肉は一パック100g65円。あとは、ジャガイモ、にんじん、玉ねぎと、夏らしく茄子を入れる予定だった。茄子は今年、新八が自宅道場の裏に作った家庭菜園で出来たものだった。畑仕事を手伝うという依頼で、苗と肥料を少し分けてもらったのが切欠だった。本当ならこの万事屋で作ろうと考えていたが、騒動ばかりの万事屋では、出来上がるまでに畑ごと壊されるだろうと、結局新八はスペースもある自宅で栽培することにした。朝早く起きるのは、新八にとってはさほど苦ではない。子供の頃から今でも、朝から姉と二人鍛錬をしている。さすがにスナック勤めになってからは妙は、出勤前に鍛錬しているが。
出来たものは、小ぶりながら茄子やキュウリなどが出来た。初めてで慣れない畑仕事であれば、上出来だろうと思いたい。漬物好きの神楽のために、浅漬けにして朝食に出している。ただトマトも種を植えたが、今年は鴉に食べられてしまったので、今後はプチトマトを考えている。葱は既に栽培中。冬の鍋の時期には欠かせないので是非作っておきたい。あとはニラを作りたい。ベーコンと炒め物にすれば、おかずの一品として充分になる。
トントンと包丁で野菜を刻みながら、そんなことを考えてしまい、思わず新八は苦笑いを浮かべた。
「なんか・・・どんどん所帯染みてきてるよ。」
不器用だといわれることが多いが、新八の包丁を持つ手はよどみない。鍋に掛けられた湯からもくもくと白い湯気が上がった。
万事屋に勤めだし、職場でも家事をするようになり、新八の一日は殆どが家事で埋め尽くされている。慣れないのも問題があるだろうが、慣れてしまったのが現実だった
しかし、だからと言ってこの万事屋を出ていくことは、新八の頭には毛頭無かった。
新八にとって、万事屋の神楽や定春、銀時はただの仕事の仲間上司というだけではない。既に家族も同然の存在。まして上司銀時とは、恋仲という絆まで出来てしまった。
一体、何時から彼を好いていたのかは、新八は覚えていない。元々銀時には出会った時から姉を助けてくれたことに対する恩や、他の人には見れない輝きを見た。それに憧れ、押しかけ社員として、新八はここで働き出した。傍に居れば居るほど、坂田銀時と言う男に、言い得ない期待が膨らんでいった。
我侭で、三十路手間で糖尿寸前という甘党。普段はグータラなことこの上ない。だが、そんな男の隣は、新八にとってはとても心地よい居場所だった。そんな男のことを思うと、自然と手際よく動いていたはずの手がサボっている自分に新八も気付き、慌てて手を動かし始める。戸棚から大きなボールを取り出し、切った材料を入れていく。
「でも、今朝銀さん変だったな。」
買い物に出かける前の銀時の様子が新八の頭を掠めた。変だった。と言っても何がかといわれれば、答えに窮する。しかしどこか様子が変だったのだ。今の新八が確かに言えるのはそれだけだった。
朝にいつものように新八は、銀時をたたき起こした。だがいつもならば布団にしがみつき中々起きようとしない銀時が、新八が体を揺すった瞬間に飛び起きたのだ。もちろんすぐに二日酔いで目を廻して布団に突っ伏したが。
それだけならば別段おかしくは無いかもしれない。だがその後も仕事がないのに、すぐに起きて、顔を洗って食事をしてくれた。お陰でいつもは中々終わらない朝食の後片付けが早く済んで新八としてはよかったといえた。
だが良かったのはそれまで。掃除をしていても、洗濯をしても、新八は銀時から言いえないプレッシャーを感じた。鬼気迫るといってもいいぐらいのそれは、まるで怒っているかのようで、新八はいつも居心地の良い万事屋が、まるで針の筵のような気がした。
