もうすっかり夕日も暮れきった道を、銀時は一人とぼとぼと歩く。躊躇いがちに出される足は、ゆっくりと動く。通り過ぎる人は皆、自分のことで手一杯だ。夕餉の支度の為に足早に歩く女性、スーツを着込んだ男は、携帯で今夜は残業で遅くなるなどと嘯きながら、同じ会社仲間らしき男と目当ての飲み屋を探す。みんながそれぞれの場所に向っている。だが今の銀時には、それらの人間が全員自分を見て笑っているのではないかと言う気がした。あまりにも持ちなれないものを持っている所為で。
思わず銀時は、その手持ちの物を道にでも投げ捨ててやろうと言う気持ちになった。だがその度に、家で居るだろう、新八の顔や先ほどそれを綺麗に着飾ってくれた娘の笑顔が頭をよぎり、振り上げたくなる手を、心の中で押さえつける。そんなことを何度も何度も繰り返しながら、銀時は新八の待つ家を目指す。
何故銀時がこんなことをしているのか。
それを知るためには、昨日にまで話は遡ることになる。
Let's make a pass at the wife again. 話の始まりの時、銀時は居酒屋に居た。そこに同席していたのは、飲み屋の老いた亭主とその妻。そして飲み仲間の一人、長谷川だった。
この長谷川という男、銀時にとっては、仲が良いというよりも、既に腐れ縁といった方が早い男だった。不器用で人が好く、詐欺師に見つかれば一生カモられそうだと言うのが、銀時の言。しかしだからと言って銀時が嫌っているわけでもなく、長谷川が痴漢容疑で捕まったときは、下手を打てば自身さえ危うくなるのも覚悟で、弁護士と身分を偽り、長谷川の無実を証明したこともある。新八や神楽、定春と言う家族でもなければ、戦場を共にした血盟の仲間だった桂達とも違う。平和の世で結びついた腐れ縁と言う名の友達だった。
そしてこの長谷川と言う男の良さは、その不器用なまでの実直さだけではない。この男、普段の姿からは想像が出来ないほどの愛妻家であった。その妻ハツとは身分を越えた恋愛結婚をしており、子供こそ居なかったが、妻を心から愛しており、何より彼女に対して敬愛の念がある。そんな男に愛された妻も、また心優しい女性だと銀時は知っている。
何故、銀時の不審な行動に長谷川の愛妻の話が出てくるのか。それはことの発端が、この長谷川の一言から始まったからだ。
「それをさぁ、ハツの奴すっげぇ喜んでくれたんだよ。」
「へぇへぇ~そいつはようござんしたなぁ。」
ちびちびと店一番の安酒を口に含みながら、銀時は相槌を打った。既にビールを一人で2本ずつジョッキで空けており、その時点であまり酒に強くはない銀時は、酔っていた。だが普段から呑めば泥酔が基本のこの男。そこから冷酒に切り替えて、徳利で二本目に入っている。それでもこんな返事が出来ているのは、珍しいぐらいだ。
「別に特別な日ってわけじゃないんだぜ。
でもこの間の裁判の一件じゃハツにも心配かけちまったし。
っても、俺金ねぇし。」
そう言って、長谷川はうな垂れた。確かに長谷川には金がない。それどころか仕事さえ中々定まらない始末だった。それでも長谷川はけしてめげない。それもまた、長谷川の良いところであり、店主とその妻はそんな長谷川を暖かな視線で眺めていた。
「でもさ最近なんていうの、こうキラキラした石っぽいのが売っててさ。
それで色々作れる見たいし、やってみたんだよ。
そんなに高くなし、本買ってさ、ちまちまやって作ったんだけど、やっぱ下手くそでよ。
ほら、俺銀さんみたいに器用じゃねぇし。
で、出来上がった奴見たら、なんか見本と違うじゃん。
何度も練習して、そんで1個だけ一番上手く出来た奴を、やったんだよ。
指輪。
一応な、なんか偉くでっかくなっちまって、親指にしか入らないような奴だけど。
でもそれが一番形が良かったんだよ。
そしたらよ・・・ハツ泣いてたんだよな。
泣いて、喜んでくれたんだよ。」
長谷川は、酔いで真っ赤な顔をしながら、得意げに微笑んだ。もう殆ど閉じられたままの瞼の裏には、そのときの妻の顔が浮かんでいることは、銀時の目にも明らかだった。
長谷川にとっては、幕府の要職についていたときの昇進より、今の無職続きの中の就職決定より、愛すべき妻が喜んでくれる。そのことが何よりも誇らしいことだった。そしてハツにとっても、金のある男から与えられるブランド物の贈り物よりも、見目の良く地位のある人からの愛の言葉よりも、無職で、けして要領が良いとも、見目が良いとも言えない男からの形の崩れた指輪が何よりも嬉しかった。
