7 本当に必要なものは何ですか「ミー・・コさ・・。」
「志村!!」
パッとその表情が和らいだのを見て、ほっとする。何故そんな顔をしているのか。どうにも思考が重くて、考えられない。どうしてそんな沈んだ顔をしていたのか。
でも、直ぐに体のいたる所を走る痛みで、全てを思い出した。それは、疼いているといったほうがいいのかもしれない。ドクドクと体中の血管が体の内側から裂こうとしているかのように、脈打っている。熱くて、思考が朦朧としている。なのに彼女のことだけは、はっきりと感じられる。
「大丈夫か?
ちゃうか、大丈夫ちゃうよな。
痛いに決まってるよな。
どないしょう、志村なんかない。
うち、なにしたらええ。
何かしてあげられることない?」
オドオドと僕の手を握りながら、ミーコさんはあたふたと辺りを見回している。何かできることは無いのかと探しているように。
そんなことはしなくていいのに。いつだって、こんな風に心配ばかりかける。
傷だらけで帰ってきた僕を見て、さぞかし驚いただろう。脇腹に触れると、包帯の柔らかい感触がした。刺さった爪は確か貫通していたはずだ。
思い起こせば、記憶が途切れたとき、血と泥まみれで汚い恰好をしていた。それこそ目を背けたくなるほどだっただろう。普通の女性が見ればトラウマになってもおかしくない。握られた手の爪に入り込んだ血が固まっているのがぼんやりと見えた。こういう生き方をしてきて、これからもそれは続く。
「なんや、みちるさんじゃ治せへんって聞いたんや。
呪いやから、どうしようもないって。
呪いが消えんと、治癒をかけると呪いが強よなるかもしれへんって。
ハクタクさんが治してるときも、凄い志村すごい暴れて、痛がってて。
そやけどこんなん・・・うち、何もできへんし。」
その頬を涙が伝っていく。泣かないでいい。泣いて欲しくない。貴方は何も悪くないのだから。
本当なら貴方はもっと、幸せに生きられる人なのに。僕の隣にいる所為で、苦しめたり恐い想いをさせる。でもそれは言えない。言って、離れられるのが恐くて、言えない。随分とズルイことをしている自覚はある。
確かに怪我の熱もあるが、コレは呪いだ。その証拠に、頭の中で今も忌まわしい声が響いている。妖魔のうめき声だ。
傷口から直接かけられた血への呪いはとても面倒で、解くには時間がかかる。傷を清めた上で、呪に冒された血を抜いていく。血を抜きすぎると自身が死ぬし、抜かなければ呪に死ぬ。傷を塞ぎきることも出来ず、治ろうとする傷口を何度も抉る。激痛の中で、施術者はギリギリの抜き取る血液量を見極める。ハクタクならその見極めを誤ることもないだろうが。それを何度も繰り返す。作り変えられていく新しい血で、少しずつ呪いを打ち消していくしかない。
「血を抜くって、輸血とかそんなんやったら、うちの血でも何でもしたらええのに。
ハクタクさん、あかんって言ってたし、何もできへんし。
血抜くの、あんな痛がってんのに。」
彼女らしい考えだった。だが、輸血をすれば、おそらく他人の血と呪いが拒絶反応を起して、痛いどこれではなく、最悪の場合は死ぬだろう。
責めるつもりは無い。何も知らないのだから無理は無い。そう、彼女は本当に何も知らない。闘いだとか、妖魔だとか。本当ならそんなことは何一つ知らずに生きられる人なのだ。
知る必要さえ無い。笑って生きればいい。自分のことなど、知らずにいればそうして生きていたはずで。歪めたのは僕だ。
額を伝う汗を、ミーコさんが冷えたタオルで柔らかく拭ってくれた。そしてまたぎゅっと手を握る。その手はベタベタと涙で濡れていた。
泣かなくても良かった人だ。なのに、今泣いている。彼女が泣いているおかげで、今僕は生きている。
生きなければいけない、と想っていた。けれど、あの日から彼女を想うまで、生きたいと想ったことは一度だって無かった。
ミーコさんが笑って、お帰りと言ってくれるから。今もこうして手を握ってくれるから。優しい場所をくれたから。
それを安寧の死で手放すぐらいなら、地獄のような戦いの日々でも生きていたい。今、この激痛の中でも幸せだと言い切れる。
「志村、なんかない?