しかし、怒っているにしても銀時らしくないと思い、新八は試しに銀時に一つ頼みごとをしてみた。大層な用事ではなく、ただ高いところにあるものをとってほしいというだけのことだが、銀時はいつものように気良く取ってくれ、午後から新八が買い物に出るときも、自分から原付を出そうかと声を掛けてくれた。
「なんだったんだろう。」
呟きつつ、朝の銀時の様子を思い出す。気迫の篭った視線。緊張した頬。そして何より物言いたげな唇。どうしたのか。何があったのか。新八が考えをめぐらせると、ふととある可能性に行き当たる。小さいはずの可能性は、新八の思考をじわじわと染み出して広がっていく。それは、新八がずっと抱え続けてきた不安であり、銀時の睦言に素直に頷くことを躊躇わせてきたものだった。
その時、玄関が開く音が響き、新八は肩をビクリと震わせた。銀時にしては乱暴な開け方だったので、一瞬神楽かと思った。だが神楽は先ほどから、夕食前にお風呂に入っている。ならば何も言わずに戸を開けるのは、銀時以外にはありえない。それを証拠に、閉まる戸はゆっくりと閉まった。
不安で歪めた顔を見られたくないと、新八は慌てて手を動かし始めた。ひたひたと静かな足音が聞こえ、台所の前でピタリと止まる。換気のためにあけていた引き戸から銀時が入ってくる気配がした。
「お帰りなさい、銀さん。
もうすぐ晩御飯できますから。」
気をそらすように、新八は口早に言い、ザクザクと茄子を切っていく。だが、いつもならさっさと用事を言われる前にリビングに退散する銀時が、何時までもそこに立っていた。
「なぁ、新八。」
「なんですか?」
きり終えた茄子に続き、ジャガイモを切っていく。だが、気をそらすために切っているそれは、気を抜けばみじん切りしてしまいそうになってしまう。新八は必死に頭の中で、いつもどおりいつもどおりと繰り返すが、そうすればするほど、普段自分がどうしてたかを忘れてしまいそうだった。
「新八、今、ちょっといいか。」
そう言われて、新八はドキリとした。
その姿をチラリと一瞬盗み見て、新八はマズイと逃げ出したい衝動に駆られた。銀時の気迫は最早鬼気迫るという状態ではない。まるで力いっぱいに張り詰められた糸。新八が少し触れるだけでもぷっつりと切れてしまいそうだった。腕に力が篭っているのが、新八の目から見ても分かる。
新八は、銀時のおかしな様子の原因は何かとずっと考えていた。あからさまに自分を意識している銀時。まるで何かを言おうとし、それを躊躇っているかのような仕草。
買い物の最中でそのことに気付いた新八は、ふとある可能性に気付いた。
(もし、別れてほしいって言われたらどうしよう。)
その可能性は、一度気付いてしまうと恐ろしく、新八はその可能性から逃げた。楽しいことや幸福なこれからのことを考えて、その希望は叶うのだと、自分に言い聞かせた。
恋仲という関係を切り出したのは、銀時からだった。それからは、まるで洗脳するかのように恋情を囁かれ続け、新八はそれを受け入れた。だが、だからと言って何時までも銀時が自分を好いてくれると信じられるほど、新八は自分に自信は無かった。
恋仲になった自分に、嫌気がさすのではないか。何時までも子供っぽい自分に呆れたのかもしれない。それとも他にもっと綺麗な女性に惹かれたのかもしれない。同性という枷は、16の少年には重いものだった。
もし銀時に嫌われて、その後も今までのように楽しく笑っていられるなどと、新八は思っていなかった。それどころか、未練がましく自分を捨てないでくれ、と縋ってしまうかもしれない。逆に彼を口汚く罵ってしまうかもしれない。だが、我侭で、糖尿寸前で、それでも誰よりも優しいあの男を困らせるようなことは、新八はしたくなかった。
「どうしたんですか?銀さん。」
「あぁ・・・あのな。
大したことじゃねぇんだけど。」
「なら後にしてもらえますか?