ハツは長谷川泰三を誰よりも理解していた。けして素直とは言い難く、男気に拘るだけあって、女性に対して気の利いたことをいえる男ではない。だがそんな男だからこそ、ハツは惚れた。三十路も越えた男が一人、手作りアクセサリー作りの本を買うなど、どれほど恥ずかしかっただろうか。それでもそれを越えて、自分なりに必死に愛してくれている。そんな不器用な男を愛した。
「そりゃ嬉しいだろうよ。
女ってものは、そんなもんさ。」
皺の寄っていそうな声が、穏やかに言った。店主の家内はその視線をいつの間にか席を立ち、刺身を作っていた旦那に向けた。その仕草に、銀時は彼も似たようなタイプだったことを思い出した。だからこそこの店は、二人が呑むときによく使っている。着飾った内装でもなければ、流行の音楽もない。今もBGM代わりのテレビが野球を流し、お酌をしてくれるのは、店主の妻一人だけ。流行ってもいないので、いつも店は、長谷川達以外には数人だけだ。しかしそれでもこの店は、温かみがあり、料理も美味く、何よりその妻の笑顔はこの店にとても馴染んでいた。
「そんなもんかねぇ。」
「そんなもんだよ、銀さん。
男の甲斐性ってのはね、金だけじゃないだよ。
そりゃあるに越したことはないけど、それだけじゃ逆に恰好が悪いね。
例え世界中の人間に笑われたって、惚れた女に魂こめて惚れたといえなきゃ。
それができりゃ、どんなに不細工で金が無くて、世界一の馬鹿な男でも、女はグラっといっちまうもんさ。
まぁ、そんなんに惚れちまう女も、きっと世界一の馬鹿なイイ女だろうけどさ。」
そうして、ケラケラと明るく笑う。それは銀時にはとても幸せそうに見えた。
「で、お宅が言われたのは、何年前?」
揶揄するような口調で言えば、妻は唇を少し上げて、強かに笑った。
「馬鹿をお言いで無いよ。
毎日言われてるさ。」
女と言うのは、男が一生敵わない生き物なのだと、銀時は改めて思い知る。カウンターに座ったまま、厨房にいる店主を見れば、苦虫でも噛み潰したような顔をして、我武者羅にキャベツを千切りしている。おそらくそんな仕草や言葉の端々。そういったものに、妻への愛情がにじみ出ているのだろう。言葉にもならない、それを汲み取れるのだから、やはり女と言う生き物は強かだと感心する。
だが、その会話はその後なんとなく話題が変ってしまった。そのままその後も呑み続け、長谷川と二人、店の前で別れたのはその数時間後だった。
もう夜も耽り、さすがの歌舞伎町でも客を惹くネオンが静かな色合いに変る頃には、人通りも少なくなっていた。そんな中を一人でとぼとぼと歩いていると、また先の会話が、銀時の頭の中で思い出された。いや、正確には、会話と一人の子供の顔が思い出されたのだ。
子供を、志村新八。銀時が営む万事屋と言う会社で、銀時の助手をしている。会社と言っても、いつも仕事があるわけでもなく、仕事がないとき、助手の新八はまるで一家を切り盛りする母親のように、1日を家事で終わらせてしまう。掃除、洗濯、食事の用意に買い物。そんなことが続き既に2年が過ぎた。だがその2年で、新八は何時しか銀時の中でただの助手でも、仲間でもない者となっていた。
はっきりとした切欠は、銀時も覚えては居ない。しかしきっとそれはあったはずだ。だがその感情は、銀時が自覚するよりも先に根付き、気付いた時には最早取り返しのつかないものに成長していた。
それからの銀時の行動は、何の迷いも無かった。好きだ惚れたと新八に言い続けた。まるで馬鹿の一つ覚えかとでも言うように、場所も廻りにいる人間も構わず言い続けた。
新八から爛れた恋愛しかしていないと言われたが、だが逆を言えば爛れた恋愛は幾つもしてきた。甘い言葉の応酬や駆け引きの手練手管もそれなりに備わっている。だが、そのうちの一番初歩的な手を、銀時はあえて選んだ。
新八は優しい。その優しさは育ちゆえというのもあるが、大元は生来の物ではないかと銀時は思っている。人が好く、素直だ。だからこそ、信頼している銀時の好意を無碍にすることは無い。決定的な拒絶をされる可能性はゼロ。それならば、銀時が好きだと言えば、新八は嫌いではないと答えるだろう。嫌いではないと好きは、とても似ている。それで充分だった。
