君世の神 壱街道から外れて二里も歩くと、そこには小さな村がある。田園風景といくつかの民家が並び、夕暮れ時となると畦道を農作業に疲れた大人が歩き、それを追い越すように夕餉を楽しみにする子供たちが駆けていく。長い影が家路を急ぐ。しかしそれとすれ違い、子供たちが遊んでいたススキ野原を更に抜けると、山の入り口が見えてきた。それほど大きな山ではなく、人の行き交いを示すように、細い山道が木々を抜けるように一本続いている。途中でその道を反れ、太い溝と見間違うほどの細い川を飛び越え、緩やかな坂道を登っていくと、石の鳥居が姿を表す。その両脇を固めるは、狐の銅像。その奥は崩れたような歪んだ石畳が姿を現し、楽しげな声が響く。
「目隠し鬼さん、手の鳴る方へ。」
パンパンと早い手拍子。子供が二人、拝殿の前にある小さな社庭で遊んでいた。
そこは拝殿も名ばかりとしか言いようのない有様だ。何せ屋根の瓦は風雨に割れ、軒下の床の木は朽ちてしまっている。日もくれて、風が吹けば山の木々のざわめきはいっそう大きく感じられた。影はドンドン濃く、地面ごと薄暗くなっていく。
しかし遊びに夢中の子供たちには、辺りの景色など些細なことらしかった。
「ほら、こっちこっち。」
「ぎんときぃ。ぎんときぃ。」
子供は二人。まずは、銀時と呼ばれた子供。年の頃は数えでも十にも満たないだろう。丸く跳ねる白髪の毛先に、子供には珍しく着流しを一枚身に纏っている。その銀時が手を打って待つのは、鬼役の子供。それはまた銀時よりもさらに幼い。まだ五つほどか。真っ直ぐで短い黒髪に、丸い稚い頬。瞼の裏で、銀時を探す為に精一杯伸ばされたふくふくと柔らかそうな腕や足、紅葉よりも愛らしい手の指先は、子供の持ち物だ。
しかし身形は明らかに銀時と違った。透けそうなほど薄い衣の銀時と違い、瑠璃色の切袴に白い水干を身にまとっており、その水干も上質の生地。そしてその首元や袖口には、袴と同じ色の飾りまで施されている。しかし社に使えるには、あまりに幼すぎる。そもそも山の奥の社は、二人以外に人の気配などない。
だが子供二人には、己らの違いなどさしたる問題ではないかのように、目隠し鬼に興じている。
「ぎんときぃ・・・どこぉ・・。」
新八の呼ぶ声が、涙混じりになってしまっていたことに、銀時は気付き、やりすぎたと思った。自分を呼び、追いかけてくる新八が可愛くて堪らず、焦らし意地の悪いことをしてしまっていたことに気付く。伸びてくる手が、頼りなさ気に自分を求めている。銀時はすぐに足を止めた。
「新八、こっちだ。」
優しく。そのことを心がけて呼ぶと、新八の耳がひょっこりと顔を出した。しかし耳は耳でも、人の耳ではない。人とは違い、頭の天辺に三角の。さらに黄金色の耳が二つ。
「新八。」
「銀時!!」
呼ばれる声に、新八の耳が震える。耳のさらに先だけは白く揺れる。呼ばれた声を銀時は待つ。自分を求めてくるこの声を、裏切りことは彼には出来ない。一歩、又一歩近づいてくる新八をじっと待つ。本音を言えば、自分から駆け寄って行きたい気持ちがある。しかしそれをぐっと堪えて、伸びてくる手を信じる。捕まえてくれるのだと。知っているのだ。必死に触れてくるときの、求めてくる新八の手の感触。その時の胸の奥のくすぐったさを。銀時もそれを言葉にする術も知らずいつも。
「銀時捕まえた!!」
絡め取られる。柔らかい掌は稚く、力いっぱいに銀時の袂を新八は握り、そのまま身体を摺り寄せてくる。疑うまでもない懐く仕草に、銀時もまた、新八をさらに抱き寄せた。
「掴まっちまった。」
「わぁつ!!」
新八の目隠しを外し、ぎゅっと抱き寄せる。暖かな身体はまるで温石のようで、とても自分の身体に馴染むのを銀時は感じる。しかし少し苦しかったのか。新八は銀時の胸元から顔を出す。乱れた前髪に構わず、銀時は新八の額に小さく口付けを落す。しかし新八はそれに擽ったそうにするばかりで、嫌がるようなそぶりは見せないことが、また銀時を喜ばせた。銀時の目の前でゆらゆらと機嫌よく揺れる物がそれを証明している。
「新八、尻尾が出ちまったぞ。
相変わらず変化に慣れねぇのな。」
「だって、銀さんがびっくりさせるからだもん。」
「じゃあ、しょうがないな。」