うち、志村にしてあげられること、何か無い?」
なのに、これ以上に、まだ強請れと言って来る。そのほうが困ってしまう。なんとか首を横に振ることが出来た。
何もしなくていいんです。できるなら笑っていて欲しい。今はそう言えば、今度はミーコさんを困らせるだけだから、言わないけれど。
その目からまた涙が零れる。僕の手のひらがミーコさんの頬に触れた。小さい頬は、僕の手で簡単に覆ってしまえた。その涙を、熱と痛みで震える親指で拭った。
そのとき、ミーコさんの目が変った。苦しげな色から、強い意志が見えた。その瞬間が好きだった。それは、僕が彼女を知るまで、失くしていた色。勇気と言う色だ。
「そしたら、志村ちゃんと”痛い”って言うてよ。」
なんのことかと想う。痛いなんて、戦いの中でも生きると決めた以上は、耐える覚悟をしてきた。なのに、それを言えと彼女は言う。けして譲らない強さを持って。
「言うて、痛いって。
痛いって、苦しいって、我慢せんと、うちにぐらい言うてぇさ。
志村いつも、全然そういうの言わへんし。
うち、痛いのも闘うのも替わってあげられへんし、治してもあげられへんねんから。
痛いって気持ちぐらい、うちに分けてくれてもいいやんか。」
横になっているのに、眩暈がした。もう充分すぎるほどの物を彼女から貰っているのに。まだし足りないと彼女はいう。闘うのは、僕が決めたことで、貴方はそれに巻き込まれているだけで。それさえも分かち合おうとしてくれている。共に背負おうとしてくれている。
「言うて。
志村、痛いやろう。
ごめんな、うち何もできへんで。」
涙の混じる声に、こちらの方が泣きたくなった。痛みも苦しみも、どうでもいい。彼女の闘えない苦しみを想うと、申し訳なくて。背負わなくていい重荷を、背負わせている。
何もできてないわけがない。貴方のおかげで、僕がどれほど救われたか。貴方は知らないだけなんです。
なのに、どうしょう。
溢れる。
「痛い、です。」
「うん。」
言うな。
何度も心の中で叫ぶ。
なのに理性にまで届かない。
「しんどいです。」
「うん。」
口が勝手に言葉を落とす。
止まらない。言ってはならない。気持ちを溢してはいけない。本当に手を放してあげられなくなる。
言うな。言うな。大事なら言うな。
これ以上彼女を縛るな。
なのに、その手を取ってしまう。
「でも、傍に。
僕は、ミーコさんが傍に居て欲しい。」
目を瞬かせている。困らせている。でももう零れた。心の器に収まりきらない激情に、理性は呑み込まれて死んだ。
腕を立たせて、無理矢理体を起こすと、至るところが苦痛で悲鳴を上げた。構わない。今ここで彼女を得られないなら、死ぬのも同じだ。
慌てて僕の体を支えようとしてきたミーコさんの腕を取って、強引に引き寄せた。脇腹の傷口から血が溢れたのが解る。構わず力を込めた。血の匂いがうつる。それでもきつく抱きしめる。
「傍に居てください、ミーコさん。
ずっと、呪いが解けて、傷が癒えて。
これから先、戦いが終わってもずっと・・・ずっと!
傍にいてください!!」
叫んでいた。静かな部屋にそれがこだまする。それもゆっくりと静まっていった。
答えを待つ。どんな答えでも、手放すつもりもなくせに。もう他の誰にも渡さない。幸せを願うこともできない。自分だけの人にする。そのためなら、手段も選ばない。ミーコさんの優しさに付け込むような卑怯なことだってできる。軽蔑されても、嫌われてもいいとさえ覚悟した。
「うん、居るよ。
うちが、志村と居たいから。
ずっと傍に居るからな。」
なのに、彼女は笑う。僕の腕の中で逃げようともせず。自分の意思だとさえ言ってくれた。見上げてくる視線の柔らかさに、どうしようもなく焦がれた。
生きていく。そのためだけに、貴方が傍に居て欲しかった。
END

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