両親に先立たれて数年。苦しい生活の中姉弟二人で生活をし、廻りに大人が居らず、甘えることを許されなかった。バイトでも上手く行かなかった新八は、とにかく自分への理解者に弱い。ならば教えてやればいい。新八の好い所を銀時が思わずほれてしまったところを、一つ一つ言葉で教えてやる。
その銀時の目論見は見事に的中。銀時の好きと言う言葉に、最初は抵抗していた新八もついには縦に頷き、銀時は新八を射止めた。それからも二人の関係は概ね良好だといえるものだった。もちろん喧嘩をすることもあるが、二人が決定的に離れることは無かった。
だからこそ、今日の店主の妻の言葉は、銀時に小さな棘を突き刺していった。
銀時は新八に今まで数え切れない告白をしてきた。好きだといい惚れたといい、閨の中では耳を落としたくなるほどの甘ったるい言葉も言った。だがその言葉に魂がこめられていたかと問い返せば、自信が無かった。
嘘を言ったとは思っていない。だが、どんなに好きだといっても、言うことに銀時は恥らったことが一度も無かった。正確には、そんな姿を新八に見せたことが無かった。だからと言って銀時の中に恥じらいが無かったわけではない。ただそんな姿を見せることの方が、恥ずかしかった。まるで思春期の少年のように、好きだ愛しているの言葉に恥じらいを見せることの方が恥ずかしい。三十路手前の大人の男としては、そちらの方が大きな問題だったのだ。そんな見栄の張った言葉を、真実といえるのだろうか。魂が篭っているといえるのだろうか。自分は真実を、彼に伝えてきたのだろうか。
「・・・ばっかみてぇ。」
ため息を吐き、銀時は夜空を見上げた。外灯がチカチカと点滅をしている。夏の夜風は温くて、それが逆に銀時をわびしい気持ちにさせた。
翌朝、銀時はいつもと同じように新八に揺すり起こされたことで、早速後悔から始まった。銀時は掛け布団に顔を押し付けて後悔に、魘されていた。そのときばかりは、神楽の”いつまでも酒臭いマダオが”という吐き捨てられた言葉が、真実に思えたぐらいだった。
その日の朝食の当番は銀時だ。だが、その当番制はあってないようなもので、殆ど新八が作っている。なので今日はちゃんと銀時が作ろうと思っていたのだ。きっと新八は驚くだろうが、悪い気はしないはずだろうと考えていた。
そう、銀時は長谷川のように、新八に何か喜ぶようなことをしてやり、贈り物をし、そしてもう一度告げるつもりだった。いつものように恰好をつけずに、魂から惚れているのだと言いたかった。その機会は、昨夜の深酒で一つ寝過ごしてしまったわけだが。
だからと言って、このまま不貞寝するわけには行かない。二日酔いの頭に気合を入れなおし、服を着替えて朝食を食べる。普段よりすんなりと起き出して来た銀時をいぶかしんだ新八だったが、首を一度傾げるだけで、特別何を言うわけもなく家事に戻っていった。
銀時は、今日一日が猶予だと決めていた。もし今日中に言えないようであれば、それは新八を好く資格がないとさえ考えていた。店主の家内が言った言葉。それが頭をよぎる。惚れた女に魂こめて好きだと言えない男は、恰好が悪い。金も無ければ、見目が良いわけでもない。新八とは、歳も離れていてオッサンと呼ばれるのも数年の話だ。この上恰好が悪いなど目も充てられない。新八の為に、何より自身の男としての誇りの為に、銀時は、既に後15時間ほどになっている今日一日に賭けていた。
血走りそうな目で、ご飯を睨みながら食べる銀時の気迫に、新八がいぶかしむを通り越して、少し怯えていたのだが、それに気付けるほどの余裕が、そのときの銀時にあるはずも無かった。
夜道で、銀時がそれを手にして挙動不審に歩く6時間ほど前。銀時は同じ道を歩いていた。ただし歩いてる方向は逆。同日の時刻は既に14時を回っている。今日中に新八に告白すると決意した朝から5時間が経過していた。その5時間、銀時がしたことと言えば、ひたすら新八を睨み倒したことと、新八に呼ばれて、高い棚の上にあるものをとってやったこと。そして新八が作ってくれた冷麺を食べたことぐらいだ。
そんな5時間に危機感を覚えて、とにかく銀時は外へ出た。銀時のあまりの気迫に居た堪れなくなった新八が、昼食後すぐに買い物に出かけた。そのときも原付を出そうかと申し出たが当然断られた。そそくさと出て行く新八を見送って、思わずため息を吐いた。しかし家にいたところで、何の解決もしない。せめて新八に贈る物を探すべきだと、銀時は外へ出たのだった。
