そして今日も、俺の部屋の窓には、たった一輪の薔薇が咲く。
18 サイン窓を叩くコンコンと言う小さな音に、教科書から顔を上げた。窓の外からの来客は今までもあったけれど、その中でも今日の気配は見知ったものだ。俺は、立ち上がり、窓にかけていたカーテンを引くと、窓の外でぼたんがパタパタと手を振っていた。窓を開けると風が吹き込み、春になり桜が咲いても、夜の風はまだまだ冷たいのを改めて感じた。
「お久しぶりです。
武術会以来、ですか。」
「おひさぁ~。
いや、この辺りで仕事の予定だったんだけどさ。
どうも手違いで時間が空いちまったんだ。
それで寄ったんだけど。」
それがどういう手違いで、誰が困ったかは知らないが、俺にとってはコレ以上の幸運も無い。こうしてぼたんと会う機会が出来るなんて、早々ないのだから。コレは閻魔のお導きなのか。
はっきりとぼたんが好きだと気付いたのは、武術会が終わってから。なのに、あれから会う機会も無くて、悪いことだと解っていながら、事件の一つでもおきてくれないかなどと、考えたこともあった。いやそれよりももっと早く気付いていれば、武術会の間も傍に居ることも出来ただろうに、自分に鈍さが憎らしく思えた。
「それは大変でしたね。
とにかく、こんなところでは何ですから、中へ。」
「おじゃましまぁ~す。」
俺が手を差し出すと、ぼたんは機嫌よくその手を取って、部屋へと入ってきた。その時ぼたんは、俺の机の上にあった教科書に目を留めた。
「宿題でもやってたのかい?
もしかしてお邪魔だったとか・・・・。」
「ただの予習です。
邪魔なんてありえませんよ。
へんな遠慮しないでください。」
ただ時間が空いていたからやっていただけの勉強だ。何よりぼたんが会いに来てくれたことが邪魔だなんて俺の中ではありえない。彼女の来訪なら、テスト前だろうが、熟睡中の夜中でも歓待できるだろう。
「そうかい、良かった。」
心からほっとしたのか、笑った顔が見れた。ぼたんを椅子に促し、俺はクローゼットからクッションを取り出した。少し距離があるが、そのほうが彼女の全部見れる気がして好きだ。
霊体の彼女は着物の井出達で、見慣れた私服より少し落ち着いて見える。薄紅色の着物は、彼女の白い肌には良く映える。もっとも普段のラフな恰好も可愛いし、彼女であれば怪獣の着ぐるみを着ていても、可愛いと思ってしまうだろう。あばたもえくぼ、惚れた弱みとはきっとこういうことを言うのだろう。
「偉いね。
幽助なんて、きっと宿題だってやったこと無いよ。」
「でも幽助が宿題やっている姿って言うのも、想像できませんけどね。」
「それは言えてるね。」
思わず二人で想像して噴出した。きっと幽助が聞けば、やかましいと怒鳴って、機嫌を損ねてしまうのだろうけれど。
「あれから霊界のほうはどうですか?
コエンマも元気にしてますか?」
「うん。
最近は妖怪も大人しいもんさ。
暗黒武術会は、妖怪のストレス発散になるって、コエンマ様も言っていたし。
しばらくは、霊界探偵の出動もなければいいんだけど。」
「そうですか。」
それは俺には少し残念なお知らせでもあるが、それは殺されても表に出してはいけないことだった。幽助に事件の要請が無ければ、当然サポートである俺が動くことも無く、彼女と一緒にいることは出来ない。こうやって会いにきてくれるのを待つしかないのか。
「せっかくだから、幽助も勉強に精を出してくれりゃいいんだけどね。
ただでさえ遅れてるんだから。」
「そうですね。
高校への進学のこともありますから。
桑原君は、どうなんでしょうね。」
「そうそう、桑ちゃん、あれでちゃんと宿題やってるんだよ。
まぁそれも最近のことなんだけどさ。」
そうして、まだ幽助が幽霊だった頃のことを話し始めた。それは微笑ましくも、桑原君らしい人情味のある出来事だった。自分の舎弟の為に、必死に教科書を読む彼の姿は、容易に想像できる。根は真面目で一本気の人だ。学校内でも不良同士でしか喧嘩はしないそうだし、自分の学校の一般生徒に手を出そうとすることにも怒りをあらわにする。
少々短気なところがあり口下手なところがあるため、直ぐに手が出るが、それは彼が最近では少ないぐらいの義侠肌の所為であり、それが彼の魅力だ。
「桑原君らしいですね。」
「そうなんだよね。
それから勉強に嵌っちまったらしくてさ。」
「そう言えば、武術会に春休みの宿題持ってきてましたね。」
「そうだったのかい?」
「えぇ俺が教えてましたから。」
教えていたといっても数回のことだ。さすがに連戦の疲れがあったのだろうが、長い大会でもあったし、その合間を縫って宿題をこなしていたのだ。しかし中々はかどらない様子を見て、俺が少々アドバイスをした。それを見れば、確かに基礎学力が不足しているが、根が素直なだけに理解は早い。勉強をすればちゃんと成果は出せるだろうから、楽しくなるものわかる気がする。
「きっとちゃんと勉強すれば、高校だって行けますよ。
桑原君は努力家ですから。」
「蔵馬からのお墨付きなら、桑ちゃんも心強い言葉だね。」
