何度でも
「うわぁ~まっくらだ!!
一郎君、時間解る?」
フェスは携帯を取り出すと、暗闇の中で液晶画面がはっきりと光る。
草を踏みしめる音と、少しだけ冷えた空気。
夜の静寂の中では、まどかの弾む声は、余計に目立つ。
夏の夜は、子供の心に特別な、少し早まる鼓動を与える。
普段なら、家で母親と食後の団欒をしているだろうか。
それとも、部屋で宿題をしているだろうか。
そう想えば想うほど、友達が隣にいる違う日常が、それだけで特別になる。
「9:16。
結構早く着いたな。」
「そうだね。
一郎君が飛ばしてくれたから。
ありがとう。」
「別に・・・大した距離じゃねぇしな。」
少し角ばったフェスの言葉にも、まどかは、ただ嬉しそうに微笑む。
あまりにストレートな感謝に、フェスはどうすればいいかわからず、ただ天体望遠鏡をセッティングを続けた。
「星座を探しましょう。」
星座早見表を手に、担任がそう言ったのは、先週初めのことだった。
夏休み目前最後の理科の授業。
単元は天体。
クラスの中には、数名が授業が好きな者がいるらしかったが、 あいにくフェスの興味は引けなかった。
魔族の中でも上流の流れを汲むフェスは、魔界の漆黒の闇と星の輝きを知っている。
だが、どうもお隣は違うらしいく、新しいおもちゃでも貰ったのかと見間違うほど、真新しい早見表をくるくると回している。
「夏休み中に、今から配る用紙に、星座を探して、スケッチしてみてください。
どこで、いつ、どんな星座がみれたか、先生に教えてください。」
温和な声とは裏腹に。
よほど信用されていないのか、近年の小学生。
サボり防止のためだろう。
親に証明印を貰って来ることという注意書きまで書かれている。
だが、その読みは実に正確。
特に、適当にでっち上げる予定をしていた、一郎にとっては。
一郎の思惑を崩したのは、なにも教師だけではなかった。
夏休みに入ってから、初めてまどかが、笛烈家を訪れた日のこと。
「一郎君、星座ってちゃんと見える?」
それは、酷く沈んだ表情でまどかが、フェスの顔を見た。
話を聞けば、まどかには、いくら探しても星座がちゃんと見えない・・・というのだ。
都会は明るい。
外灯の明りや家の明りがあり、部屋の窓から見た空は、よほど明るい星でなければ見えない。
それに加えて、まどかは常時眼鏡を必要な視力。
明るい夜に、星座を見つけるのも一苦労だという。
一方フェスは、光のまったくない場所であっても、困ることなど何もない。
相手の気配や魔気の流れで、解ってしまうのだ。
人間は大変だなぁ・・・と暢気に想っていたフェスは、その時、不覚にも忘れていた。
いつの間にかいた、同席者の存在を。
「そういえば、あんた天体望遠鏡持ってたじゃない。
叔父様に、誕生日プレゼントで。」
「そうだったわね。
1月で埃を被ってるアレ・・・まだあるんでしょう。」
アレは、何年前だっただろうと思い返してみる。
星を見るには不便は無いフェスでも、天体、それも月や惑星となると、さすがにそうも行かない。
そこで、誕生日の度に山ほど送られてる叔父からのプレゼントから、それを選んだことがあった。
母は1月といったが、実際は3日で飽きて、魔界の実家にはあるはずだ。
「あぁ、魔界に置いてきたけど・・・。」
「取ってらっしゃい。
今すぐ。」
「おい・・・・馬鹿姉。」
「そうね、それを使えばまどか君だって観察できるだろうし。
あんただって宿題出てるんでしょ。
一緒に仕上げてしまいなさい。
まどか君、今晩ウチに泊まれる?」
「えっ!!
はい・・・お母さん夜勤だからメールで連絡を入れれば・・・・」
「なら、問題ないわね。
今日は、マナちゃんに言ってご馳走を作ってもらいましょ!!」
「いや、母・・・・。」
「そうだ、隣町に星が綺麗なスポットっての、聞いたことあるわ。
調べてあげるから、今晩は天気もいいし・・・・」
こうなってしまえば、フェスの静止の声など、ないも同然。
まして隣から、まどかの少し申し訳なさそうな視線。
もう問答さえ許されなかった。
「見えた!!