広い通りには、店が並んでおり、銀時はその軒先を覗きながら、歩いて行った。だが何を贈ればいいのか、まったく思い浮かばない。
新八が喜びそうなものと言われて、真っ先に思い浮かんだのは、お通のグッツだった。だが何を好き好んで、好いた人間が妄信しているアイドルのグッツを贈らなくてはならないのか。新八の追っかけを邪魔するつもりはないが、告白しようとしているのに、さすがに幾ら新八が喜ぼうとそれだけは選べなかった。本末転倒もいいところだ。
しかしそれ以外で、新八が心から喜びそうなものが思い浮かばなかった。正確に言えば、新八は何を貰っても喜んでくれるだろうと銀時は思う。新八は優しいからだ。だから銀時が必死に選んで贈ったものならば、喜んでくれるだろう。それどころか何を渡さずとも、ただ銀時が心から好きだと告げるだけでも、充分に喜んでくれる。その程度の自負は、銀時にもあった。しかしそれでは銀時が自分を許せなかった。
今まで銀時は、形の無いものに頼っていた。好きだという自身の言葉、新八の優しさ、仲間家族としての関係や過ごしてきた時間。そういうものがあったからこそ、手練手管も使って新八を手にした。
だが形がない、目に見えないからこそ、そこには何も残らない。それが今銀時を不安にさせている。形もあればいいというわけではない。それだけでは意味がない。それでも色に形にしなければ得られないものがある。それは自信だ。好いている、好かれているその自信だ。新八はいつも形あるものも、形の無いものも銀時にくれていた。それに比べて自分はどうだろうと問い返す。
妥協はしたくない。出来るわけがない。
新八と向き合うために、銀時は必死だった。
それからも、新八ぐらいの年頃の少年が喜びそうなものを売っている店を覗く。時計や洋服店、雑貨屋。家事をしてくれている新八の為に電気屋で新しい掃除機でも買ってやろうかとも考えた。30分ほど悩み、それでは母の日の贈り物のようだと漸く気付き、銀時は電気屋を出た。
冷房の効いていた電気屋から出れば、既に太陽は傾き、影が長くなっていた。真夏の昼は、太陽が容赦なく銀時を貫いていく。熱さで朦朧とする頭ではどうにもならない。仕方なくどこか店で涼むかと財布を開ければ、そこには千円札さえない有様だった。そこで、銀時は昨夜の呑み代を思い出した。店に入れば贈り物どころではない。とりあえずと、公園で水をがぶ飲みし、木陰に避難することにした。遠くに見える入道雲がまるでソフトクリームのように銀時には見えた。
何を贈ればいいのだろう。世の夫婦はどうしているのだろう。親の居ない銀時には、モデルと言うものがなかった。
仕方なく、自分の周りの人間はどうしているのだろうかと考えて、そのとき銀時は一つ思い出した。それは以前に銀時が風邪をひいた時にきた依頼だ。依頼主は主婦で、子供が3人居たが、亭主の不倫を疑っておりその証拠を欲しいという依頼だった。自身が風邪をひいていたこともあり、子供二人だけで仕事を任せることになってしまった。神楽は自分が主導権を握れることに張り切っていたが、結局亭主は浮気をしていたというのは、依頼主の勘違い。亭主は結婚10周年を記念して花で、妻の似顔絵を作っていたのだ。ただその似顔絵も、万事屋の所為で、酷い有様になったのだが。それでも最後には、何とか夫婦の誤解は解けたのだった。
今日一日で似顔絵は無理だろう。だが、花束を贈るぐらいならばできる。花なら贈られて嫌な人間も居ないし、告白をしようというのだから、ふさわしい贈り物だろう。新八に似合いそうな花でも買って帰り、そして告白だ。そう決めた銀時は、すぐに立ち上がり、真夏の太陽も厳しい街中を、花屋目指して走り出した。
薔薇、百合、ガーベラ、向日葵、カスミソウ。その他にも銀時が名前さえ知らない花がガラスケースの中から、銀時を見ていた。急ぎ花屋まで着たが、既に銀時はガラスケースの前で、20分近く固まっていた。先ほどから、何人かの客が入ってきては、綺麗に着飾られた花束を持ち帰り出て行った。
店内には、切花、鉢植え、観葉植物、その肥料や既に飾られたブーケ状の花束まで数は揃っている。しかし銀時はどれを選べば良いのか迷っていた。何より花の値段がこれほど高いものとは思っていなかった。今の銀時の所持金では、おそらく3本も厳しいといったところだ。それではさすがに花束とは言わない。
