5 その手に勇気はありますかいつもなら見せることも厭う瞳なのに、今はそんなことも言っていられない。隠そうにも自分の両手は、ミーコさんの手首を掴んで放そうとしない。細い手首だった。僕の指が余ってしまうほど細い。力の加減を間違えれば、折れてしまいそうで恐かった。
「油断・・・しないでください。」
真っ暗な部屋の中で、声を落とす。手首を掴んだまま親指を彼女の手首に這わすとミーコさんの小さな肩がビクリと震えた。肩だけじゃない。頬も唇も首筋も、何もかもが小さいかった。
妖魔を退治して戻ってきてみれば、ミーコさんが待ってくれているとハクタクから聞いた。急ぎ出掛けの間際に一緒にいた居間に来てみれば、彼女は眠っていた。視力が良いので、暗がりでも無邪気で可愛い寝顔がはっきりと解るのはありがたい。でも惜しいことに、ミーコさんがすぐに目を覚ました。お帰りと言われて、ただいまと返すことができる幸せ。それも、彼女がいてくれるからこそある幸せだ。それが嬉しい。
ただ、ミーコさんは少し寝ぼけていたのかもしれない。その細い腕がスルリと僕の腕の中に入り込んでぎゅっと抱きしめられた。これには思わず慌てた。ミーコさんは夏場は特に薄着で、普段でもむき出しの肩や足には、僕は思わず目が行くことがある。でもそれは昼間のことで。そういう気が起こりにくいから、まだいいけど。今は夜で、辺りは暗い。なのに障子を透かして入ってくる月明かりと外灯は、妙に明るくて、心が騒ぐ。お腹の辺りに当たる、柔らかくて暖かな感触が妙に生々しく感じる。コレは困る。ダメだ。大事で守りたいと思っている人なのに。
思わず慌てて引き剥がした。だが、それが彼女の機嫌を損ねるなんて。もしかすると寝起きで機嫌が悪いのかも知れない。でもコレばかりは、僕も困る。
「なんで?
うちにぎゅっとされるの嫌なん?」
なんて、無防備な言葉。可愛い批難。嫌ではなくて、困るのだと言っても、一向に意に介さない有様。
でもこれもいい機会だから、言っておいたほうがいいと思った。第一に普段から、もっとちゃんと気をつけて欲しい。色々と。貴方は女性なんだから。そして僕は男で、男である以上、どうにもなら無い劣情もあったりするのに。でも中々伝わらない。それほど口の立つほうじゃないし。直接的な言葉を避けているのも悪いのだけれど。だんだんと僕も苛立ちが勝ってくる。そしてついに、彼女の言った一言に何かが切れた。
「もう解った。
結局、志村はうちのこと、子供や思ってるんやろ。
そやから、ちょっと触れるだけでも鬱陶しくて、嫌なんやろう。」
気付けば、彼女が自分の下にいた。組み敷いて、薄明かりの下に晒されたミーコさんの表情は、少しいつもよりあどけなく感じた。何が起こったのかわからないという顔だ。
確かに、彼女の中にある子供のような感覚は、今も感じる。穢れがなく、拙い感性。それを慈しむ気持ちがないわけじゃない。でも、そんなものは、ただの幻想だ。そうしてあげたかったというだけの。
貴方を知って、どうにも制御のできない想いを告げてから、貴方を心から子供だと思ったことも、まして嫌だと思ったことなんて一度も無い。
「油断・・・しないでください。」
他の誰が見ているか知れない。僕以外の人にもこの調子だし。いや、だから僕の前でもダメなんです。もしかすると、僕の前で、が一番ダメなんですよ。忘れないでください。きっと他のどんな男よりも、僕が一番貴方を欲しいと思っている。
「油断しすぎです、ミーコさん。
他の男の人がどうかは知りませんが、少なくとも僕の前では油断しすぎです。
忘れすぎです。」
「な・・・何いうてんのよ、いきなり。
ようわからんし。」
それはきっと嘘だ。だって、こんなに手が震えている。恐いんでしょう。解っているはずです。貴方は今、身の危険を感じているのでしょう。女性としての危険を。解らないなんて言葉に逃げるのは、卑怯です。解らない、知らないなんて言葉に逃げないでください。
僕だって、本当は逃げてしまいたい。大事な貴方を無理矢理にでも奪いたくなる。そんな衝動から逃げてしまいたいんです。それこそ、貴方を子供のように大事に慈しんであげられれば、どれほどいいかわからない。
でも、もう無理です。たった一人を欲しいと思う。執着を知ってしまったから。細い首筋を唇で触れる。
「ゃあっ!!ちょっと志村!!!」
「まだ・・・解りませんか。」
色めいた声。匂いとか、皮膚の薄さを感じて歯止めが利かない。
気が動転しているのに、言葉なんてでるわけない。卑怯だ。それでも今日ばかりは、悪いのは貴方です、ミーコさん。
「解らないなら、教えてあげます。」
耳に言葉を落とす。バタバタと暴れる足が、逃げようとしているようだ。逃がしたりしない。そのまま彼女の体に馬乗りになる。体は浮かせているから、負担にはならない。ただ、さっきより彼女は圧迫感を感じているだろうけれど、気にしない。今日はミーコさんを気遣ってあげられるだけの余裕がない。