見えたよ!!!一郎君!!!」
「はいはい。
とっととスケッチしろよ。」
「うん!!」
はしゃいだ声を抑えきれないのか。
まどかは、何度も、レンズを覗き込んでは、スケッチを続ける。
その間でさえ、歓声は止まない。
そんな姿を見てしまえば、お世辞にも素直といえないフェスでさえ、連れてきて良かったと思う。
それほど、まどかの素直さと純粋さは、魔界育ちのフェスには稀有なのだ。
いや、これは、魔界に限ったことではなく、人間界であっても同じことで。
まったく擦れることなく育っただろうことは、疑いようも無く、だからこそまどかの表情は、疑うこともできない。
疑うということは、辛い。
疑われることも、疑うことも比べる術もない程辛い。
疑うから嘘をつく。
疑われるから嘘をつく。
嘘をつけば、嘘を守らなくてはならない。
嘘を守るためには、嘘をつかなくてはならない。
そして、嘘をつくから疑い疑われる。
自分も人も。
「綺麗だねぇ。
星ってこんなに明るいんだ。」
感激しきった声だ。
レンズを覗き込んで、星に夢中のまどかの後ろ。
フェスは、星を見ることなく、まどかの後姿を眺めていた。
その頬が緩んでいることは、まどかは知らない。
「これが、こと座で、一番明るいのが一等星ベガ。
書けたら、ちょっと離れろ。」
フェスは、一度まどかを望遠鏡から離し、経緯台を調節しては、レンズで位置を確認する。
そして、最後にしっかりとネジを締めた。
「覗いてみろ。」
「うん。」
言われ、まどかがレンズを覗き込む。
そこには、ベガより心持ち小さいと思わせる星が最初に見えた。
「それが、はくちょう座のデネブ。
見えるか?」
「うん、綺麗に見えてるよ。
これ、授業でやったやつだよね。」
「あぁ、夏の大三角形。
一番見えやすいからな。
ついでにわし座も見るか。」
「うん。」
フェスは、もう一度経緯台を調節する。
その姿を、まどかは、ワクワクしながら眺めていた。
自分に、何かを見せようとしてくれている。
あの、フェスが。
できるだけ、人を避けるフェスが・・・自分に。
それだけで、まどかにとっては、嬉しくてたまらないことだった。
嬉しくて、うっかりと自惚れてしまいそうなほど。
(友達に近づけたかな?)
そんなこともまた、まどかの声を弾ませていることを、フェスは知らない。
「ほら。」
呼ばれてまどかは、もう一度レンズを覗く。
「わし座のアルタイル。」
「先生の言ってた、彦星の・・・だよね。」
「ベガが織姫な。」
思い出して、まどかは、今度は何も使うことなく夜空を眺める。
やはり見えるのは、一等星のベガぐらいなもので、うまく線が結べない。
だが、まどかはまっすぐ前に手を伸ばした。
その様子をいぶかしんだのか。
フェスが、まどかの顔を覗き込んだ。
「どうした?」
「いや・・・織姫様と彦星様、ここから見たらこんなに近いのに。
会えないの・・・辛いだろうなぁって・・・・。」
思わず、フェスは返答に窮した。
思い起こせば、まどかはサンタクロースを信じていた。
ならば、同じように七夕の物語を、そのまま信じていてもおかしくは無い。
いや、一般的な基準を言えばおかしいかもしれないが、十分にありえる想定範囲内のことだ。
「そ・・・そうだな。」
「僕だったら、凄く辛い。
会いたいのに、会えないなんて、きっと凄くさびしいよ。
仲が良かった頃のこと、考えたら余計に会いたいって思うよね。」
自分のことではないのに。
まどかの言葉に、フェスは、酷く胸がつままれるような心地がした。
おそらく、自分達の世界が大きく違うことを、まどかよりフェスの方が、ずっと重く知っているから。
いつかは、世界の違いが、別れを連れて来るのではないかと、フェスは心の片隅に置いていた。
だが、それでもいいと思っていた。
少し前までは、それでいいと。
離れても、別に何も問題なんてないと・・・。
なのに、今確かに、フェスの胸が痛んだ。
「・・・だったら。
僕だったら・・・そんの嫌だ。」
クソ真面目で、いつも自分の後ろをついてきて。
厄介な扉を抱えて、面倒ごとばかり持ち込んできたまどかが。
「もし、今一郎君と会えなくなったら、凄く辛い。
そんなのやだよ。 」
フェスが、自身を偽れないほど、必要としていた。
「まどか・・・・。」
だがフェスも、それ以上の言葉が、出ない。
