「家帰ってきたら電気がついてて、ご飯作ってあって。
玄関開けたら娘とペットが出迎えてくれんの。
銀ちゃんおかえりぃ~って。
で、俺がただいま~かぐら~さだはるぅ~みたいな。
家に上がると、嫁がおかえりなさい銀さんとか言って、不器用だからご飯まだ出来てなかったりして。
先にお風呂入ってっていう、家族が欲しいです。サンタさぁあああん!!」
そんな本気の願いは、唐突に叶った。
乗り遅れサンタクロース1クリスマスを終えると、町並みは緑と赤だったものが、紅白へと色を微かに変えただけで、新年を迎えた。お祭り好きがこの国の気質。節操もないことこの上ない。それは、地域密着型大江戸スーパーでも同じことだった。新年会や親戚での集まりにも対応するために、パーティー用のチキンや酢豚などの盛り合わせなどが売られている。クリスマスの時との違いは、シールの絵柄がもみの木と靴下だったのが、門松と日の出に変わっているぐらいだった。
今までは、それに対しては憎々しい気持ちしかなかった。所詮独り者で、天涯孤独。新年だからと言って、集まりがあるわけでもなく。あるとすれば、毎年階下の家主の店で行われている、歌舞伎町町内会の新年会に呼ばれるぐらいだ。家でこんなものを買えば、間違いなく余る上に、下手をすれば腐らせてしまう。しかし、今年は違う。
「銀さん、銀さん!!
やっぱり銀さんの言ったとおりです!!
ほら、50円引き!!」
買い物カートをゴロゴロと押す俺に、惣菜コーナーから声がかかった。そこでは、新年とは言えど家事に休みなしの主婦に混じって、世間知らずの少年が一人。18時を過ぎ、50円値引きと赤札のついた、春巻きと鶏のから揚げのセットを誇らしげに見せようとしていた。自分が酷く浮いていることなど、まったく気付いていない辺りが、あの子供らしいと思うが流石にこっちが恥ずかしい。
「わぁったから、新八。
とっととそれ持ってこっち来い!!」
「はぁ~い。」
とてもお利口な返事を返して、こっちにくる子供は浮かれた調子で、歩み寄ってくる。その姿は、まるで主人の投げたボールを拾ってくる犬っころと大して違いはない。それを証拠に、持ってきたパックを篭に入れて俺を見上げてくる目は、褒めて褒めてとねだってくる。俺は強請られるままに、ぽんぽんと頭を撫でてやると、それだけのことに新八は、この上なく嬉しそうな顔を返してきた。それが照れくさくなり、俺は視線をそらした。
「よし。
次は、鯛行くぞ!
もうそろそろ安くなってるからなぁ。」
「はぃ!!」
俺の隣を誇らしげに歩く新八と一緒に、俺は次のお目当てを探しに、スーパーの中をぶらつき始めた。
別に一人でだって生きていける。
10代後半から20代半ばぐらいまでは、本気でそう思ってた。適当に遊ぶぐらいの女は居たが、特にのめりこむ感じにはならず、だけど冷めすぎず。そんな中途半端を行ったり来たりする。そんな関係の女なら何人かいた。向こうもこっちも独り身なら、それなりに楽しいもんだと思ってた。でも、20代後半になってくると、それさえもむなしくなることがある。
たとえ外で遊んできたところで、家に帰れば、真っ暗な家。冷えた室内。冷蔵庫の中は、常備されているビールとイチゴ牛乳とプリンと賞味期限寸前の卵だけ。がらんどうの家に帰るのがむなしいからと言って帰らないでいれば、仕事にならず。むしろ帰らなくても、自分以外誰も困らないという現実が、もう外で無為に過ごすことにさえ寂しさを持たせた。
そう、寂しい。俺は寂しくてたまらなくなってた。
