21 殺す自分の手を汚したのは、気が立っていたからだ。普段であれば、流す気にもなれたかもしれないが、今日はそういう気分だった。多分のその程度だった。だが結果として、気分が良くなったかというと、そういうわけではない。せっかく取り寄せた種で作った薔薇がコイツの血で汚れただけ、余計に気分が悪くなった。どうせならもっと苦しめてやればよかったとさえ思う。
「喰らえ。
血も骨も残すな。」
食妖植物を呼び出すして命ずると、嬉しそうに喰らって飲み込んでいく。ギシギシと鳴く声が冷え冷えとした城の中に響く。
その時、後ろから珍しくいつもより解放されている冷えた妖気に気付いた。凍矢だ。おそらく、俺に対して自分が近づいているという信号を送っているのだろう。向こうから連れてきた6人の中では、凍矢は一番冷静で、自分と気質が似ている。
「どうした?」
食妖植物を片すこともなく、距離を許したのは、それは敵ではないからだ。しかし敵ではないが、では味方かと自分自身に問われれば頷けない部分はある。ただ自分を裏切らないだろうという予測があるだけだ。予測はどこまでいっても予測でしかない。
「ただの掃除だ。
床が汚れていてな。」
「そうか。
相変わらずマメだな。」
そのまま近づきつつ、凍矢の妖気は抑えられていく。だが、俺は元に戻る気にもなれずに、二人で掃除の風景をただ眺めていた。
これで何度目だろう。コレは何も初めてのことではない。俺を煩わしく思っているのは、何も鯱だけじゃない。この黄泉の城にいる間は、常に自分を監視する目をいくつも感じる。鬱陶しい。今のこの姿さえ見られているだろう。
だが、時機に状況は変る。もう直ぐこちらに来るようになって、1年。おそらく早ければ来月にでも雷禅が死ぬ。そうなれば俺たちが置かれた構図は変るはずだ。幽助と闘うか、飛影と闘うか。それとも二人と手を結び、俺たちが新しい第三勢力になるか。今の状況ではまだ完全に読みきることは出来ない。その兆しが一番最初に出るのは、雷禅の国なのだろうが、なんせ雷禅の元に居るのは、幽助だ。何を言い出してもおかしくはない。出来るなら、今のうちに手を打ちたいところだが、さすがにそれは黄泉が許さないだろう。
だが、黄泉がこの魔界を牛耳れば、人間界と霊界への影響は大きい。造反の可能性はちらつくが、そうなったときに、人間界に居る俺の家族がどうなるか。想像は簡単だった。
「魔界は、変らないな。」
ポツリともらした凍矢の言葉は、酷く重く感じた。湿った空気と風が吹いて、大地にさえ血の匂いが染み付いていた。だから空は赤黒いのだろう。空は常時暗い雲が覆っている。この世界に光が差し込むことはないのだ。
「そうだな。
コレが魔界だ。」
変らない姿は、俺が生まれたときからずっとだ。懐かしさや身に染み付いた空気に嫌悪はない。コレが魔界の正しい姿だろう。
だが、ハンターに追われて、深手を負い、俺は初めて人間界に行った。そして俺は陽の暖かさを初めて知った。多くの闘いと仲間と出会い。それは、魔界にはないもので、良いと一言で言い切ることは出来ないが、それでも悪いものでもなかった。
「ホームシックか?」
そう問えば、凍矢は皮肉気に口に笑みを乗せ”どちらがだ?”と聞き返してきた。それにやはり俺も笑って返した。ホームシック、それもまた真実だろう。
会いたいと思う人は、人間界の方が多い。母さんや父さん秀一君。桑原君や幻海師範、コエンマ。幽助や飛影たちにだって、人間界へ行けば会えるのではないかと、錯覚することがある。出会ったのが人間界だからか、それとも国境と言うものが思ったより大きく感じているからか。
何より、人間界に焦がれるのは、ぼたんが居る場所だからだ。霊界よりも人間界だ。