「プレゼントでございますか?」
銀時に声をかけてきたのは、店員の女性だった。薔薇色の地に葡萄色のチェックを重ねた着物に白い帯は、若い娘にはよく似合う出で立ちだった。汚さない為に襷がけをして店の名前色のエプロンをしていた。長い後ろ髪は束ねられ、さらにバレッタでアップにしており清潔感もあった。
ただ銀時が見たところ、新八とそれほど歳も変らないように思えて、それだけで、なんとなく銀時は照れくさい気持ちになった。
「まぁ・・・な。」
「誕生日かお見舞いですか?」
「いや、別にそう言うのじゃないけど・・・・。」
語尾は消えそうなほど小さかった。あまりに恥ずかしく店員の顔が見れない。だがそれだけで店員は何かを察したようだった。
「では、相手の方が好まれる御色などはございませんか?」
「好きな色・・・ねぇ。」
新八の好きな色。考えてみて、そこで初めて彼が好きな色一つ知らなかったことに気付いた。言葉で気持ちを伝え、何度も身体を重ね、新八の全てを知ったつもりになっていたというのに、好きな色一つ知らなかった。
そのことに、改めて愕然とする。欲しがっているものも、好きな色も知らない。仲間だ家族だ恋人だと関係ばかりが進展していて、肝心の志村新八と言う子供自身を知らずにいた。それはおそらく、自身の責任だと銀時は漸く気付いた。
銀時は待たなかった。好きだと思えば、言葉で伝え、卑怯な手も使って、彼を手に入れた。そうすると、さらに彼を愛しく思えて、何も考えもせず新八を求めた。その手を引き寄せ、彼の身体が手に入れば彼を全て知ったような気になり、まるでお気に入りのおもちゃを抱き込むようにして、彼を自分の下につなぎとめてた。罪悪感なんてまったく無かった。
彼はまだ子供だったのに。
今銀時の目の前にいる店員の女性と同じ年頃の少年だ。将来もありこれからなんにでもなれる。少しずつ一歩一歩成長している過程にいた。本当に好きならそれを待ってやっても、なんら問題なかったはずだ。そうしてもっとありのままの彼を知って、せめて新八が自身と同じぐらい心身ともに強くなってから、そのとき初めて彼を手にしても良かった。
自分にもそんな時間があった。馬鹿をやって、何をやっても上手くいかずにいた頃があった。だがそんな時間も、人には必要だったのに。そんな時間を大切に過ごさせてやればよかった。なのに、銀時が急かして、彼を大人にしてしまった。身体の関係だけでない。新八にばかり我慢をさせ、自分は我侭に振舞って。
残酷なことをした。
誰より好きで愛しくて、大切にしたい子供に、何より残酷な仕打ちをしていた。誰より見ていたはずの子供のことを、何にも見えてはいなかった。
銀時は、初めてそのことに気がついた。
「なんでしたら、その方に似合いそうなお色で選ばれてはいかがですか?」
その言葉に銀時は我に返った。横では、女性が微笑んでいる。罪悪感でいっぱいになり、今の状況を忘れていた。
せめて似合う色を。そういわれて思い浮かんだのは、太陽の色。そして真っ白な割烹着を着た姿だった。明るくて、暖かい。血に塗れて雪の寒さに凍えていた自分は、新八、神楽、定春と言う家族を得て、初めて温もりに触れた。
「白と・・・黄色・・・。」
そう銀時からぼそぼそと呟くような返答を貰い、それでも彼女は心底ホッとした。まるで泣きそうな顔をしている。店員は、そう思った。自分よりずっと大人で、身体の大きな男の人がまるで泣きそうな顔で、呆然としている。それはまるで、初めて海に果てがあり、雲に乗ることは出来ない、月には手が届かないのだと知った子供のような顔だった。
それでも返事が聞けてホッとした。彼女はすぐに銀時に背を向け、ガラスケースの中から言われた色で花束を考える。だが彼女が思いつくより先に、銀時はポツリと呟いた。
「俺な、今日告白するんだわ。」
いきなりのことに、彼女は驚いた。顔を上げガラスケース越しに銀時を見れば真っ赤な顔をしていた。最初から様子が可笑しいと思っていた。花屋に来てからずっと花を見つめ続け、何のための花束なのかも言おうとしない。少し探りを入れれば、なんとなくプライベートのプレゼント用なのだろうということは察していたが。さすがに彼女も用途が告白で、そんな告白予告宣言をされるとも思っていなかった。
「そいつ、丁度あんたと同じ歳ぐらいなんだわ。