最初の方は意地も張れてたが、三十路も手前あたりになってくると、それも面倒になってきた。俺が格好が悪くても、誰も見ちゃ居ないし、誰も困らない。特に酒が入れば、もう意地は崩れていく一方。まして、11月も末になれば、町並みは赤と緑の装飾で華やいで、気の早いクリスマスムード一色。行き交う人も楽しげに微笑んでいれば、独り身の寂しさは、ピークに達していた。
だから酔いに任せて言ったんだ。
家族が欲しいって。
誰も聞いてないって思ってたのに。長谷川さんだって、飲み屋のおやっさんだってもう忘れてる。言った本人さえ忘れてた。なかったことになっている。なのに、神様っていうのは、さすがというか、何と言うか。
見てたらしい。
それも、サンタクロースが。
「今日は、白菜と葱も安かったし、水炊きにしますね。
お豆腐も家にあるし。」
「ぅ~ん。」
俺は気の入ってない返事を返したが、新八は別段気を悪くした様子もなく、暖かそうな白い息を吐いた。冬になれば、タイムセールが始まる頃には、すでに外は真っ暗だ。
俺も今日は一日寒かった。初詣ににぎわっている神社の裏方。大晦日の夜から一週間間の予定で組まれた仕事は、殆どが外での作業だった。正月三箇日も過ぎれば来客も少ないので疲れもそれほどでもないけれど、今日で最終日と思うと早く帰りたくてたまらなかった。そして買い物帰りの新八と待ち合わせて、二人並んで商店街を歩く。冬休みも残りわずかということもあり、まだこの時間でも子供連れも多いからか、何処か楽しげだ。尤も子供連れでなかろうと、楽しいものなのかもしれないとは、俺も最近気がついた。
「神楽ちゃんと定春。
お登勢さんのところで、ちゃんと大人しくしてればいいんだけど。」
「大丈夫だろう。」
「だといいんですけど。」
隣を歩く新八の頭の中は、どうやら夜の献立から俺たちの帰宅を待つ、娘の神楽とペットの定春のことへと移っていた。もごもごと大丈夫かどうかと呟いている。その横顔を見ていると、本当に娘を心配する母のようで。神楽の母ならば、当然俺にとっては、嫁さんなわけで。本職は、サンタクロースなのに。でも嫁さんのような姿を見ていると、胸の奥が痒くなる。もちろん、それはいやなわけではなく、むしろ顔がにやつく顔を抑えようとして。
俺の願いを聞いていたサンタクロースは、手ずからプレゼントを届けに来た。それが新八だ。クリスマスの夜に一人ちびちびとカップめんなんかを啜って、クリスマス番組なんかを見ていたときだった。一月ほど前、自分がサンタにした願いごとなんてすっかり忘れていた夜に。
分かりやすいぐらいに、真っ赤な服に白いファーのついた袖。同じ色の三角帽子。見るからにサンタの姿をした新八は、大きな袋に家族を詰めて、俺の家にやってきた。
家族として手渡されたのは、俺が願ったとおりのペットと娘。白いもこもこの毛並みの子犬が定春。大きな真っ黒い目がくりくりとしている。そして、娘が神楽。ピンク色の髪に白い肌。なぜか語尾にアルをつける見た目は2歳ほどの娘だ。
新八曰く、元は、神楽は人間の夫婦の間の、定春は犬の夫婦の間に生まれる予定だった子供の魂だ。それを神様から預かり、新八が一ヶ月間、心を込めて育てたそうだ。それを聞いた銀時が、これからも一ヶ月に2歳も年を取るのかと聞くと、もちろんそういうわけではなく、神の世界の特別な食事をしていた為に、急成長をしただけで、人間の世界では、他の人間と同じように成長するらしい。
そして、その一ヶ月の間の様子は、新八が事細かに撮影したアルバムやビデオテープを見せてもらうことで、埋め合わせされた。アルバムには、全て新八の手書きの一言が添えられている。今もそのアルバムは現役で活躍し、出かけた公園や河川敷での様子なども添えられている。