ぼたんと最後に会ったのは、6人を魔界へ連れてくる数ヶ月前に、幻海師範の屋敷で偶然顔を見ることが出来た。幻海師範への屋敷へは、黄泉の監視も来ない。人間界へ来ることが出来るのは、低級妖怪に限られており、許可がなければ幻海師範の屋敷には結界が張られていて入ることが出来ない。それ以外では会っていなかった。
最後に部屋の窓に薔薇を飾ったのは、もう1年ほど前になるだろうか。黄泉からの連絡があったと同時に、薔薇を飾るのをやめた。彼女の気配を窓を外に感じることはあったが、それを無視した。コエンマを通じて内密に、自分の地区への霊界案内人としての仕事を外させて、可能な限り霊界での内勤をさせるように取り計らってもらった。俺も彼女の気配に注意を払い、会わないように細心の注意を払った。
それは正しかった。その判断は今でも疑っていない。想像通り、黄泉は脅迫の材料に家族を使ってきた。俺の枷になりそうなのは、家族と仲間。そう読んでいるはずだ。
だが飛影と幽助はそれぞれ敵対の国に居る。幻海師範の元には結界もあり霊界獣のプーも居る。桑原君ならば、低級妖怪であれば返り討ちに出来るだろうし、何より彼の霊的感度であれば、自分に降りかかりそうな火の粉に気付くことが出来る。一番危険なのは、ぼたんだった。だから自分から遠ざけた。
おそらく仲間の一人であるぼたんのことも、俺が親しいことも知っているだろう。だが相手は霊界人だ。魔界も人間界も掌握していない状態で、霊界とコトを構えることは得策ではない。同じ脅迫材料ならば、家族でも事足りる。おそらく黄泉の判断はそんなところだろう。
だが、俺の恋情にまでは気付いては居ない。俺に6人の部下を持たせておいて、家族以上の枷をつけないということは、そういうことだろう。もし気付いているならば、黄泉はぼたんを標的にしていてもおかしくはない。標的にするという脅しさえしてこないところを見ると、十中八九間違いないだろう。
しかし会いたかった。会いたくて会いたくてたまらなかった。名前さえ呼ぶことも出来ない現状に息が詰る。彼女の為に、飾るつもりにしていた薔薇を魔界で咲かして、それを眺める。受け取ってくれたときに、見せてくれるだろう笑顔を思い描いて心を慰める。できない現実に嫌気がさすのも承知の上で。そんなことぐらいしか出来ない。
「以前、師範の屋敷に居たとき、桜を見た。」
唐突な話に顔を上げるが、凍矢は真っ直ぐに外を見ていた。雷鳴が轟き、今日は一段と空が荒れそうだ。どこまでも不気味な空が続く。
「ここに来る少し前だったか。
師範が、せっかく桜が咲いているのだからと言われて、花見をしたんだ。
よく晴れた日で、桜が少し散り始めていて、それがまた一段と綺麗だった。
とても楽しかったよ。」
師範の家は広い。修練の場だけではなく、屋敷だけでも相当な広さで、庭にも幾つもの草木が植わっている。紫陽花や椿、木蓮や池には蓮があり、風情がある。最近は手入れも、雪菜ちゃんが手伝ってくれて楽になったと言っていた。
「陣が桜の木に登って、少し揺らして師範に怒られていたな。
折れたらどうする。桜は折れた部分から腐ってしまうんだぞ・・・ってな。
脆し木だと、陣は残念がっていた。
だが、みんなあの木が気に入ったのか、近くを通るたびに、みんなが見上げていた。
桜が咲いていてもいなくてもな。」
六人が桜を見上げている姿は、直ぐに想像できて、少し笑ってしまった。闘いの時は、修羅のような顔をするが、普段は気を抜いた表情を見せるのだ。桜を見上げるときは、それはまた一段と子供のようなあどけない顔をするのだろう。
「桜が散りきる間際に、酎が言っていた。
魔界にも桜があればいいと。
あれがあったら、少しは魔界も明るくなる。
また皆で一緒に花見がしたいから、蔵馬に頼んで植えてもらおうかと。
師範は酎を能天気だと笑っていた。」
それは、胸を突くような一言だった。
「酎らしいな。」
自分の顔が笑っているか、少し自信が無かった。