一応・・・恋人っていうか、そういう関係。
なんだけど、俺金ないし、基本グータラだし、エロイことやりたがるし。
そいつに結構苦労ばっかりかけどうしでさ。
で、まぁ別に誕生日とかそういうなんじゃないんだけど、ちょっと花束とかプレゼントしてやろうかなぁ・・・・って。」
恥ずかしくて死ねると銀時は思った。自分が逆の立場であれば、引くだろうと思う。だが今の銀時には、余裕など無い。形振り構っているわけには行かない。新八に花束をプレゼントしたい。告白がしたい。朝の決意したときより、その思いは既に強迫観念とでも言うぐらいに強い。だがそのためには彼女の協力が、どうしても必要だった。同情に縋るようなまねでもしてやろうと銀時は覚悟を決めた。それぐらいの無様、自身が新八にした仕打ちを思えばなんでもない。
「でも、さっきも言ったとおり、俺、金ねぇんだわ。
ブッちゃけて言えば、実は千円もねぇから、花束とか無理っぽい。
でも、絶対花束を贈りてぇ。
すっげー感謝してるし、苦労かけどうしで、俺我侭ばっかった。
それも反省してる。
その気持ちを分かってもらいてぇ。
だからどうしても花束にしたい。」
一本二本では表しきれない気持ちだった。好きだ、愛している、これ以上ないぐらい大切で、どれだけ感謝しても足りない。らしくなくても、本気で思っている。それを知って欲しい、信じて欲しい。
銀時は頭を下げた。ずっと持ち続けていた下らない男のプライドや見栄を金繰り捨てた。
「だからラッピングだけでもしてくれねぇか。
花は・・・どうにかする。
地面に頭こすり付けてでも頼んで譲ってもらう。
どっか原っぱにでも咲いてる花を摘んでくるから。
頼む!!!」
突然の頼みごとに、店員は驚きと同時に泣きたくなった。勝手なことをするわけにもいかないが、無碍に断るにはあまりにも銀時が真剣で、断りづらい。何より歳の離れた娘に、頭まで下げ、真っ正直にその理由まで話してくれた。出来ることなら協力したいと思った。
「お前さんの頼みごと、考えてやらんことも無いよ。」
その返答をしたのは、若い店員の女性ではない。二人して声がしたほうを見れば、そこには既に腰の曲がった老婆が一人店の奥から出てきた。白髪ばかりの薄い髪は肩で切りそろえられており、煤色に橙と瑠璃紺色の細いラインが入る縞柄の着物は、着古しているのか少しくたびれていた。
「おばあちゃん!!!」
そういって店員の女性は、老婆へと駆け寄って行った。銀時がバイトだとばかり思っていた
女性は、この店の孫だったらしい。
「かすみ、あんたちょっと奥から地図を持ってきておくれ。」
「えっ・・・でも・・・。」
「グズグズしない。
ほら、早くしな。」
怪訝そうな顔をしながらも、かすみと呼ばれた女性は、店の奥に入っていった。おそらく奥は家族の居住空間なのだろう。
孫が姿を消せば、本題といわんばかりに老婆はにやりと笑った。
「話は聞かせてもらった。
まぁ、あの子も協力したそうだし。
あとは私の道楽に付き合ってくれるって言うなら、考えてやるよ。」
「ど・・・・道楽ってなんだよ。」
「賭けさ。
わたしゃ3度の飯より、賭け事が好きでねぇ。
爺さんもそれで手に入れたようなもんなんだから。
私と賭け事をして、あんたが勝ったら頼みを飲んでやる。
どうだい、受けるか?」
拒否権なんてもとより無かった。
「あたりめぇだ。」
「いい返事だ。」
そう言って、老婆はレジの横にあった本棚から分厚い本を一冊取り出すと、ぺらぺらと録に見もせずにめくりだした。何だと思い銀時が覗き込めば、それは花の図鑑だった。
「ほら、コレだ。
これならあんたのお気に召すんじゃないかい?」
老婆が差し出した図鑑の中には、鮮やかな黄色やオレンジの花があった。半球を描くように広がった花弁。銀時はその鮮やかさが一目で気に入った。本当に太陽のような明るさがあった。図鑑の下のほうには、花言葉が書いてあり、それがまた銀時の心をひきつけた。
「マリーゴールドだ。
高価な花じゃないんだがね、なんせ多少環境が悪くても育ってくれる強くていい花だ。
花言葉は、”生きる”。」
これしかないと思った。これ以上に新八に贈るふさわしい花も無いだろう。生きる。生きている。そして生きていて欲しい。大切な子供に、暖かな太陽の下で。そして出来ることなら、自分の傍で。それこそが、銀時の何よりの願いだ。
「これ、どこにあんだよ、ババァ!!!