からかうような銀時の口調に、新八は丸い頬を、さらに膨らませて丸くする。随分と冷えた空気に赤くなった頬は、銀時が触れるとすぐにしぼんで、ニコニコと嬉しげに笑った。そしてぎゅっと新八も銀時に抱きつく。腕の中の暖かさを堪能するように、頬を摺り寄せる。
だが新八はすぐに、辺りの様子に気付いたのか。背中に回した手の力を緩めてしまった。この後新八が何を言うか。銀時はすでに分かっている。
「もう真っ暗だね。
銀時、帰らないと。」
名残惜しそうな新八の手が、完全に離れてしまう。しかし帰らなければいけない張本人が、未だに新八を放そうとはしなかった。
「いいじゃん。
俺もココに住む。
あんな家より、こっちがいい。
新八と、一緒にココに居る。」
「銀時。」
「なぁ、俺がいたら迷惑?
新八はイヤか?」
さっきまでとは打って変わり、銀時は新八に甘えるように問いかける。新八が言う大好きを疑ったことなど、銀時はない。新八がその手合いの嘘を言うことが出来ないことは、出会った時から知っている。
そして新八も、そんな銀時の気持ちを理解していた。自分の好意を疑っているわけではない。ただ傍に居ることを望んでくれているだけなのだと。だからこそ、新八は銀時が絶対に否といえない言葉を毎日伝え続けた。
「嫌なわけないよ。
でも、お家の人が心配してるから、ね。」
毎日毎日。同じ言葉。しかし何度聞いても、銀時はこの言葉に拒否は出来ない。どうでもいいとはいえないのだ。
新八は人ではなかった。人よりも、神に近しい存在だ。そしてそれゆえに、親兄弟もいない。家族もない。ただ一人この山奥の小さな社にとどまり続けている。だからこそ銀時は新八と出来る限り傍に居たいと考えていた。一人の寂しさを知っているからこそ、新八の寂しさを埋めてやりたいと考えていた。しかし同時に銀時には今は共に暮らす者がいた。それゆえに新八は銀時がどれほど傍に居ると望んでも、銀時と暮らす者の寂しさを思うと、受け入れることが出来ない。銀時も、そんな新八に苛立つことはある。新八が気にかけることではないと言いたい。しかしいくら言葉を尽くしたところで、新八の優しさはそれを納得しない。一人の寂しさ孤独を知るからこそ、一人を過ごすことになる。そんな新八のいじらしい優しさは、銀時の胸を掻き毟り、言葉を詰まらせる。
「また、明日。」
そういって、そっと銀時の腕から離れていく。これ以上は何を言っても、新八は聞かない。それどころか苦しげな顔ばかりさせてしまうだけだ。それを知っている銀時は、これ以上同じ問答を繰り返す気にはなれず、しかなく諦める。
「また。明日な。
ぜったい来るからな。」
「うん。
待ってる。」
毎日の決まった言葉。頭を撫でること。それは今日はココまでと言う釘をさす為の物。
銀時は、後ろ髪を引かれる思いで、鳥居へと向かって歩く。日も暮れきった中でも新八の目ならば、自分を見ることが出来ることを知っている。だからこそ、鳥居のところで銀時は一度振り返る。新八もそれを知っているからこそ、銀時に向かって、手を振って応えてくれるのだ。
「また明日な!!」
出来るだけ明るい声でそう言い、新八の返答を待つことなく、銀時は一気に走り出した。固い石もある山道にもかかわらず、平地と代わらないように銀時は駆ける。慣れた歩調で小さな川を跳び越え、土が跳ねるのも構わず、冷え切った夜の空気を抜ける。荒い息が頬を濡らす。それに構わず銀時は一気に走りぬけ、山の木々の影を抜けたところで、漸く銀時は走るのを止めた。
一面のススキ野原の上を見上げれば、更待月が顔を出す。新八と初めて会ったときが、眉月たったことは、しっかりと覚えている。その日のことを思い出し、銀時は一人頬を緩ませて、家路を歩きだした。帰らなくてはいけないのは、辛い。しかし早くこの月が暮れ、朝が来ることが待ち遠しいことを思うと、銀時の頬は自然とゆるんでしまっていた。
だが、それは家に帰りつくまでの話だった。
「どこに行っていた!!貴様!!」
銀時が暮らす村唯一の私塾。松陽宅に帰った銀時を出迎えたのは、そんな言葉だった。途端に緩んでいた頬が固くなり、銀時の目は苛立ちに曇る。
玄関に立っていたのは、松陽ではない。年は銀時と同じだが身形は違う。くたびれてはいない小奇麗な着物をきている。銀時を怒鳴りつけたのは高杉晋助。そしてその横には桂小太郎。この私塾に通う生徒の二人である。
「晩飯時になっても戻らん貴様を探しに、先生は出て行かれた!!