今ちょっと晩のこしらえの最中でちょっと手が離せないんです。」
嘘だったが、新八はそう言い銀時に背を向けた。少しでも、一分一秒でも長く今のまま居たい。その一心だった。しかしそれを遮るように銀時が叫んだ。
「嘘ぉおお嘘です。
大したことなんで、ちょっと時間ください!!!」
その言葉に、新八は気付かれないようにため息をついた。包丁を置き、手を洗い、火をかけていた鍋を止めた。そして銀時へ向き直る。さすがに顔を見ることができず、新八は少し俯いた。
「なんなんですか?」
「あんな、えっと・・・とりあえずコレ。」
「へっ?」
新八の視界に、急に見慣れないものが飛び込んできた。それは明るい黄色とオレンジ色の花束だった。メインの花に添えられたカスミ草。それらが透明なフィルムと薄茶色の包装紙で纏められ、手元は金色の半球状のリボンで絞られている。
「あぁ、金はかかってねぇからな。
ちゃんと頼んで、っていうか色々とあって、なんとか譲ってもらったし。
かすみ草は・・・花屋の姉ちゃんが負けてくれたんだけど。」
「僕に・・・ですか?」
新八は思わず、花と銀時を見比べた。確かに花はどこかで見たことがあるような花で、高価そうな印象は無い。どこか家の軒先ででも咲いて居そうな、平凡な花だった。
だが何故彼がコレをくれるのかが、新八には理解できなかったのだ。誕生日は既に過ぎているし、特別な記念日というのも思い当たらない。
「あたりま・・・あぁいや。
そう、お前に、俺から。
で、いやそれだけじゃないっていうか、あんな。
俺、お前に言いたいことっていうか、言わなきゃなんないことがあんだよ。
だから聞け、っていうか聞いて欲しい、聞いてください。」
だんだん丁寧になって行く語尾。何を言われるのかと鼓動が、激しくなる。不安と、そして目の前で鮮やかな色を放つ花束は、新八を否応なしに期待させた。
「言わなきゃいけないこと・・・ですか?」
「いいか、ちゃんと聞けよ。
あぁ・・・いいか。」
新八が頷くと、銀時は大きく息を吸い、2度ほど飲み込む。そして意を決したように、新八を見据えて、こう言い放った。
「俺、っていうか坂田銀時は、志村新八君がすっげぇ好きです。
何より好きです。」
バットで殴られたかのような衝撃だった。それは今まで銀時からされた告白とは、何もかもが違った。だがそれを理解するより先に、銀時の言葉が続く。
「もう、愛してるっていうか、何より大事にしたいって思ってる。
お前と神楽と定春ってのは、俺にとっては家族っていうか、手放せないっていうか。
お前に話したことないけど、家族って俺は持ったことないからわかんねぇけど。
でもだからすっごい憧れてもいたんだ。
前に漠然と、きっと持ったらこんなのなんかなぁって思ってたのが、お前らがそのまんまで。
でも神楽は家族って言っても娘みたいなもんだから、わかってんだ。
いつかは、出て行っちまうって。
でも・・でもな、俺は、俺・・な・・・。
俺は、・・・お前にはどこにも・・・どこにも、行ってほしくない。
ずっと、俺の傍に居て欲しい!!」
どこにも行って欲しくない。その言葉を聴いた瞬間、新八が無意識に堪えていた涙が、胸の奥から一斉にあふれ出した。それは、新八が銀時から最も聞きたい言葉。好きや愛しているという言葉より、何より欲しいと切望したものだった。
何時だって新八は不安だった。それは恋仲になる前に、神楽の父星海坊主が現れたとき、銀時はあっさりと神楽を手放した。そして新八に出て行きたければ出て行けばいいと、言い放った。今ではそれが銀時なりの、愛情の形なのだと分かっている。神楽の自由を、そして神楽の中にある家族を求める気持ちを知っていたからなのだろうと。
だがその後、恋仲になり、身体さえ重ねても心のどこかで、新八は銀時がいつか自分が突き放すときが来るのではないかと思うと不安だった。そしてそれを証明するように、銀時は今までどれだけ恋情を囁こうと、これからも共に居るという言葉だけは絶対に口にすることが無かった。その言葉が、今何度も新八の耳を打つ。