ココまでは、パーフェクト。俺の希望を満点で応えてくれた新八サンタ。しかし新八サンタは、一つ重要なことをミスってた。嫁さんだ。何でも手配ミスで、到着が二週間後らしい。新八はその嫁の代理として、俺の家の家事から神楽と定春の子守までしてくれている。
でも、俺としてはミスになってなかったりする。どんな嫁を用意してくれたかは知らないけど、正直新八は俺の願っていた通りの嫁そのものだった。不器用で素直で一生懸命で、甲斐甲斐しい世話好きの嫁。他の誰よりも、俺の心にぴったりと嵌った。
なのに、新八サンタは、2週間の期間限定らしい。そしてその2週間の期限が明日に迫っている。こうして一緒に歩けるのも、残りわずか。そう思うと、自然と俺の歩調はゆっくりと速度を落としていた。
まだ1週間ある。まだ5日ある。まだ3日ある。そんないい訳は、もう使えないと思ったのは、今朝のことだった。朝起きて、台所に立つ新八がおはようと言ってくれたとき。もうあと一回しかないのだと思った。さすがにまだ一回あるなんて、いい訳はもう出来ない。
これからのことも。そして、自分の気持ちも。
引き返せない所まで、きてしまった。
「お登勢さん。」
階下のスナックお登勢の引き戸を開けると、中は開店直前だったらしく、カウンターには店主のお登勢が料理の出来をチェックしていた。
「預かってもらって、スミマセンでした。
神楽ちゃんと定春、いい子にしてましたか?」
「しょうがないさ。
あんな小さいのスーパーに連れていくのも大変だしね。
今は、奥で大人しく寝てるよ。」
お登勢が顎で店の奥を指す。
「良かった。
ありがとうございます。」
「連れてくっから。」
「あっ、お願いします。」
軽い荷物を押し付けたとはいえ、すでに新八の両手はふさがっている。何よりカウンターへの入り口は俺の方が近かった事もあり、俺は勝手知ったる中へと入った。背後では、新八とお登勢が話す声を聴きながら、ブーツを脱ぎ、奥へと上がる。
ギシギシとなる細い廊下の奥を開けると、豆電球だけがついた小さな和室に、神楽と定春が寝かされていた。暖房のない部屋では、互いの体温が暖かいのだろう。二人ぴったりと寄り添う姿は、まるで姉弟のようで微笑ましい。正直起すのは忍びないが、いつまでもココで寝ているわけにもいかないし、夜寝れなくなるのも困る。俺は二人の傍に腰を下ろした。
「神楽、起きろ。
帰るぞ。」
軽く揺すってやると、ぐずるように身体をもぞもぞと動かす。しばらくすると瞼がぴくぴくと胎動し、ゆっくりと目を開けた。
「ぎんちゃぁん?」
「おう、ただいま。
家かえって晩飯食うぞ。」
寝ぼけている所為でだろう。定まらない視線でコテリと首をかしげた。ゆっくりと身体を起し、口をもごもごと動かしている。その神楽にあわせるように定春も目を覚ました。神楽と違い定春はあっさりと目が覚めたのか。起き抜けにワンワンと鳴き、神楽の頬をベロベロと舐めた。それで目を覚ました神楽は、俺を見る。
「電気つけるぞ。」
そこで俺は、豆電球から電気をつけた。薄暗さに慣れていた目が痛むのか、神楽は一度ぎゅっと目を瞑ったが、何度か瞬きをして、目を慣らすと、俺を見上げてきた。そして最初にこういった。
「新八どこアルかぁ?」
罪悪感どころか、まるで当然のことのように、神楽の言った一言に、俺は心の中でこっそりと傷つきながら、ババァと話してると伝えた。すると神楽はすぐに歩きだし、新八を呼びながら店の方へと向かっていた。残された定春が、くぅんと鼻を鳴らしたのが、俺を慰めているように感じられて、余計に悲しい。毎度のことで慣れたとは言えど。