どこに行っていた!!」
「待て、高杉!!」
「止めるなヅラ!!
毎日毎日、ほつき歩き先生に心配をかけてやがって。
先生の優しさに漬け込んで、迷惑をかけるこいつを許す義理はない。」
「ヅラじゃない桂だ!!
とにかく落ち着け。」
今にも殴りかからん勢いの晋助を、小太郎は必死に諌める。だが二人の視線は同じく、銀時に理由を問いただそうとしている。だが言うつもりもない銀時は、冷たく言い放った。
「誰が頼んだよ。」
「何!!」
「誰が心配しろなんて頼んだ!
誰が探せって言った!!
俺がどこで何しようと、俺の勝手だろうが!!」
「貴様!」
銀時の言葉に激昂した晋助には、もはや小太郎の制止で納まるものではなかった。晋助は銀時に飛び掛り、胸倉を掴む。銀時もまた逃げることもせず、晋助の前髪を掴み押しのける。一触即発の空気に、小太郎はすぐに飛び込む。
「二人とも止めろ。」
しかし苛立つ二人には、小太郎は見えてさえいない。
「「すっこんでろ!!」」
「ぅあっ!!」
二人は咄嗟に小太郎を引き剥がした。しかし小太郎は、いきなり二人に弾かれて、体勢を崩した。その時だった。
「大丈夫ですか?
小太郎。」
ガラッと音が鳴り開いた戸から入ってきた男が、小太郎を受け止めた。長身の大人。銀時と同じ髪の色の男は、ココの家主であり、私塾の教師。
「松陽先生!!」
呼ばれた松陽は、いつも通り穏やかな口調で、ただいまと返した。晋助と銀時は、チラリとお互いを見ると、怒りが削がれ、どちらからともなく手を放した。しかし今にも殴り合いをしようとしていたことなど、松陽には分かっているはずだった。そしてその原因が何なのかも分かっている。しかし松陽の表情に怒りなどない。ただいつもと同じように柔らかく微笑むばかりだ。そのことに妙なざわつきを感じ、銀時は松陽から視線をそらした。
「先生!!」
「晋助、小太郎。
留守番を頼んですまなかったね。
ありがとう。」
自分の所へ来た晋助と小太郎を、松陽は優しく撫でる。その姿が、何処か先ほどまで、新八と過ごしていた時の自分のように、銀時の中で重なる。だがそれを認めたくない銀時は、視線をそらすしかなかった。
「銀時、お帰り。」
松陽の言葉に、それでも銀時は返さない。晋助が視線で責めていることは分かっていたが、構うつもりもなかった。
「先生、こいつは!!」
「いいんだよ、晋助。
分かっている。
大丈夫だよ。」
晋助の言葉を遮るように、松陽は言った。晋助が何を言わんとしているかを、松陽も察している。先ほどまで緊迫した空気が全てを物語っていた。銀時に反省がないことも、それが晋助だけではない。この私塾に通う子供らに反感を買い、孤立していることも分かっている。しかし松陽がそれを咎めたことはただの一度もなかった。拒絶するばかりの銀時のことも。反感を持つ子供らもだ。しかしその一方で、松陽は銀時を当然のように、ここに置き、共に生活をしている。
腹の読めない松陽の態度に、銀時のざわつきが募り、居たたまれなくなった銀時は、家の奥へと歩き出した。
「あぁ、銀時。」
呼ばれて、銀時は反射的に立ち止まった。
「土間におにぎりを用意してあるから、食べるならもって行きなさい。」
胸の奥が掻き毟られる。苛立つ。居たたまれなくなった銀時は、家の奥へと走り出した。晋助と小太郎の声がしたが、銀時が構うことはなかった。そのまま土間に入ることはせず、自分の部屋に駆け込む。障子の向こうからくる月明かりだけを頼りに、押入れの中から布団を引っ張り出して、その中に閉じこもった。