「ずっと傍に居て欲しい。
俺の隣に居て、笑ったり怒ったり、時々っていうか出来ればいっぱいエロイこともしたい。
でもって、おれは・・・俺はそれで幸せなんだよ。
神楽と定春が笑ってて、そんでお前が隣に居てくれれば、俺はそれだけでいい。」
いつも余裕を持って優しくゆっくりと新八の心を溶かす銀時が、真っ赤な顔をして、まるで睨みつけるかのように必死さをさらけ出して言葉を繋ぐ。時折逸らそうとする視線。それでもそれを必死に引きとめようとするのも分かる。その様があまりにも一生懸命でつらそうで、新八の中で、銀時を可哀想に思う気持ちと、それでも最後まで聞きたい気持ちがせめぎあっている。
「お前らが居るから・・・俺、坂田銀時は、幸せなんです。
だから、俺はこれからもお前とずっと一緒に居たいです。
そんで、コレは俺からお前に感謝の気持ちです、受け取ってください。」
改めて、差し出された花に、新八はすぐに手を伸ばすことが出来なかった。嬉しかった。だがそれ以上に、感動していた。
今までに見たことの無い銀時の姿を、新八は改めて愛しいと思った。もちろん今までも、彼を好いている気持ちはあった。だがそれはどこかで、銀時の告白に嵌められてしまったかのような気持ちが残っていた。
しかし今改めて、銀時のありのままの姿を、新八は心から愛しいと思った。それは万事屋銀ちゃんという上司としての姿や、新八も見たことのない白夜叉という姿だけではない。ただそれら全てを飲み込み乗り越えてきた一人の男。今、頭を下げて、花束を差し出す坂田銀時と言う男に、新八は惚れた。新八はそのことを胸に刻み、そしてこの男の望むままに、ずっと傍に居ようという覚悟を決め、手を伸ばした。
「・・・はい、銀さぁん・・・ひっっく。」
花を受け取っても、嗚咽がどうしても止まらなかった。袖口に拭っても拭っても涙は止まらない。それどころかどんどん酷くなっていく。いつもならこんなときは、優しく抱きしめてくれる銀時だというのに、今日は新八を目の前にしてオドオドと戸惑うばかりだった。新八にはそれが少しもどかしいと思った。
「おぃいいちょっと待て・・・泣くなって。
頼むから。
あぁいや、なぁちょっと笑ってくんない。
いやえっと、分かってるよ、嫌で泣いてるとかじゃねぇよな。
えっと・・・そだよな?」
「当たり前です。
・・・もぅ・・・・。」
的外れなことを言う銀時に、思わず泣き笑いをしてしまう。だというのに、未だに銀時はどうすればいいのかという風に、両手をまごつかせる。
「いやでも、あの笑ってくれない、新八君。
でないと、ヤバイっていうかなんか・・・・困るっていうか。」
「銀さん?」
何が困るのか、新八にはまったく分からなかった。だがそれを聞くよりも先に、銀時の腕が漸く新八を抱き寄せた。そして一言小さくこう溢した。
「はぁ・・・やっと言えた。」
万感の篭った声が、一体どの言葉をさしていたのか。どれかなのか、全てなのか。それは新八には分からなかった。だが一つ分かることがある。銀時の声と、そして新八の背中を握り締める手がカタカタと震えていた。
泣いているのだと知った。新八は銀時の泣く姿など、一度も見たことが無い。どんなに辛くとも悔しくとも、銀時は泣くことなど無かった。何時だって泣くのは新八で、それを慰めるのが銀時だった。その銀時が、泣いているのだと知り、新八は顔を銀時の胸に預けたまま、両手を銀時の背に廻した。慰めたい。心から思った。
「銀さん、僕も、僕も貴方が好きです。
貴方が傍に居て欲しい。
僕は子供だし、不器用だし、照れくさくていつも貴方の言葉にすんなり頷いたりとか、気の利いたこと一ついえないけど。
貴方みたいに強くも無いけど、でも、好きです、大好きです。」
顔を銀時の胸に押さえつけるようにして、新八が告げる。強くしがみつきたいのに、片手は花で塞がっていた。その分花束をぎゅっと握った。
「俺、あんまり金ねぇし、苦労ばっかりかけるかもしれない、甲斐性ねぇし。
