光の後にあるものを、俺もまだ知らない。
13 手を伸ばす 「彼女は、俺の連れなんだが。
用があるなら、俺が聞こうか。」
試合会場を出て直ぐ、その色を見つけた。視界の端に、チラっと掠った空色の髪は、よく知った色。でもそれだけではない。彼女にはまったくそぐわない奴らが二匹と一緒に居た。
「蔵馬!!!」
「てめぇ・・・浦飯チームの蔵馬!!!」
ぼたんがパッと明るい声を上げ、妖怪二人はこちらに振り返った。自己紹介は不要らしい。妖怪二匹は、図体と態度ばかりはでかいけれど、それ程の妖気も感じない。どう見ても、俺達の試合で野次の一つも飛ばしていそうな、いうなれば小物と言うやつだろう。
「けっ・・・この間は、凍矢にボコボコにされてやがった癖に。」
「まだ傷も治ってねぇようじゃねぇか。」
下卑た笑いを、無反応で返す。桑原君辺りなら、激昂していそうだなんて考えて、そんな姿を想像して、心の中で笑ってしまった。だが、そんな俺の反応が気に入らなかったのか、一匹が俺に近寄ってくる。見え隠れする凶悪な感情。引き際も知らないらしい。
「今ココで、明日出れねぇようにしてやるぜ!!」
振りあがった時点で、拳の軌道が見えた。少しだけ体をずらして、その軌道を避ける。数回繰り返せば、相手の力もわかる。どうやら俺の見解で間違いは無かったらしい。
「オラオラどうしたぁ。
かかって来いよ、人間くせぇチンケな狐がよぉ!!」
袖口から一粒の種を取り出し、指先で弾く。勢い良く飛び出したそれは、大きく開けていた妖怪の口に飛び込んでいく。
「お前達相手に妖力を使うまでも無いが。
もう少し・・・試してみるか。」
「ゲッぇっ・・・ぐぅおっ・・・なっ?
てめぇ、何しやがったぁ!!!」
「お前が今飲み込んだのは、シマネキ草の種だ。
どうなるかは・・・俺達の1回戦を見ていれば、解るはずだ。」
解りやすい反応だった。びくりと震えだした身体が、強張って動きを止めた。おそらく今この男の脳内では、一回戦で俺が戦った呂屠の死に様が思い浮かんでいるはずだ。
「俺の声に反応する。
あぁなりたくなければ・・・・。」
戦慄く口が呻き声を上げて、その震える瞳孔に殺気を叩き込む。
「去れ。」
脱兎の如くとは、正にああいう奴らのことを言うのだろ。次の瞬間には、悲鳴を上げてどこかへ行ってしまった。
奴に飲ませたのは、ただの薔薇の種だ。大体本当に、シマエキ草を植えれば、しばらくすると体に根が張って動くことも出来ないのだ。そればかりは、逃げてどうなるものでもないのだが、そんなことを考えるだけの余裕も無かったのだろう。
「ひゃぁ~さすが蔵馬。
助かったよぉ。」
振り返ると、いつものように調子の良い声がした。思わずこちらも毒気が抜けてしまう。煽てるような口調は、助けてもらって安心したからと言うよりも、俺が言わんとすることを既に察しているからかもしれない。
「余り一人歩きはしないほうがいいですよ。
俺が通りがかったから、よかったものを、何をしていたんですか?
一人で、こんなところで。」
「いや、明日の対戦相手が気になってさ。
対戦相手だけなら、私一人が確認して報告しようかと思って来たんだよ。」
そういって、軽く笑う。相変わらず無防備極まりない人だと思った。いや、きっと危険をわかっていないわけでもないのだろう。でなければ、他の人間をホテルに置いて自分ひとりで、何て考えるわけがない。
でもやっていることは、危なっかしいこと、この上ない。
この首縊島は、今妖怪の巣窟であり、力が秩序という法は、会場の外でも同じだ。自分達以外に他の誰かの助けなんて期待できない。そんなところで、身を守る術も無くココに居るのは、余りにも危険すぎる。もちろん帰ったほうが良いといったところで、それに頷くような人たちではないのは、解っている。できると言えば、注意をすることぐらいだろう。聞くかどうかはいざ知らず。
「俺が帰るまで、ホテルに居てくれれば、それぐらい教えに行きますよ。
普通の人間でも危ないんです。
人間より霊的純度の高い貴方は、妖怪達にとって狙われやすいんですから。
ちゃんと用心してください。」
「ごめんって。
それはそうとさ、身体はもう良いのかい?」
あからさまな話題変換だった。きっと反省なんてしてないだろうに。でも人好きのする笑顔でされると、騙されてあげたくなる。とりあえずは。
二人で自然と出口へとゆっくりと歩き出す。すでに先のほうに外の光が見える。
「昨日に比べればマシですね。
シマネキ草も枯れましたし、貴方に治療してもらってから傷も大分塞がりました。」
「そりゃよかった。
明日はもう、準決勝。
それに勝ったら・・・・決勝か。」
「えぇ。」
会場を出れば、空は少し曇っていた。暗雲はあと数時間もすれば、雨を落とすだろう。ますます憂鬱な気分だ。
明日勝てば、決勝の相手は、おそらくあの戸愚呂チームとになるだろう。戸愚呂チームの準決勝の相手の試合も今日見たが、レベルが違った。それは一朝一夕で埋められる差ではない。だが、それは俺達とどれほどの差があるかと考えれば、先行きはけして楽観できるない。思わず繋ぐ言葉を見失う。
「そう言えばさ。
あんた、もし優勝したら、何がほしいんだい?」
「えっ?」
「だって、この大会の優勝チームのメンバーは、一人一人にそれぞれ褒美がもらえるって。
何にするんだい。」
「そうですねぇ。」