真っ暗な暗闇の中。酷い焦燥。どうにもならない苛立ち。ここに帰るたびに、それを味わう。だから新八の傍にずっと居たい。もう一つの原因がそれだった。しかし大事にしたいと思う新八は、松陽たちを大事にするべきだと言い、剣を教わり、自分を住まわせてくれている松陽に対して、恩義も感じている。松陽を憎み、嫌うだけの理由も見当たらず、拒みきるだけの理由もない。
その一方で、銀時の中には未だに松陽を疑う気持ちもある。深い疑惑。親にさえ捨てられた自分を受け入れてくれる人間がいるとは思えない。白い髪に紅い目。この国ではまず見当たらないような姿に、親にさえ疎まれた自分を、誰が受け入れてくれるのか。いずれ面倒に煩わしくなり、捨てるのではないか。そもそもどうして自分を拾ったのか。銀時はその苛立ちから逃れんと、ぎゅっと強く目を瞑った。暗闇の中にほっと息をつく。
深く濃い迷いの中にいる今の銀時が、ただ一人だけ。疑うまでもなく信じられる者。それが社にいる稲荷神。新八だった。
銀時が新八と出会ったのは、あの社の中。他の子供らの目がいやになり、人目を避けられる場所を探していた銀時があの山の中に踏み入ったのが今から丁度二週間ほど前だった。
昼食を終え、踏み入った山の中で見つけた鳥居。そこを潜って見えた社は、随分と廃れていた。如何見ても人がいて奉っているようには見えない。賽銭箱も覗くが、あるのは綺麗な模様を描く蜘蛛の巣がばかり。どうやら村人さえも来ていない有様に、丁度良い隠れ家だと、銀時はにんまりと笑った。雨風がある程度しのげるのならば、昼寝には丁度良いとばかりに、朽ちた木の壁の穴から中へと潜りこむ。中はさすがに埃っぽく、数度くしゃみをしたが、銀時は構わずに中を見回した。そこで銀時は小さな塊を目にした。
中には他の神社と代わり映えはない祭壇があったが、奉られた鏡はすでにボロボロ割れて落ちていた。しかし銀時の目を引いたのは、廃れきった祭壇ではない。その祭壇の前にある小さな塊。自分よりも幼い子供だった。驚き、まさかと息を呑む。
「ちょっ・・おぃ。」
近くによると、ギシギシと今にも抜けそうな床が音を立てた。仕方なく、すり足で確かめながら、銀時は子供に近づいた。近づくと、銀時はさらに驚いた。銀時よりも幼そうな子供は、呼吸をするたびに肩を小さく上下させ、すやすやと眠っていた。それだけであれば、自分と同じように人目を避けに来た先客の子供だと想うだけだろう。驚きはしない。銀時を驚かせたのは、その姿。ススキと同じ色の耳と、尻尾が子供から生えている。
人、ではない。明らかに違うそれに、流石に銀時も少しばかり身体を引いた。しかし見ぬふりをするには銀時は驚きすぎて動くことも出来ない。すると今度は好奇心が、ムクムクと銀時の腹の奥を擽る。ただの飾りかもしれないという疑いも重なり、銀時はその頭にある耳に手を伸ばした。
そろりそろりと伸ばす手。最初は触れるか触れないかと言うぐらいに。しかしそれでも起きない様子に、今度はしっかりと触れる。ふわふわと柔らかく暖かかった。
生きてる。本物だ。
銀時が実感したのを、察したのか。耳がぶるぶるっと振るえ、銀時は咄嗟に手を放した。そして子供はむずがるように身体を動かしだした。
待て、まだもうちょっと準備が。銀時がそんな身勝手を想っている事など知らず、子供の瞼は胎動する。顔を顰めて眠気を横に置くと、ゆっくりと目を開いた。
「あっ・・・と、お、おはよう。」