何を言えばいいのか、問われたわけでもないのに・・・・。
そんなことはないと、言ってやれそうにもない。
でも、 意地を張るには、もう手遅れだった。
フェスは、もう嘘をつくことのない、偽ることのない。
そんな居場所の心地よさを、知ってしまった。
そして 、まどかもこれ以上になにを言えばいいのか、戸惑っていた。
フェス が言葉に困っていることを解っていても、どうつなげていいかわからない。
思いつくままに言ってしまった言葉だが、それだけに、自分本位の感情だと我にかえった。
数秒だったか、数分だったか解らない。
だが、とてつもなく長く感じられた沈黙だった。
「観察、終わったなら片付けるぞ。 」
「あっ、う・・・・うん。」
そう言って、なんとか、会話を無かったことにすると、一郎は一人、望遠鏡を片付けはじめた。
まどかも言われたとおり、シートの上を片付ける。
中途半端に終わってしまった会話が、気まずく、蝉と葉の音、片付ける物音だけが、やけに響いた。
楽しかった空気が、まるで風船が萎んでしまったかのように、消えてしまった。
まどかは、申し訳なくて仕方が無かった。
自分の不用意な言葉で、フェスを困らせた。
(一郎君にとって、僕は友達じゃないのに・・・・。
あんなこと言ったら、一郎君が困るに決まってるのに・・・。 )
自分の言葉に嘘は無いが、だからと言って、同じ問いをフェスに投げていいとも思えない。
フェスの優しい一面を知っているからこそ、困らせるような言葉を言った、自分をまどかは恥じた。
背中越しに感じるフェスの気配に、まどかは少しおびえていた。
(怒ってるかな・・・・。
怒ってるよね・・・。
せっかく、こんなところまで連れてきてくれたのに・・・・。 )
だが、まどかが、口を開こうとするより先に、フェスの声がした。
「ほうき・・・けっこう速いだろ。」
「へっ?」
あまりに脈絡ないフェスの言葉に、思わずまどかは、間の抜けた声しか出なかった。
思わず振り返るが、フェスは望遠鏡を片付ける手を休めてはいなかった。
「だから、今日乗ってきたほうき。
速いこと、ここついただろう。」
「あぁ・・・うん。
そうだね」
何が言いたいのかは、はっきりとわからなかった。
ただ、フェスが少しだけ視線をそらして、ぶっきらぼうだが、怒っているという声ではない。
少しだけ、まどかもわかるようになった。
これは、フェスが何かを伝えようと、必死になっているときだ。
「重さとか、そういうのにもよるけど。
まぁ、俺一人なら翼の方が楽だし、短い距離なら疲れないから。」
「うん。」
「だから、別に離れたって、結構簡単に会いにいける・・・と思うけど。」
何が言いたいのか、フェスは、自分でも解らなくなりそうだった。
ただ、伝えたいことは、はっきりしていて。
まごつく口を。
勝手に熱く頬を、落ち着かない鼓動を。
素直になれない自分の全てが、フェスには呪わしい。
ただ、会わなくても平気だ・・・なんて嘘はもうつけなくて。
それでも、素直にはなれなくて、不器用だけれど。
伝えたいことだけが、はっきりしていた。
「だから、別に会いたいって思うなら、会えるだろう。
車でも飛行機でも、ほうきでも何でも使えば、会えるだろう。」
「・・・・一郎君。」
気を抜けば、まどかの視線は、揺らいでしまいそうだった。
あまりに普段のフェスからは、聞けない言葉で、それは、受け止めるには大きくて。
痛くて嬉しくて何ともいえない。
「お前が、会いたいって思うなら・・・」
「思うよ!!
絶対思う!!!
一郎君が思わなくて、僕は絶対一郎君に会いたい!!!」
「わかった!!
わかったから!!」
力強くうなずき、力説するまどかを、一郎が制する。
なにか、凄く喜んでいるらしいまどかの勢いに、押されてしまう。
「終わったか。」
「うん。」
確かな言葉ではなかった。
「なら帰るぞ。」
差し出された手を、まどかが両手で握る。
少しフェスが驚いた表情を見せたが、すぐに顔を背けて歩き出した。
フェスの言葉は、絶対も必ずもなかった。
あやふやで不確かな方法だったが…。
それでも
(手を差し出してくれた。)
フェスから。
それだけで、まどかの中にいた不安がかすんでいく。
フェスの手は大きく、暖かかった。
(織姫様と彦星様が、僕の願いごと、聞いてくれてた。)
そう、夜空に感謝しつつ、夏の夜は深まっていった。