目を覚まして、神楽が一番に言うのは決まって、”新八はどこ?”なのである。なかなか銀ちゃんお帰り~を自分から言ってくれない。例え俺が仕事帰りで新八が台所に居ようと、俺たちが二人一緒に出掛けていようと決まってそれだ。1ヶ月のブランクがあるとは言え、正直少し寂しくもなる。俺、一応お前の父親ってことになってるんだけどと言いたい。
とはいえ、外で働いてきたのは、お前たちを養うためなんだけど!!というのも、世の父の定番の悲哀と思えば、幸せな寂しさというものなのだが。
ため息をつきながら定春を抱えて、電気を消し、店の方に戻ると、すでに新八の腕に納まった神楽の姿がそこにあった。
「銀さん、ちょっと待ってくださいね。
今、お登勢さんが、大根の煮物分けてくださってるんで。」
「いや、俺先に上戻ってるわ。
神楽と一緒に後で来い。」
「あっ、わかりました。
戻ったらすぐに晩御飯の仕度しますね。」
「おぅ。」
カウンターから客席に戻り、持てるだけの荷物を手に取ると、そのまま玄関へと向かう。先に戻って台所にストーブを入れておけば、戻ってきたときには暖かくもなるだろう。ただでさえ料理は水仕事が多いのだから。コレぐらいは、当然。
外に出ると北風が顔を叩き、思わず肩をすくめた。腕の中に居た定春も寒かったのか。俺の懐へともぐりこんだ。早く暖かい水炊きが食いながら、今はまだ俺の可愛い嫁さんな新八に酌してもらって一杯呑みたい。そんなことを思いながら、俺は駆け足で鉄の階段を駆け上がった。
絶対、こいつだ。
そう思ったのは、初めて新八が手料理を振舞ってくれた日。来た翌日の夜だった。サンタクロースが初めて作ってくれたのは、寒い冬には美味しい粕汁と、鰤の照り焼き。白い飯だった。
「和食なんだ。」
先に神楽に食べさせるために、鰤の身を解していた新八が、ぎょっとしたのを俺ははっきりと見た。それまで綺麗動いていた箸が、急に忙しなく、開いたり閉じたりを繰り返す。
「す・・・すみません。」
真っ赤な顔をして、顔をそらした新八は小さな声でそう言った。もちろん俺は、何も和食が嫌いって訳じゃない。と言うよりも、戦場上がりの俺がそんな驕った舌を持っているわけがない。好き嫌いは基本的にないし、酷い頃は蛙や鳩だって食べてた頃もある。それでなくても、一人暮らしでは惣菜コーナーの常連客だった俺にしてみれば、豪華な夕食だとも言えた。和食だったことに驚いたのは、別の理由だ。
「いや、悪いって意味じゃなくて。
お前、サンタじゃん。
だからてっきり洋食なのかなぁ~って。」
「あぁ、そう言うことですか。
良かった。」
ほっとしたように、新八は息を吐いた。でもその頬はまだ少し紅い。そして口は擽ったそうに、ゆるゆると笑みを作る。照れくさそうに。
「実は、ココに来るって決まってからお料理の練習したんです。
僕、向こうでは基本的に食べなくても平気だから。」
「えっ?」
「一応、その銀さんのお嫁さん、だから僕。
和食勉強したんです。
時間なかったから、あんまりレパートリーないんで申し訳ないんですけど。」
真っ赤な顔を俯かせて、恥ずかしそうにそう言った。隣で神楽がそんな甘酸っぱい空気など気にもせず、ご飯もっとアルと食器をかちゃかちゃと鳴らす。慌てて新八が神楽の分のご飯をよそいに行った。
俺も流石に我に返って、ソファに座り改めて目の前の粕汁とご飯。そして鰤の照り焼きを見る。確かによく見れば、粕汁に浮かぶ具材は形が不揃いだし、里芋は皮を削りすぎたのか身が小さい。照り焼きのソースを指で舐めれば、味醂が多かったのか。味が濃い気がするが、甘いのが好きな俺には丁度いいぐらいだ。