ぼんやりとこちらを見つめてくる子供に、銀時は何処か間の抜けた言葉で返した。他の言葉など思い浮かばなかったのは、仕方のない話かもしれない。狐の怪しに会ったときの挨拶など、誰も知るわけもない。だが銀時の選んだ言葉は、間違いではなかった。
「おはよう。」
ぼんやりとした声で、子供が返事をしたからだ。明らかに悪意のない子供の怪しに、銀時も警戒する気にもならない。だが何を言えばいいのかが、分からなかった。
一方身体を起した子供は、現状を理解できないのか。辺りをぐるぐると見回し、頭を掻くと首を捻った。
「ここ、どこ?」
不思議そうに訪ねてくる。仕方なく、銀時はありのままを伝えるしかない。
「神社だけど。」
「じんじゃ?
神様のお家のこと?」
「まぁ、そんな感じかな。
で、お前は何?名前は?」
銀時はとにかく知りたいことを聞いた。身形からすれば、御伽噺に聞く狐の妖怪。その子供のように見える。しかし目の前の子供は、如何見ても邪悪さの欠片もなく、耳と尻尾を除けば、村で野を駆け回る子供にしか見えない。
「新八。
神の器だよ。」
「かみのうつわ?」
「うん。」
あどけない子供の口から零れたのは、銀時はまったく知らない言葉だった。
新八の言葉は、まだ覚めきらぬ眠気のせいか、たどたどしい口調ながらも、自分がどういう存在なのかを語り始めた。
神の器。それは人の器とも言えるものだった。
人は生きている。そして天寿を全うし、最後は死ぬ。それは肉体の死だ。しかしその魂は死ぬことはない。人が死ぬと魂はその肉体から抜け出し、審判を受ける。悪行を行ったものは、その業の重さにより罰を受けることがあるが、最後は皆等しく神の御許へと安らかに眠りにつく。その眠りに着く時、魂を受け入れる受け皿のことを神の器と言い、そして眠り満たされた魂と器は、神の御許を離れ、再び現世へと戻ってくる。そして現世で、器を離れると、魂はもう一度この世に命として生み出され、器は不安定な形を維持するために、この世界のなんらかの物や生き物に憑依して暮らす。
新八はその魂と離れ、再び神の器としてこの世に下りてきた存在だった。
「この世界にいる神様というのは、みんな神の器なんだ。
器は、身体と魂が離れるまで、みんなこの世界に留まってる。
その間は、自由行動なんで、人の目に映ったりすることもあるみたい。
くっつかれた物とか生き物っていうのは、そのあとに凄く一杯の力がもらえるんだって。」
話の締めくくりに、新八が暢気な口調でそう言うと、銀時はなにやら世知辛いような気持ちにさせられた。
神仏を拝むような心は、もとより持ち合わせてはいない。しかし、皆が信じ拝んでいたものが、自分たちの抜け殻だといわれれば、なにやら複雑になるものだった。まるで蝉の抜け殻を、勲章のように大事にしている子供の変わらないと思う。
「じゃあ、お前は魂の抜け殻ってことか。
で、この世の中のどっかに、お前の魂を持った人間が、生まれてると。」
「うん。
多分。」
「多分って・・・。」
「魂が抜けた瞬間のこととか、向こうでの記憶って覚えてないんだ。
っていうか、向こうでは寝てばっかりだし、寝る前の記憶もないし。
神様にも会ってる・・・とは思うんだけど覚えてないんだ。」
「なるほどね。」
妙に納得させられ、銀時は頷くしかなかった。
「でもさ、お前いいの?」
「何が?」
「いや、お前一応俺たちで言うところの神様なんだろう。
俺に姿見られたりとか、そういう神さんの事情とか。
俺にしゃべっちまって問題ないわけ?