魔界で桜が咲いて、皆がその下で花見をする。きっと酎や陣、鈴駒は喜ぶだろう。綺麗なものが鈴木は心から桜を愛でてくれるだろう。死々若は混ざりたがらないかもしれないが、きっと他のメンバーが放っておかない。それに、幽助や飛影も呼びたい。桑原君だってこういう集まりは好きな人だ。この件でお世話になった師範や雪菜ちゃん。それに、躯や幽助の父親だという雷禅、黄泉もみんなで桜を囲んで、大騒ぎをする。せっかくだ、霊界からコエンマやぼたんも来てもらいたい。
最初に歌いだすのは誰だろう。誰かがお酌をするよりも先に、どこかで飲み比べが始まる。きっとそのうち飲んだくれて、誰かがそこらへんで寝てしまうんだ。介抱するのは、俺になるだろうな。
でも、そんなことが出来ればいい。そう思った。
馬鹿な想像で不可能に決まっているのに、そんなことが出来れば、きっと諍いなど、直ぐに無くなる。大した問題では無かったかのように、綺麗に無くなる気がした。桜がサッと散ってしまうように。
「是非、検討してみてくれ。」
「・・・解った。」
そう言って、凍矢はくるりと背を向けて、元来た道を戻り始めた。俺はいつの間にか食事を終え、床に着いた血まで舐め取った食妖植物を片すと、南野秀一の体に戻った。
それは暖かい。だがあまりに暖かすぎて、この冷たい城の中では、空しくも寂しいものだった。
おそらく凍矢は、第三勢力になるように言ったのではないのだろう。彼は、とても光に焦がれていた。だから忍の枠に従い生きることをやめて、暗黒武術会に出たのだから。今、こうして黄泉に従う立場になったといえど、それは幽助との再戦が頭にあるからだ。
それでも国と言う囲いの中で、多勢に無勢で戦いたいわけでもない。だが今ココで反逆することは、ただの無駄死になることも、彼は充分解っている。だから少し、人間界が恋しいと思うのだろう。
それは、俺も同じだった。俺も一人の妖怪として、幽助と闘ってみたいという気持ちがないわけではない。元浦飯チームの仲間内でも、幽助と闘ったことがないのは、俺だけだった。だから、浦飯幽助の力がどんなものか、彼の闘志がどんなものか肌で感じてみたいと思う。やはりそれには相対してみなければ解らない。それは一妖怪としての純然たる本能だった。そして正直な南野秀一としての気持ちだった。
南野秀一は、妖狐蔵馬と完全に融合している。思考も能力も完全に戻ってきている。最早その差異は姿形だけの違いだ。どちらも俺であり、何も捨ててはいない。南野秀一は妖狐蔵馬の残虐性を受け入れ、妖狐蔵馬は南野秀一の人間や仲間への情愛を受け入れた。どちらも捨てることは出来ない。それは、俺がどちらの世界も必要としているからだろう。どちらも壊したくはない。魔界も人間界も霊界も。
耳の中で、ぼたんの声が聞こえた。
俺が差し出した薔薇を手にして”可愛いね”と、そう言った。
嬉しいものや愛らしいものを、全て詰め込んだような甘い声。
それを咽喉に流し込む。
耐えるときだ。全てを得る為には、今はただ。
いつかきっと桜を咲かそう。この魔界に大きな桜を咲かせて、皆で花見をする。この混乱の果てに、そんな世界を作りたい。いや、作ってみせる。黄泉も躯も出し抜いて、俺は俺の理想とする世界を作ってみせる。彼女にこの魔界へ見てもらいたい。この暗いばかりの魔界だけれど、ココも俺の故郷だ。否定したくない。だから彼女が受け入れてくれるような、そんな世界にしたい。
そう考えれば、俺は黄泉と同じぐらい、もしかすると黄泉以上に欲深いのかもしれない。全ての世界を、自分の意のままに動かそうなど、傲慢な考えだ。だが、捨てることは出来ない。
捨てることは、ぼたんを失うこと。
それは俺にとって、死ぬことと同じなのだから。
END

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