今までお前に甘えてばっかだった。
正直言ってさ、今までそんなことあんまり気にしてなかったし、気付いてなかった。
でもな、今日ずっとお前のこと考えてた。
お前が喜びそうなことってなんだろうとか、お前が好きなもんってなんだって。
そしたらさ、俺お前のこと何も知らなかったんだよ。
何もしらねぇのに、知ったかぶりしてた。
っていうか、都合が悪いことは、皆見ようとしなかった。
お前まだ、子供だったのにいやらしいことばっかりして、お前が離れらんなくなるようにして・・・・ごめんな。
ごめんなぁ、新八。」
申し訳なさそうに目を細める銀時。だが新八はそれを笑顔で否定した。
確かに自分達の関係は、銀時の強引な手練から始まった。だがそれを承知で頷いたのは自分自身。そして今、その判断が正しかったことを新八は確信した。
「僕は、貴方から見ればまだ何も知らない子供かもしれない。
ひ弱かもしれない。
子供で、貴方みたいに、こんなに上手く貴方を喜ばせてあげられない。」
「新八・・・。」
否定しようと口を開いた銀時の口を、新八は指先でそっと蓋をした。そしてそのまま銀時の涙を拭った。
「でも、これだけは分かります。
僕は、今、明日も明後日も1週間後も1年後も10年後も・・・。
ずっとずっと、あんたの銀髪が本当に真っ白な白髪になって、しわくちゃになって。
糖尿になって、僕のこともわかんなくなるぐらい呆けて、そんで笑って死ぬそのときまであんたと一緒に居たい。
ずっと、ずっとあんたの傍に居たい。
あんたが信じようと信じなかろうと、今、僕は本当にそう思ってる。
僕に言えるのは、それだけなんです。
でもそれだけは、本当なんです。」
たとえ今、新八が何を約束しても、何を言っても、銀時は信じないだろうと思った。それは新八の為に。ずっと先の未来までの約束をすればそれは、新八の未来を縛ることになる。そんな銀時の気質はこれからも変らないことは、新八にも分かっていた。
だからこそ、今新八から出来ることは、真実を告げることだけ。約束はしない。ただその心にわきあがる願いは、たとえ銀時にでも否定することは出来ない。
そして身を寄せ合う。髪にかかる銀時の吐息。背中に触れる太い指先。無骨な首や肩のラインに新八は、改めて鼓動が早まった。今まで何度も見てきたはずのそれらが、まやかしだったような気がする。まるで台風が去った後の空気のように、視界が澄んで銀時の全てが見えているようだった。
「ねぇ、何時まで二人だけでラブラブぶっこいてるネ。」
その声にハッと二人は、声がしたほうを見た。すると、少し引き戸が開けられ、そこから神楽が顔を出す。まだ髪がボトボトにぬれている。何時の間に風呂から上がってきていたのだろうと思うと、恥ずかしいが、二人とも抱き合った体を放すことが出来なかった。
「二人してずるいヨ。
娘は邪魔者アルか?」
普段であれば、神楽は大人びた口調で二人を揶揄しただろう。だが今日は、まるで拗ねて羨ましがるように唇を尖らせている。新八と銀時はお互いに顔を見合わせて、クスリと笑いあい、そして二人が互いの腰に絡めていた片手を広げて、神楽を誘った。
「来いよ。」
銀時の言葉に、伺うような視線を向けながらも、パジャマ姿の神楽がそろりと台所に入ってきた。だがまだ少し戸惑うような顔をしている。それを見て今度は、新八が優しく声をかけた。
「おいで、神楽ちゃん。」
その時神楽が跳ねた。まるで飛び掛るかのように新八と銀時の広げられた腕に飛び込んだ。弾けるような笑顔とはこういう物を言うのだと、新八は思う。神楽のその目尻に微かに浮かんだ涙が、また新八の涙腺を緩ませた。
「大好きヨ。
銀ちゃん、新八。
私だって、どこに行ったって、何があっても、二人が大好きネ!!」
普段は、蓮っ葉な言葉が多い神楽のストレートな言葉には、言葉以上の気持ちがこめられている気がした。それを褒めるように銀時の手が、神楽の桃色の髪を撫でる。まだボトボトと滴をこぼす髪は、寝間着をぬらしている。おそらく銀時の告白を聞いて、慌てて出てきた所為だろうと、新八は気付いた。