唐突なぼたんの質問は、言われるまで余り考えていなかったことだった。欲しい物。この闘いの対価。
3回戦、凍矢と闘ったときのことを思い出す。彼らの目的は、光だと言っていた。闇の中で生きてきた彼らにとって、それは焦がれるものだったのだろう。けして楽ではないだろう闘いに身を投じることが出来るほど。
なら俺は、何の為に闘っているのだろう。俺こそ、その問いに対する答えを持っていただろうか。
昔の俺なら、きっと魔界へ帰ることを望んだだろう。母さんを慕う前の俺なら。もし母さんの病が治っていなかったら、治すことを望んだだろう。
「なんかあるだろう。」
「と言われてもね。」
期待に満ちた目がこちらを見上げてくる。苦笑いが零れて、視線から逃げるように空を仰いだ。
元々何か望みがあって、この大会に臨んだわけじゃなかった。招待を受けた時点で、拒否と敗北が死を意味していたから来ただけだった。それに、欲しい物と言われて直ぐに思い浮かぶほど、物欲があるわけでもなかった。それでも、この苦しい戦いの対価に、ただの形ある物が欲しいとは思えない。そんなものを闘いの目的だとは、苦し紛れでも言いたくない。
妖狐だった頃は、欲しい物は幾らでもあった。名を上げて国を興そうと、盗賊稼業もしていた。金銀や宝、暗号の先にあった武具なんていうものを追い求めた頃もあった。でも今はそんなものに、さして執着も無い。今思えば、なんであれほど追い求めたのかも、解らないぐらいだ。
「やっぱり思い浮かびませんね。
何より、優勝できるって決まっている訳じゃないんですから。」
出来るかどうかわからない、そんな時のことを考えられる程の余裕も無かった。次の試合に勝つことを考えるだけで精一杯だ。
でも、その一言は、失言だった。突然、両頬に目が覚めるような痛みが走った。
「馬鹿言うんじゃないよ!!
優勝するんだよ、あんた達は!!!」
痛みと同時に来たのは、驚きだった。ぼたんが怒っていた。俺より少し低い位置で、今まで見たことも無いぐらいに、眉間に皺を寄せて、俺を睨んでいる。
「絶対、優勝するの!!!
いいかい!!!」
両頬を、ぼたんの手が挟んでいる。痛みは直ぐに驚きだけを残して消え、次に訪れたのは、温い体温。それは痛みを和らげるほどの優しい温度。胸の奥が痛んだ。かわりに咽喉の奥がジリジリと焼け付くような感覚。これは、なんなのか。
「返事!!!」
「は・・・はい!!」
「よし!」
思わず返事をしてしまった。でもぼたんは、それに満足気に笑った。それはとても可愛くて。すごく、すごく可愛いて。
頬から離れる手。クルリと翻った小さな背中に、俺は咄嗟に手を伸ばそうとしていた。掴もうとして、空を切る右手がゆっくりと冷えていく。ヒラヒラと揺れる手を掴みたい。でもつかめない。それは距離ではなくて、なにか壁のような何かがあった。
しばらく彼女の後ろをついて歩く。その背中を同じ歩幅で追いかける。林を抜けて、土の道からコンクリート舗装された道に出てきた。
「雨、降りそうだねぇ。」
「そうですね。」
気持ちの入っていない返事だと思った。まだ少し頭がぼんやりとしていて、何か薬で痺れているように働かない。さっきまでの暗澹とした思いはどこに行ったのだろう。
海岸沿いを二人で歩く。確かに空気が少し時化って、風も強くなってきた。早めに戻ったほうが良い。でも、もう少しこうして二人で歩いていたい。この居心地の良い場所から離れたくない、だから。
「用があるなら、今度から俺に言ってください。
付き合いますから。」
「へっ?いや、でも・・・。」
突然戻ってしまった話題に、ぼたんが困惑しているのがわかる。でも俺も譲るつもりは無い。だって貴方に何かあったら、それは困る。こんなに居心地の良い場所を、無くすのは惜しいから。金銀や武具なんかよりも、ずっと大切にしたい。
「貴方に一人で出歩かれるよりは、ずっといいんです。
そうですね、もしそうしてくれるなら、良い物をあげますよ。」
「いい物?
なんだいそれ?」
小首を捻り、いいものを探すぼたんが、俺の顔を覗きこむ。
優勝者の願い事。それを貴方にあげても良い。この闘いの対価。それを貴方が受け取れば良い。でも今それを言えば、貴方はきっと断ってしまうでしょう。だから今は笑ってかわす。
「内緒ですよ、今はね。」
「えぇええ気になるね。
教えてくれてもいいじゃないのさ!!」
「この大会が終わったら、ですよ。
だから一人で出歩いたりしないでください。」
への字に曲がった口が少し可笑しい。焦れったそうに気を揉んでいるのに、期待に頬が緩んでいる。本当にどこまでも正直で可愛い人だ。こちらまで楽しい気分にさせてくれる。
「大会が終わったらだよ。
そしたら、絶対貰うからね!!」
「はい、必ず差し上げますよ。」
この大会が終わったら。渡すには、俺は勝たなくてはならない。でなければ優勝の対価は手に入らない。横を歩く彼女のキラキラとした目を盗み見る。凍矢の言っていた光。その意味が、なんとなくわかった気がする。
もし得られるなら、俺もそれが欲しいと思う。
それでも、その時の俺はまだ知らなかった。
光の先にあるもの。
その名を知る日が、もう直ぐそこまで来ていることを。
その時の俺は、まだ知らなかった。
END

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