後で怒られたりしねぇの?」
あまりにあっけらかんと話す新八に、銀時の方が不安になってきた。本来知るはずのない事情を教えてしまったことで、新八が罰を受けることになるのは、胸が痛む。新八に悪意がなく、どこか頼りない印象があるだけに心配にもなった。しかし銀時の新八をよそに、新八は気にかけた風ではなかった。
「たぶん、えんだから大丈夫だよ。」
「えん?」
「えんっていうのは、神様が決めてるんだ。
だから、僕が君にあったのは、えんだから大丈夫だよ。」
新八のいう”えん”と言う言葉が、人とのめぐり合わせを言う縁の意味だと、銀時は漸く気付く。しかしあまり使う機会のない言葉に、新八の説明が理解しきれない。
「いまいちわかんねぇんだけど。」
「う~ん。
えっとね、神様ってすごく頭が良くて、何でも知ってるんだ。
ずっとずっと、何十年何百年も先のことも知ってる。
そんな神様が一人一人にその人が幸せになるようにって考えて、縁を作ってる。
今あるものは、みんな神様が創った縁なんだ。
だから、大丈夫だよ。」
たどたどしいながらも、、手をせわしなく動かしながら新八は説明する。その言葉には、自信に満ちている。しかしだからこそ銀時は、新八の言わんとすることを理解できた。つまり、神は全てを知っており、そのすることに間違いはない。だから何も心配しなくても良いという。しかしその説明は、逆に銀時の苛立ちに触れたが、新八は気付かない。
「もし縁がなかったんだとしたら、僕は神様っていうことも知らずに君に会ってるはずだし。
そもそも会わなかったはずだからね。
きっと君は知る為にここに来て、僕に会う為にココに来たんだ。
それで、僕も君に会うために、ココに来たってで・・・・。」
「そんなのわかんねぇだろう。」
銀時の苛立ちが、新八の言葉を途中で断ち切った。神の全てを信じている新八が、銀時には疑わしくて仕方がない。新八が神の器だから、きっと知らないのだと銀時は思う。この世ではない綺麗な場所のことしか知らないから、そんなことがいえるのだろうと。実際に、銀時のコレまでは、とても縁などと言えるものではない酷いものだった。アレが神の作ったものなのだとしたら、神など地獄の鬼と大差ないとさえ思う。
「何が?」
だが銀時の疑問こそが、不思議だ。そう訴える視線を新八から受ければ、銀時は苛立ちは途端にたじろいだ。心からの苛立ちだったというに、心は揺らぐ。真っ直ぐな、くるりと大きな瞳が、銀時を見上げるのだ。間違いだと言うことも、今までの銀時の悲惨な体験も、このまっさらな心に聞かせるのは、銀時は忍びなく胸が痛んだ。
「だから・・もしかしたら神様が間違えたかも知れねぇだろう。
それに・・・・。
もし、神様が人を幸せにするためにいて、縁を作ってるんだとしたら、何で・・・・。
あんな・・・嫌なことになるだよ。
いやなこととか、起こるわけねぇだろう。」
銀時の反論に、新八は眉を潜めて腕を組み考え込む。うぅんと唸りながら、何とか言葉をひねり出そうとしているらしかったが、その表情や仕草さえ子供が大人を真似事をしているようで何処か滑稽にしてしまっている。しかしあまりに真剣に、それも銀時の為に小さな頭で考えてくれている新八を茶化すような気になるわけもなく、銀時は小さな神の器がどんな返答を返してくれるのかを、神妙に正座をして待っていた。
どれだけそうしていただろうか。しばらくすると、新八は考え込んでいた顔を少しだけ緩め、銀時の様子を伺うように話始めた。
「何があったかは僕は、よく分からないけど。
でも辛いことがあったとしても、きっとそれは君が幸せになるために起こったことなんだ。
君がそれを乗り越えて、今よりもっと幸せになるために必要だから、そういうことがあったんだと思うよ。
現に、君は今そんな辛いことがあっても、こうやって生きてるだろう。」
生きているだろう。新八は当たり前のように言った。
