、今の私には、まだ理解しきれてないかもしれません。
ただ、私には、弥子ちゃんがただ不可能だからくだらないっていうだけじゃなくて。
春川を止める誰かになってくれたのじゃないかなと想います。
春川の心を受け入れているからこそ、言ってくれたんじゃないかなって。
きっと、最初に教授の授業テープを見たときは、ただ不可能だからくだらないって想ったかもしれないけど。
そこから、調べていくうちに、だんだんそうおもったんじゃないかな・・・と。
「不可能でも間違っていても、したい気持ちはわかるよ」って言うのは出来ます。
きっと、思う人なら、誰でもいえます。
でもそれじゃ、誰も守れないんです。
国の人も、自分の大切な人も、何よりHALも助けることは出来ない。
今まで春川を止める人はいなかった。
だって、春川の世界は、0と1の世界で、その心にいたのは、刹那さんだけだったから。
でも、刹那さんはもう死んでしまって、春川の心には、彼だけしかいなかった。
だから、自分を止めることが出来なかった。
だからこそ、弥子ちゃんは心を鬼にして、あえて本人に、くだらないと断罪した。
あの、治療薬と自爆ボタンを押さしたときのあの言葉が、それを肯定している気がします。
もし、そうだとしたら、これは、作者からのメッセージなのでしょうか。
間違っていることでも、駄目なことでも、したいときとか、せずにはいられないときって誰にでもあると思う。
でも、それでも誰かがそれを「間違っている」って言ってあげるべきなんだって。
大事な相手だったり、大切な人だったりするなら、なおさら言ってあげないといけないよって。
そして、そういう風に言ってくれる誰かがいることが幸せだって。
きっと、コレこそ誰にでも当てはまることなんじゃないでしょうか?
最近のイジメでの自殺、投書などの件が、私の頭をよぎりました。
加害者、被害者、自殺、環境、理由。
その全てに、このメッセージが、必要なのではないでしょうか?
もちろん、コレだけで解決するとは思えませんが、必要だと想いましたし、私自身にも改めて考えさせられました。
弥子ちゃんは、普通の子で、読んでいる人は、ネウロより弥子ちゃんに感情移入をしていると思う。
だからこそ、弥子ちゃんに言わせたんじゃないかな。
皆がそう言えるように。
だから、ネウロにくだらないと言わせるんじゃ駄目なんです。
例えば、ドーピングコンソメ編のように、ネウロが「人を作るなんてくだらない」っていうじゃな駄目なんです。
人を理解していないネウロじゃHALには届かない。
人を知って、人を受け入れる弥子ちゃんだからこそ、そんなことが「くだらない」って言わなきゃいけなかった。
でなきゃ届かなかった。
他人を断罪するのは、とても勇気がいるし、辛いことです。
人の考えを否定するのは、受け入れるのと同じように大変なことです。
思い返せば、弥子ちゃんは犯人を受け入れても、それを許すことはしていなかった。
アヤさんの件も、理解しても、どうしてこんなことしたのかと言ってた。
ヒグチちゃんのときも両親の件は、事故でしたが、洗脳されていたときも、こんなことしちゃ駄目だって言ってた。
コレがどれほど辛いことなのか。
どれほど勇気のいることなのか。
私は、自分が出来る自信がないからこそ。
弥子ちゃんが優しい子だと思うからこそ、余計に私は悲しくて堪りません。
HALが嫌いだとはいえません。
ですが、私は、HALや春川を好きだとは、いえそうになくなりました。
最後に、刹那の時に彼女と会うことが出来たHALは幸せだったでしょう。
ですが、そのためには、弥子ちゃんにとんでもない傷とつけたからです。
第三者からみて、HALが自分のしたことで、自分が傷つくのは自業自得だし、なにより自身でも納得済みのことだと想います。
でも、弥子ちゃんは、本当にただ傷ついたんです。
否定できないHALという人格を、自分の手で壊した。
自分が殺したと想っても不思議は無い。
ネウロや大切な人を守りたい自分のために、HALを殺した。
ただ、HALも大切な人と会いたかっただけなのに、そんなHALを殺した。
正直、全てを終わった今だからこそ想います。
ネウロだったら良かった。
ネウロがパスを解いて、HALと対決して、HALの自爆ボタンを押して。
そうして、ネウロがHALに「くだらない」といえば良かった。
それだったら、誰も傷つかないかもしれなかったのに。
どうして、それが、弥子ちゃんだったのか。
それが、悔しいです。
弥子ちゃんだからこそ、言わせたのだとしても、あまりにも彼女がかわいそうで。
原作のネウロは、食欲優先で、人間の価値は、謎をはやす畑だと想う男です。
それなら、ネウロだったら、動機も気にしなかっただろうし、こんな罪悪感を背負うことはなかったんじゃないか。
大体、ネウロの食事なんですから、どうして弥子ちゃんが、こんな悲しい思いをしなきゃならなかったのか。
あの優しい弥子ちゃんに、なんでこんな思いをさせなきゃいけなかったのか。
大切な人を亡くす悲しみを知っている弥子ちゃんに。
でも、同時に、もしネウロだったとしても、やっぱり結果は変らなかったとも想います。
やっぱり、弥子ちゃんだからこそ、あのパスを解けたんです。
どうしても、弥子ちゃんは罪悪感を背負うことになったでしょうし、ネウロが解いていれば、させてしまったと想うかもしれません。
人を受け入れるからこそ、人を断罪する。
この件で、弥子ちゃんがどれだけ辛かったか。
あの涙を見ると、悲しくて辛くて。
そして、弥子ちゃんが受け入れて決めた道が、どれだけ苦難の道なのかと想います。
来週のことは、明日か、どちらにせよ、感想その3で書きたいと想います。
が、ただ、来週の弥子ちゃんがどうなっているのか。
笑ってくれているのか。
心配でしょうがないです。
ただ、それでも私は、このくだらないという言葉で、今までよりもっと、弥子ちゃんが好きになれたような気がします。

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