でも、そんなのは二の次だ。
そんな細かい味付けの愚痴なんて、どうでも良かった。
「銀ちゃん、タコちゃんウィンナーみたいアル。」
さじをはむはむと加えながら、神楽が言った。俺はそのタコちゃんウィンナーの如く赤い顔を隠すように、粕汁をズズズっと啜った。
完全にやられた。
粕汁で熱くなる頭と身体とは裏腹に、静かに。でもはっきりと俺は感じ取っていた。冷え切った身体に煮えたぎった湯が触れたような自覚だった。
もう冷たささえ感じられないほど悴んで鈍った身体と心が、その熱さに気付いたときには、手遅れ。熱い。熱くてどうにかなっちまいそうなのに、その熱から逃げようと思うこともない。あの寒くて堪らない中に戻るぐらいなら、茹ってぶっ倒れてもいい。
もう、そこからは不可抗力だった。その熱の虜になった俺は、ターミナルからバンジージャンプをするかの如く、ものすごい速度でサンタの虜になってしまった。
料理をする後姿を見るたびに、堪らない気持ちになり、洗濯を干す姿を見ては抱きしめたくなる。そして神楽をあやす姿を見るたびに、俺の相手もしてくれと言いたくなった。思いはドンドン膨らむ一方だ。
でもこの生活は二週間限定。明日の夜には、新八は居なくなる。
新しい嫁さんなんて要らない。
はっきりといえば、そうだ。新八がどんな嫁を用意してくれたかは知らない。でも、今の自分にとっては、新八以上なんてのは、居ない。
でも、それは言えなかった。
「銀さん・・・あの。」
枕を抱えた新八が、布団の上で足を崩して座っていた。真っ暗な室内で、さっきまで暖かかっただろう身体が小さく震えていた。
「お前、先、布団入っとけって、言っただろう。」
「でも、やっぱり・・・・。」
俺の言葉に、新八は顔を俯かせて、ますます枕をぎゅっと抱きしめた。流石にため息しか出てこない。そんなことに、新八はびくりと身体を震わせたが、とりあえず新八を布団に入れるのを俺は優先した。風邪をひいちまう。新八の前に腰を下ろし、向かい合うように座る。
「もう、寝ようか。」
「はぃ。」
メガネを外し、枕元へと置く。昼間の人懐っこい犬のような姿が嘘のように、今の新八は恥ずかしげに、赤らめた顔を少しだけ上げた。請うような視線に応えて、俺はゆっくりと顔を寄せて、その額に軽く口付けを落とした。
「おやすみ。」
「はい。
おやすみなさい。」
はにかむような笑みを見せながら、布団の中へともぐりこみ、俺もそれに続く。身体を寄せ合いながら、いつものように胸元の辺りに顔を寄せてきた。
「なんか、お前めっちゃ冷やっこくなってるんだけど。」
「ごめんなさい。」
「・・・もういい。
とっとと寝ちまえ。」
「はい。」
俺は、暖かさを移すために、ぎゅっと新八を抱きしめてやると、新八も目を閉じた。背中を撫でると、安心するらしく、身体の力がゆっくりと抜けて、次第に呼吸が穏やかになり、喉が動きを止めた。新八が寝入ったのを確認して、俺の眠気はすっかりと覚めてしまった。さすがに安心したように寝ている新八に、何かするなんていうほど俺だって鬼じゃない。
新八とこうやって一緒に寝るようになったのは、実は最初からだ。布団が足りないというわけじゃない。来客用の布団なら、ぼろいが一応なくはない。
それでもこうしているのは、夫婦ならば褥をともにするのは、当然という新八の言からくる。最初は、夜の務めも、といわれたが、流石にそれは断った。その結果、ならばせめてと先のようなやり取りをして、一緒の布団で寝るようになった。断ったのは、いくら夫婦役とは言え、新八は男だし、新八が物慣れているようには、どうしても見えなかった。なによりその時は、まだ新八をそう言う意味で意識しても居なかったからだ。