新八のその響きは、今まで銀時が聞いてきたどんな言葉よりも、銀時の心の中にすんなりと入ってきた。苛立ちも悔しさや惨めささえ掻い潜り、あっさりと銀時の心の一番深い所へと落ちて、銀時から全身力を奪った。
新八の言葉は、ただ呼吸をし、心臓を動かすものと言うこと以上の深さがあった。ただ生きている。そのことを疎まれていた銀時にとって、生きていることこそが祝福だという新八の言葉は、まさに晴天の霹靂と言えるほどの驚きだった。
「それに、もし神様が万が一間違ったとしても、それはそれで凄いよ。
間違ったりしない神様が、間違ったなんて凄い縁だよ!!」
新八は、銀時の様子など気付くことはなく、少々的の外れたことを言い出す。しかし今の銀時にとっては、それさえも真実に思えた。今まで受けた酷い仕打ちも、空腹の飢えも、奇異の目も。全てが今このときの為。新八のこの言葉にたどり着くための布石だったのだとしたら。そう思うと、過去の苦しみが取るに足らないことのようにさえ思えてきた。
「大丈夫だよ。
だって、君は生きてるし。
君はちゃんと、もっと幸せになるために、生きることに選ばれたんだ。
だから大丈夫。」
そして最後に、にっこりと笑った。極上のまっさらな笑顔。それを見た瞬間、銀時は自分の涙腺が緩むのを感じた。喜びなのか。それとも驚きなのか。安堵なのか。苦しみにも似た腹の底から沸き立つ熱に、銀時は新八に気付かれぬようにこっそりと唇を噛んだ。
「そっか。
じゃあ、大丈夫だな。」
「うん。」
震えそうになる唇で銀時が言う大丈夫と言う言葉を、新八は一瞬の躊躇もなく頷いた。嬉しそうな声は、同じものを信じる同志を得た喜びのようにも感じた。
しかし実際銀時が信じたのは、神ではない。もちろん神の作る縁は尊いのかもしれない。新八が言うのならばそうだと思える。新八がそれを信じているのも分かる。
だが、銀時が信じたのは、神の縁ではなく、その縁により出会うことが出来た新八だった。ただ一点の疑いもなく神の縁を信じ、苦しみも悲しみがあったとしても、その先に必ず幸せがあるのだと信じている。銀時は、そんな新八であれば、信じられると思った。
何も知らず、目に見える確証すらない。しかしそれでも、先に幸せがあると言い切ることを、”信じる”と言わずに何と言うのか。そして、そんな新八を信じられなくて、誰を信じられるのかと思った。
「ところでさ、僕も聞いていい?」
「ぅん?なんだ?」
銀時が聞き返すと、新八は自分の後ろを向いて、ふらふらと揺れる尻尾を掴んで軽く引っ張る。
「このふわふわしたものって何だろう?
あと、なんか頭にもそもそしたのが着いてるんだけどとっていいの?
なんか、君と違うし。」
「ふぇあ?いや、ケツについてるのは尻尾だし、頭についてるのは耳だろう。
取っちゃ拙いだろう。
さっきお前が言った話しからすっと、お前は狐に憑依したってことなんだろう。
俺たちで言うところの稲荷神なんじゃねぇの?」
「ひょう・・・?いなりって?
狐って・・・何?」
沈黙が落ちた。あんまりな質問に、銀時はただ言葉をなくし、しばらくぼんやりと新八を見る。新八は首をかしげた。しかし次の瞬間に銀時は、大きな声で笑い転げた。その様子に新八がワタワタと慌て出し、それでも笑いは納まらず、腹を抱えてうずくまる銀時に、最後は剥れてしまうことになるのだった。
だが銀時は別段、新八の無知さ加減がおかしくて笑ったわけではなかった。確かにそれもあったが、それだけではない。
神を信じ、縁を信じている神の器。それがどれほど大きな存在は、新八の言葉の端々から分かっている。その一方で、新八の知識はといえば、この世の五歳の子供にも劣るだろう。
しかしそんな新八が、銀時を一瞬で、そして実に鮮やかに救った。
単純で、無知で、真っ直ぐで、それゆえに純粋な神の器は、その時の銀時を救い、笑うことさえ忘れていた銀時に笑顔をよみがえらせたのだった。

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