どこに咲いてる!!!」
今にも喰いかからん勢いで聞く銀時に、老婆はにやりと笑った。
「慌てなさんなって。
あんたがコレを気に入ったようだし。
さぁて、それじゃ賭けとしようじゃないか。」
何をする気かと身構えた銀時を見やり、老婆はさっそく賭けの内容を話し始めた。
さて、場所は変り、時刻は花屋で賭けにのってから2時間がたっていた。そのとき既に銀時は花を手にしていた。もちろん、先の花屋で見せられたマリーゴールドの黄色とオレンジの花を。だがそのときにはまだ、それは飾られているわけでもなく、銀時の懐の中で潰されないように大事にしまわれている。
花屋から2つほど橋を渡りきり、歌舞伎町から既に10キロは離れた所を銀時は花屋に向けて全力で走っていた。それも銀時の頭上を入道雲が襲い、叩きつけるような雨が降る中で。全身は既にドロドロだ。雨だけの所為ではない。全力で走るために、既に2度ほど足をもつれさせて、銀時は泥の中に頭から突っ込んでいる。だが、花は無傷だった。自分が汚れることなどは、どうでもよく、とにかく花を守ること。そして早くあの花屋に戻ることが何より優先された。
またコケタ。このときで、既に銀時は20キロ近くを走りきっていた。それも走っている間はまるで短距離走をしているときのような全力疾走で。それでも花を潰すまいと気遣いながらだ。だが下手に足を止めては、足がガタガタと笑い出してしまい、それから走れなくなると気付いた銀時は、立ち止まるわけにはいかない。なにより銀時には時間が無かった。タイムリミットは、あと30分。それで花屋が店を閉めてしまう。
賭けの内容は、実に単純だった。銀時が気に入った花を摘んでくること。場所は町を一つ隔てたところにある老婆の畑。そこに今丁度咲いているから、閉店する18時までに摘んでくること。それを聞いたときは、楽勝だと銀時は思った。時間を見れば既に3時半を過ぎていたが、娘が持ってきた地図で場所を確認すれば、往復でも30キロ程だ。これからすぐに家に原付を取りに行けば、往復しても1時間もあれば充分だろう。
しかしそんな簡単な賭けがあるはずも無い。すぐに老婆は条件をつけてきた。移動手段は足のみで、車やバイクはもちろん、公共の交通機関は使うなとこのこと。店を閉めるまでに戻ってこないようであれば、もちろんラッピングどころか花も没収で花代も渡さなければならない。ただし時間内に戻ってこれれば、花代も要らないしラッピングもタダにしてやろう。
その条件に、銀時は少し迷った。花代もラッピング代も要らないというのは、魅力的だ。花も気に入っている。だが時間がギリギリだった。もう一度地図を見て道を確認すれば、そこには大きなのぼり坂があることを銀時は思い出した。坂をよければ、かなり回り道になる。銀時も体力には人より自信があるが、大よそ2時間半で往復するには厳しい道のりだ。花を摘む時間もいる。
しかしそのとき、視界の端で孫娘が既に銀時の為に準備をしてくれていた。店のものだろう鋏の刃先に新聞を巻きつけてて保護し、それを花を束ねる為の太めのゴムも入れてさらに新聞で包む。いつのまにか地図もコピーしてくれていた。さらに丁寧にもコピーした地図に紅いマーカーで行き道に記しをしてくれている。銀時が行くと信じているのだ。たった今あったばかりの銀時の言葉を、娘は信じてくれていた。
好きだった、愛している。口先ばかりの言葉ばかりはいてきた自分が、初めて吐露した本気の想いが、この娘には伝わっているだ。そのことに銀時は胸が熱くなった。本気なのだ。真剣に彼の子供を愛している。一回り近く歳の離れた子供に、まったく余裕も無いぐらい。卑怯な手練手管を使って、見っとも無い告白をしたくなるぐらい、愛おしくてしょうがない。それを自分だけではない、この娘が信じてくれた。
孫娘と銀時の視線が合う。もう出るのだと慌てた娘は、用意できたそれらを、銀時に差し出そうとした。だがそれよりも早く、銀時の手が娘の頭を強く撫でた。
「ありがとな。」
言われた娘の顔をみることもなく、荷物を乱雑に懐に仕舞うと、銀時は全力で花屋から飛び出していった。
この賭け、勝たなくてはいけない。
さて、この賭けの行く末は、もう既に承知の通り。銀時は勝った。いや正確に言えば、賭けに勝って、勝負に負けたというべきだろう。
銀時が花屋にたどり着いた時、カウンター横に置かれた小型テレビは、18時のニュースが始まっていた。既にオープニングを終え、今日一番目玉のニュースの映像が流れている。冷や汗を掻いて、カウンターで頬杖をついていた老婆を呼んだ。だが返事は無い。間に合わなかった。悔しさや自分の至らなさに銀時が唇をかみ締めたそのとき、老婆は一つ大きな欠伸をした。