頬を吸い、そのまま口付ける。それはいつもより少し深く。歯列を撫でて、口内を探った。僕しか知らない暖かさ。唾液の味に劣情は、収まるどころか強くなっていく。
「僕は、貴方が想うほど、聖人君子でもなければ、鈍感でもない。」
その額に唇を押し当てて、瞼を舐める。柔らかい。力の加減一つで食い破ってしまいそうだ。
ずっと傍にいて欲しいから大事にしているつもりだ。なのに傍に居て欲しいから壊してしまいたくなる。ひどい矛盾に心が散り焦れになる。咽喉元を軽く食むと、体がビクリと震えた。
「忘れないでください。
好いた人には、こういうことだってしたくなる。
貴方を想うただの男です、僕は。」
そしてもう一度口付ける。さっきより柔らかく。怯えないように。だって仕方がない。口付ける瞬間に、彼女の目尻に浮かんだ涙を見てしまったから。もうこれ以上は無理だ。
結局のところ、僕はミーコさんに甘い。コレは一燈さんにも良く言われていることだけれど。解っているんです。ですが、ほかに何がしてあげられるんでしょう。唯でさえ、危険な世界に巻き込んでしまっているのに。大切にする以外の方法なんて僕にはわからない。思いつきません。今まで誰かをこんなにも好きになったことなんて無いし。いや、人と関わっていくことから逃げてきたからかもしれない。
でも、彼女のことでは逃げたくは無い。向き合っていきたい。僕の瞳さえも恐れず見てくれる。そんなミーコさんとだからこそ向き合っていきたい。
でも嫌われたくなくて、大事にする以外のことが出来ない。無理矢理だとか、そんなことはできない。泣き顔なんて見たくは無い。(泣き顔も可愛いと思ったけど、笑ったほうがずっと好きから)
掴んでいた手を放して、そのまま背を向けた。ミーコさんの起き上がる気配と視線を感じる。言葉が出ない。きっと怯えさせた。乱暴な男だと軽蔑されたらどうしよう。ソッと背後に近づく感覚。自分の心臓の音が煩い。でも次にきたのは、張り手でも罵声でもなくて。
暖かい温もり。小さな拳が僕の背中に寄り添っていた。後ろも見れずに、僕は硬直する。ミーコさんの次の言葉を待った。
「アホ。」
「すみません。」
教えようとか、忠告をしようとか考えていたのに。結局こういう終りだ。情け無い。でも、その声に怒りが無くて心底ホッとしているのだから、どうしようもない。
「ほんまにアホや。」
「はい。
無体してすみません。」
とにかく謝るしかない。確かにどんな理由があるにしろ、無体をした自分は、アホに違いない。もっと冷静に言葉を尽くすべきだったんだ。
「なんで、あんたが謝るんよ。」
「へっ?」
振り向くと、目元を紅くして、こちらを睨むミーコさん。まだ少し涙の残った目で睨まれても、可愛いだけなんですけど。
「ごめん。」
「あの・・・。」
「志村って、なんだかんだ言いながらも、優しいし。
その・・・こういうことも無いし、自分でも我侭やと思うし。
子供っぽいって思うときあるから。
そやから、その、志村にも子供みたいに思われてんのかなぁって。
アホやな、うち。」
ミーコさんには珍しく、コソコソと僕の背中に逃げようとする。でも僕はそんなミーコさんの顔が見たくて、その腕を取った。顔を覗きこむと、いつもと違う彼女がいた。はにかむような、それでいて怯えているような表情。影になった顔を少しだけ上げさせて、薄明りに晒す。
誰が子供だと思うのだろう。こんな顔を見せられて。切なげな目に思わず咽喉が鳴った。今、この表情を引き出したのは、僕だ。他の誰でもない。僕だけが許されている。頬に手をかけると、その瞳が閉じられた。許されているのは、僕だから。自惚れてしまおう。だからその目尻に口付けて残っていた涙を啜った。
「大好きです、ミーコさん。」
きょとんとした顔に、微笑んで抱きしめる。今はこれでいい。
きっと今もう一度、僕が無体をしても、今の彼女なら許してくれるかもしれない。でもきっと望んでいるわけではない。まだきっと心の準備は出来ていない。ちゃんと待ってあげたい。やっぱり大事だから。これから何年も待てと言われるとつらいけれど、もう少しだけ。もう少しだけなら待ってあげられる。少なくとも今は。こんなにも想われていると知ったから。我慢できる。
顔を見ると、心から嬉しそうな笑顔に、コレでよかったんだと改めて感じた。
「うちもちゃんと好きやからな。」
「はい。」
忘れないように。何度もその言葉を繰り返そう。これからもずっとそうしていられればいい。
時々はキスと、ぬくもりを確かめながら。
END

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