「神楽。」
銀時がそう呼ぶと、神楽は顔を上げる。そして神楽の前髪を掻き揚げて、その額に優しいキスをした。そしてそのまま額を重ね、呟くように銀時が言った。
「ありがとうな、この星に来てくれて。」
銀時の横顔は、普段の何倍も優しかった。新八への告白の時に見せた照れた表情ではない。静かに、そして暖かく慈愛に満ちた顔は、新八でさえ初めて見る表情だった。それだけで銀時が、心から神楽と出会えた偶然に感謝しているのが伝わってきた。それを見ていると、新八は不思議と銀時が羨ましくなった。銀時に愛される神楽が羨ましかったのではない。神楽を大切に思い、それを言葉に出来る銀時が羨ましかった。
「神楽ちゃん。」
その言葉に、何も言わず銀時がスッと体を引いた。今度は新八が体を屈め、神楽の頬に今度は新八がキスをした。水気のある頬に触れると、暖かい体温と吸い付くような感触が返ってきた。唇が触れた場所を、新八は出来る限りの優しさを込めて撫でる。
「ありがとう、ここに居てくれて。」
自然と新八は、そう言っていた。神楽が居るお陰で、銀時は一人ぼっちにならなくて済むのだと思う。そのことに、心から感謝している。神楽と言う庇護する存在が居て、銀時も新八自身も強くなろうと思える。確かに腕力だけで言えば、神楽はこの家の誰よりも強い。だが、その手はまだ小さい温もりに餓えている。その手に暖かく優しいものを渡してあげたい。仲間、友達、憧れ、そして家族。そしてそれが出来ることが嬉しいく、それだけでどんなものにも負けない力になると新八は思う。
その時、開いたままの戸から今度は定春がのっそりと入ってきた。そして3人を見て、何も言わずそろそろと寄ってきては、神楽の背中にグリグリと顔を押し付ける。もうそれだけで、無口な定春が何を言おうとしているのかが三人には分かった。
「わぁ。」
神楽が小さな悲鳴を上げると、その腰を抱えられ、体がふわりと浮かび、定春の身体の上に乗せられた。もちろん銀時の仕業だ。そして、一度だけ神楽から手を離して、銀時の手が、定春の額の毛並みを撫でて整える。言葉は無い。だが、無口な定春には、全て伝わっている気がした。神楽がそれを真似るようにして、定春を撫で、新八は顔を銀時の体に顔を寄せた。
そうして、もう一度銀時は神楽の髪を撫で、新八を見た。その瞳には、鋭い光があった。初めて出会ったときに見た光だった。けれど、光はあの時よりもずっと優しく暖かい。自然と顔を寄せ合い、新八は目を伏せた。
優しい触れるだけの口付けではない。深く唇を重ね、舌を重ねる。ちゅっと小さな音が鳴る。
普段ならば、とても新八にはできない行為だった。まだ幼い神楽の前で、これほど深い口付けをしているなど、モラリストである新八には考えられない。だが、恥ずかしいという気持ちは無かった。湧き上がってくる愛しさと優しさ。そしてそれらが全て昇華されていくような高揚感がある。何より、今こうして口付けることは、とても自然な行為に思えたのだ。神楽からの視線を感じ、新八はチラリとそちらを見た。だが神楽の視線も、揶揄するようなものはなく、それどころかまるで神聖な物をみるかのようだった。
どちらからともなく、ゆっくりと唇が離れる。互いの零れた吐息が頬に触れる。お互いの目を見てその時、漸く照れくささが湧き上がってくる。だが、それさえも、今は愛しい。
小さな星で、小さな家で、血も繋がらない家族。その日の食費にさえ困る家族。だけど、新八は胸を張って言えた。きっと自分達は、誰にも負けないほど幸せだと。そして、坂田銀時と言う男に愛されていることが、とても誇らしい。
「新八。」
「はい。」
「神楽、定春。」
「何ネ!!」
「愛してる!」
銀時の魂の篭った言葉に頷くように、定春が一つワンと鳴き、オレンジと黄色の花がカサリと揺れた。
END

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