でも、今はといわれれば、意識していないわけがない。こうしているだけでも腰の辺りや股の付け根辺りは、非常に居心地が悪い。今の俺に新八に何もするなというのは、3日食ってない狼の前に兎を置いて、待て言っているのも同じだ。
それでも俺は、堪えている。堪えるしかなかった。2週間限定。そういわれていたからだ。
ずっと傍に置きたい。サンタになんか戻らなくて、ずっとココにこうして俺の腕の中に納まってくれているなら、俺は何の躊躇もなく新八を抱いただろう。好きだといって、無我夢中で求めただろう。
でも、それは俺の我侭でしかない。
娘とペットと嫁。
叶うわけない。手に入るわけない。そう思ってたもんを、全部新八はくれた。嫁は2週間遅れらしいが、そんなことは問題じゃない。遅れてくれたおかげで、こうして新八を知ることができたのだから、ラッキーだとさえ思う。
その上新八を欲しがるということが、どれほどのことか。分からないほど俺も馬鹿じゃない。元居た自分の世界を捨てろ。そう言ってるのと同じだ。
新八が、俺を憎からず思ってくれているのは、知っている。それが俺と同じ気持ちなのかと言われれば自信はない。それでも俺の為に料理を練習してきてくれたり、こうやって一緒に寝てくれる。嫌いな相手に出来ることじゃない。
何より、神楽と定春だ。素直で元気で可愛い娘とペット。まさに俺好みだ。それを育てた新八だ。どれだけ俺の好みが分かっているのか、どれだけ俺を見抜いているのかと問い詰めたい。わかってやっているのでないなら、それはそれで新八が、それだけ俺の好みだと言うことなんだから困る。
新八が優しいことも、俺を少なからず好いてくれていることも知っている。だからこそ、俺には言えない。好きだから、傍にいてくれ。ずっと俺の嫁さんで居てくれ。なんて言えるわけがない。そんなことになれば、新八が同情でココに残ろうとするかもしれない。もしそんなことになれば、きっといつか後悔する日が来る。
地位も金も何もない。あるのはこの家と木刀と寂しがってばかりの心だけ。結局は甘えるばかりだ。その上全部捨てさせて、そんな俺のところに来いなんてのは、流石にいえなかった。
序々に暖かくなった身体を抱えて、俺はまったく来なかった睡魔を待って、最後の夜を越えた。
「じゃあ、僕買い物行ってきますね。」
「俺も行く。」
ソファから立ち上がった新八に、間髪入れず、俺はそう言った。夕方だった。いつものタイムセールがそろそろかと言う時間だ。
「あの別に、今日はそんなに重たいものないから。」
「いいから。
行くぞ。」
固辞しようとする新八に、俺は有無を言わせずに立ち上がり、傍に居た神楽と定春に買い物に行くことを伝えた。付いてくるようにと付け加えると、嬉しそうに俺の腕に転がってくる二人を抱えて、防寒具を着せてやる。神楽に着せたのは、初めて家に来たときにきていた紅いコートだ。嫌な予感に胸の奥がざわついた。それでも今はそれしかないのだからと、神楽にそれを着せてやる。この間の仕事の依頼料が振り込まれたら、絶対に新しいのを買ってやろうと決めた。
振り返ると、新八が困ったような顔をして視線を向けてきた。分かってる。でも、俺はそれに構ってやれなかった。困られようが嫌がられようが、見っとも無かろうが俺は、新八の前に立った。
「行くぞ。」
「・・・はい。」