そんな他愛ない言葉や笑顔にも、心が動いた。
まだ生まれたばかりの感情は中々上手く動かすことができない。ふとした瞬間に優しくもなるし、凶悪にもなる。臆病にもなれば、悲しくもなる。その表情、姿、声さえ全てが曖昧な気がして、捕まえたくもなる。
でも掴んでしまえば消えしまいそうに思う。掴んで壊してしまいそうな気もする。それさえ解らないから、手を伸ばせない。手は伸ばせないのに、心は焦がれる。そしてもどかしくも愛おしい。
なんでもない会話の中にも、少しでも彼女を知りたい。自分だけの彼女を得ようと、俺はまた策を巡らせる。本当にこんなことばかりが上手くて、そんな自分が時々いやになる。
「さて、そろそろお暇するよ。
次の仕事もあるしね。」
楽しい時間はあっという間に過ぎる。ぼたんがそういったときには、既に日付は越えていた。もう彼女が来て2時間以上が過ぎていた。
「そうですか。
また、いつでも来て下さい。
待ってますから。」
それがいえる精一杯。用があっても無くても、来て欲しい。さすがにそれは言えなかった。だが、その言葉にぼたんが少し困ったような顔をした。一瞬何か迷惑になるようなことを言っただろうかを、自分の言葉を思い返す。
「うん。
でも・・・その、邪魔になったりしないかい?」
きっと今日入ってくるのにも、迷ったのだろう。ぼたんにとって俺が仲間だという意識を疑うつもりは無い。だが元々は幽助を通じて知り合った仲だ。どうしても微かな距離や遠慮があるのかもしれない。
コレが俺を男と意識しての遠慮だったら嬉しかったのだけれど、どうみても仲間に対する気遣い以上の物は見つけられなかった。それが少し寂しい。それにしても俺がぼたんを邪険にするなんて、ありえないことなのに。そんなことを言われてしまえば、会えないと焦れている自分が馬鹿のようだ。だが、彼女の優しさから出た言葉を、否定するのは忍びない。
「では、こうしましょう。」
俺はいつものように、薔薇の花を一輪取り出した。それはいつも闘うときに使うための物ではない。俺が手に薔薇は、けして大きくはなく、淡いピンク色の花弁は、少しだけ茶色みを帯びており、その色合いが少し古風で優しげな面持ちを見せる。コレは、最近手に入れた種で、本でみかけて気に入って、購入したものだった。
「はい、どうぞ。」
「あ・・・ありがとう。
これは・・・えっと?」
それをぼたんに手渡した。戸惑いながらも、条件反射のように受ける。驚いた面持ちで、どういうことかと考えて首を捻る姿が可愛い。
「これは今日の分です。
これから、この部屋に俺が居て、入ってきてもいいというときは、薔薇を窓にさしておきます。
もし薔薇があったら、俺は暇してますという合図ですから、遠慮なくどうぞ。」
本当はそんなことをする必要は無いのだが、きっとこの方が、彼女は遠慮なく入ってくることが出来るだろう。彼女の躊躇いが少しでも減らせるなら、それに越したことは無い。
「でも外から見えないかね?」
「2階の窓なんて、普通それ程注意してみたりしませんよ。
俺も日中は学校に行っているから、どうせ飾るのは夜ばっかりしょうし。」
「そっか、それなら大丈夫か。
さっすが蔵馬!!頭いいねぇ。」
なんてこと無い褒め言葉。今まで何度と無く聞いてきたというのに、彼女に言われるのは、少し照れる。なのに、言ったぼたんは、そんなことにはまったく気付いていないらしい。手にした薔薇が気に入ったらしく、くるくると花を回す。まるで新しいおもちゃを手にした子供のようだ。きっと毎日のように、俺の窓には薔薇が飾られることだろう。
「綺麗な色だね。」
「薔薇は色形で分類すれば、かなりの種類があって、品種改良も盛んなんですよ。
その薔薇の名前はショコラ。
チョコレートってことですよね。」
見た瞬間に、可愛い薔薇だと思った。名前を聞けば正にと思う色合い。本の中からでも甘い匂いがしそうだと思った。だが、実際この花の香りは、それ程強くは無い。つかめそうで、つかめない。あやふやな存在。でも、それがまた俺にはぼたんを彷彿とさせた。
「気に入っていただけましたか?」
「うん。
大満足。」
極上の笑顔。手にした薔薇に、頬を触れさせて、その柔らかさを楽しんでいる。こんなにも喜んでもらえるなら、今この場を、ショコラで埋め尽くしてもいい。だが、それをしても嫌がりはしないだろうが、喜ぶ人でもないだろうと思いとどまった。贅沢を好む人ではない。ただ、その手にあるものを愛でるのが彼女だと思う。
「可愛いね。」
「えぇ、可愛いです。」
貴方が。と心の中で付け加えたこと、いつかぼたんに知らせる日が来るのだろうか。そんなことを考えながら、俺は目の前の花をただ愛でていた。
そして今日も、俺の部屋の窓には、たった一輪の薔薇が咲く。
たった一人の彼女の為に。
部屋の窓には、薔薇が咲く。
彼女が手に取るそのときを想って。
END

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