「あぁ~よく寝たよ。
おぅ、きたか若いの。
あぁあ、間に合っちまったのかい。
じゃあ、賭けは私の負けか、しょうがないねぇ。」
大きく背を伸ばしながら、老婆の視線は壁に掛けられた時計を見た。そのとき時計がボーンボーンと鐘を鳴らした。丁度6回鳴ったそれを聞きながら、銀時は呆然とする。小型テレビの左端には、小さな白文字で、18:12と書いてあるのは見間違いではない。
「あぁ、こいつは旦那と結婚したときに、私の親戚が祝いにくれたもんでね。
定期的にネジを巻かないと、すぐに時間が狂っちまう。
もうこの時計は、私と一緒でオンボロでどうしようもないさ。
でも、賭けは賭けだ。
店が閉め忘れちまったのは、私の不覚だ。」
そう言って、目を丸くする銀時を他所に、奥にいる孫娘を大声で呼んだ。すぐに飛んで出てきた娘は、銀時の姿を見て嬉しそうに笑い、その後あまりの汚れ具合に、慌ててタオルを取りに行こうとした。だが老婆が先にそれを制した。
「あんたは、とりあえず花の水揚げをしちまいな。
タオルは私が持ってくるから。
それから、若いの、風呂貸してやるから入っていけ。
乾燥機もあるから、乾かしてやるよ。
告白だってのに、そんな恰好じゃあ、どんなにイイ男だって、笑われちまうよ。」
大笑いながら母屋に入っていく老婆を見送りながら、銀時は蹲った。自分があの腰の曲がった老婆の策略に踊らされていたのだと知った。それは悔しく憎らしく、そして諦めるしかないようなどうしようもない心地だった。女は強い。何よりも強い。男なんて足元にも及ばない、腕っ節ではない強かさがある。昨夜の飲み屋の妻も、あの老婆も。そして。
「おばあちゃんの昔からの趣味なんです。
賭けに負けるのが。」
おじいちゃんと賭けをして、わざと負けて夫婦になったのだと、笑って言ったこの孫娘も末恐ろしい。
知ってたなら、先に言えよと銀時がぼやいたのは、無理からぬこと。
銀時の足は、未だにガクガクと壊れたおもちゃのようだった。それでも何とか、足を踏みしめて、自宅の階段を上りきる。
今日一日とにかく新八に告白がしたかった。心から新八に好きだと言いたかった。なのに、いざ準備が整い、花を手にして帰る道中、銀時にあったのは、どうすればいいのだという、緊張と戸惑い。そして湧き上がってくる羞恥心だ。恥ずかしくて恥ずかしくてしょうがない。ずっとあった強迫観念はどこに行ってしまったのか。
ついに銀時は玄関の前に立った。家の中からは、人気がある。開けられた窓から食器の擦れるような音がするので、おそらく新八は夕飯の支度をしているのだろうと分かる。神楽はどうしているかは、さすがに分からなかった。
唾液を飲み込む。緊張で手が震える。息が荒い。今2階から花を捨てるのは、簡単だ。だがそれでは駄目だと、銀時は踏みとどまる。言いたい、知って欲しい。でも恥ずかしい。迷うな、恐がるな。銀時が、玄関の扉に手をかけた。目をつぶると、頭の奥がぐるぐると回っているような感覚がする。それを振り切った。
ガラガラガラと立て付けの悪い玄関が音を立てた。勢いがつきすぎて、開けた拍子にガシャンとガラスが軋むような音がする。さぁ、もう後戻りは出来ない。銀時はもう一度覚悟を決めえた。風呂場から神楽の歌声が聞こえてきた。そのことに、少しホッとし、今しかないと今度はゆっくりと玄関を閉めた。ブーツを脱ぎ、そのまま静かな足音で、台所へと向う。そこではいつものように、新八が夕食の用意をしていた。材料を見れば、今日の晩御飯がカレーなのだと分かる。用意された大きな鍋は、あと3日はカレーだと言っている。
「お帰りなさい、銀さん。
もうすぐ晩御飯できますから。」
手が離せないのだろう。背を向けたまま、新八が言った。その後姿を眺めながら、やっぱり好きだなぁと改めて、銀時は思った。いまさらの話だと銀時もわかっている。それでも本当に本当に好きなのだと思ったのだ。ずっと一緒に居て欲しい。今日一日中ずっとそう思っていた。そう伝えたかったのは。
「なぁ、新八。」
「なんですか?」
やはりこちらを見ようとしない新八は、ジャガイモとにんじんを切っている。わきに置かれた肉は少ない。貧乏だから苦労をかける。呆れるだろうな。本当に我侭ばっかりだよな、俺。どっちが子供だかわかんねぇよ。図体ばっかりでかくてさ。でも、俺は本当にお前に惚れてんだ。
「新八、今、ちょっといいか。」
振り返った新八に、銀時は後ろ手に隠した花束を、またぎゅっと握った。

END

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