神楽を肩車して、定春を片手で抱えて。余った左手で、新八の手を握った。強張った腕を無理矢理無視する。靴を履いて、外へと出れば、風は冷たい。連れて行かれそうだ。それに負けないようにと、俺は新八の手をぎゅっと握った。
今日が最後の日。
流石に今日は、俺も新八もおかしかった。朝からぎくしゃくとしていて、会話は少ない。俺も言いたい事があったが、新八も何かある様子だった。何か言いたげな視線を向け、口を開きながらも、何も言わずに閉じる。それをずっと繰り返して、言葉を飲み込んでいた。
そんな俺たちの空気を察していたのだろう。神楽と定春が、今日はやたらと俺に甘えたがった。普段は新八に甘えることが多いのに。俺も神楽たちと遊んでいれば気もいくらか紛れた。それでも昼を過ぎれば、神楽たちも俺に近寄りがたくなったらしく、和室で定春と遊びだした。新八はその様子を横目で見ながら、2週間前から付け出した家計簿を書き込む。そして最後に、それをいつものように戸棚の中しまわずに、目に付きやすいように、テーブルの上に置いたままにしていた。俺はきつく歯噛みした。
明日からは、それは別の誰かが書くのか。もうお前はそれを書いてくれねぇのか。
一人何も言わずに去る準備を確かにしている新八に、言いたいことなど山のようにあった。
言わないと、決めたくせに。未練がましい。でも最後まで、少しでも。そう思う気持ちはどうにもならなかった。引き止めるだけの覚悟もないくせに。
誰だ?アレ。
神楽と俺の菓子を買って戻ろうとしたときだった。見つけた新八は、肉売り場の前で、なにやら話し込んでいる。相手は、随分と妙な女だった。格好からしておかしい。簡単に言えばくのいちのような格好で、正直周りからはかなり浮いている。しかし本人は気にしていないらしく、新八も迷惑そうな顔をしているわけではないらしかった。
「どうしたネ?銀ちゃん。」
「いや、別になんでもねぇよ。」
俺のズボンの裾を掴んでいた神楽が問いかけてきた。如何したものかと思う。何を話しているかは分からなかったが、親しげに話をしているらしいし、それに割って入るのもどうかと思った。今は買い物中だし、菓子代は神楽のも含め、俺の自腹なだけで、食費やら生活費は全て新八に預けてある。その状態で、どっかに行くわけがない。
「神楽。
なんか他に見たいもんあるか。」
「じゃ、兎の所がいいアル。
鳥も魚も見たいネ。」
「ペットショップか。」
俺がそう言うと、神楽はすぐに顔をぱっと輝かせ何度も頷いた。神楽がこの世界に下りて一番に興味を持ったものは、動物だった。特に小動物と呼ばれるもの。犬、猫、兎。何でも可愛い可愛いと言っては、飽きることなく見ている。だがすでにうちには定春が居るし、飼うだけの広さも金もない。
そんな神楽が犬以外の動物に触れられるお気に入りが、この大江戸スーパーの隣にあるペットショップだった。
「よし。
じゃあ、行くか。」
俺は神楽の身体を抱えると、肩に乗せてやる。急に高くなった視界に、神楽は本当に嬉しそうにはしゃぎ足をバタつかせる。今日は一日、神楽にも気まずい思いをさせてしまった。そのお詫びだ。タダですむなら、それに越したことはない。
ペットショップに入っても、肩車はそのまんまで、高い場所にある鳥かごに納まっている文鳥を神楽と見る。鳥かごの中で止まり木の上を飛んで歩く文鳥が神楽は気に入ったらしかった。しきりに触れようと手を伸ばす。文鳥も神楽が気になるのか、鳥かごの際へと寄った来た。ピーチヨチヨと高い声で鳴く。
「ちっちゃくてかわいぃアル。」
「あんま手突っ込む、かまれるぞ。」
「大丈夫ネ。」
何を根拠に言っているのかは分からないが、確かに神楽は噛まれずに、遊んでいる。その時だった。
「ぎんさぁあん、会いたかったぁ!!」
甲高い声に、甘えるような声色が、俺の背中にぶつかってきた。何のことかと思って振り返れば、そこに居たのは、さっきまで新八と話していた、妙な格好をした女だった。
「なん・・・」
「もう、さっちゃんドンだけこの日を待ったことか。
銀さんも寂しかったでしょう。
もう大丈夫よ銀さん。
今日からは、さっちゃんが何から何までお世話してあ・げ・るぅ。」
説明しろと言う前に、この女の言葉で、もしやと思った。同時に背中がスッと冷えていくのを感じる。肩に乗っている神楽が、俺の髪をぎゅっと握った。咄嗟に俺はすぐに、背中に張り付いた女を引き剥がした。
「まさか、お前が新八が言ってた嫁・・・。」
「そうよ。
さっちゃんって呼んでね。
あのメガネの所為で今日になっちゃったけど。
今日からは、晴れて夫婦。
さぁ~家かえって、晩御飯にしましょ。
今日はご飯とオクラ納豆にしましょう。」
俺はその女が持っているスーパーの袋をひったくる。にんじんに、玉ねぎ。鶏肉にウェイトティッシュ。全部別れるまで新八が買い物篭に入れてたものばっかりだった。そしてその一番下に、新八が使っていた財布が入ってた。拙い。俺がそう思った時には、遠くから鳴き声が聞こえた。
「定春の声ネ!!」
神楽の叫ぶ声に、俺は、持っていた荷物を女に押し付けて、ペットショップを飛び出した。外はすでに暗い。スーパーの前では、店先のポールに繋がれたままの定春が、必死に何かを追いかけようとしていた。
「定春!!」
「ワンァワァン!!」
俺の姿を見つけて、縋るように鳴く定春。新八が出て行く姿を見たのだろう。俺は定春を抱えて、定春が吼えていた方へと走り出そうとした。
「待ちなさいよ!!
どこいくのよ銀さん!!」
俺の背中にしがみついたのは、さっきの女だった。引き剥がそうとするが、今度は中々放れない。
「決まってんだろう!!
新八追いかけんだよ!!」
口に出してみて、その違和感に始めて気付く。追いかけると決めていた。違う。それの方がおかしい。元々新八は今日、俺たちの元を離れるはずだった。見送るつもりだってしてた。急なことになったが、決まってたことで分かってた。違う。
俺は、わかってなんかなかった。離れたくなかった。そうなるだって言われても、信じたくなくて、認めたくなかった。上っ面だけ納得したような顔をして、目を背け続けた。離れること。二度と会えないこと。考えるだけでも苦しかった。でも、苦しいぐらい、もう。本当は。
「何で追いかけるのよ!!
いいじゃないあんな地味な駄目ガネ!!」
「うっせぇなぁ!!
てめぇの件は後でどうとでもしてやらぁ!!
今は、アイツを・・・!!」
「銀さんを騙したのに!!?」
女の一言に、俺は固まった。追いかけようとしていた足が止まる。追いかけたい気持ちと、話を聴きたい気持ちで足が迷った。
「騙したって・・・・。
新八がそんなことするわけねぇだろう!!」
「嘘じゃないわよ。
銀さんだけじゃない。
その子も神も姉の女神も私も。
あの子は全部騙して隠して、銀さんの傍に居座ってたのよ!!」
俺の傍に居た新八は、いつだって笑っていた。その笑顔が過ぎる。その笑顔の裏に、隠していたものがあると女は言う。なら、俺は知らなきゃいけない。もう、目を背けて、分からないふりはしない。それは、いつかの別れる日を思ってじゃない。
離れたくないから。
ずっと、傍に居たいからだ。

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