それは、一生の不覚。
break「大体、お前みたいな奴が、捜査一課に配属されたこと自体、おかしいんだよ。」
もう叱責ではなく、ただの僻みじゃないのか。目の前の男にそう言ってやりたいのを、グッと堪える。
言うな、言えばもっと長くなる。そう頭の中で念じても、三課は静かで、男の声がやけに響いた。人がいないわけではなく、男の声に遠慮しているだけだ。なので、パソコンがカタカタと音を立てるぐらいしか物音もしない。
「お前のような若い奴には、解らんだろうがな。」
「本当にすみませんでした。」
その気持ちは本当だった。そういう気持ちもあったのだ、20分ほど前までは。あまりにもねちっこい説教に、さすがにこっちも反省を通り越して、腹が立ってきた。
三課から一課に回ってきた資料に足りないものがあった。そう思って指摘したのが始まりだった。急ぎの物だったので、笹塚先輩に渡す前にと、三課に来て抜けていた資料をほしいと言った所、その資料は三課からではなくて、鑑識から渡る手はずになっており、こちらの連絡ミスだったことがわかった。もちろん謝ったのだが、私の言い方が気に入らなかったのか、既に説教は伝達ミスではなくて、私がいかに生意気で口の聞き方を知らない女だということに変ってきている。
「まったく・・・口の聞き方もしらんような奴が一課だなんてなぁ。」
これ見よがしに大きな声で言う。私を馬鹿にしたいだけなのは、ここにいる他の人間もわかっているらしい。目配せする視線は、どちらかといえば、私に同情的に思えた。誰に対してもこうなんだろう。相手の非をネチネチと説教する人間は、どこにでも居る。
吐きたいため息を飲み飲み込むのも、何度目だろう。一課にもそういう男が一人居る。それも隣の席で、同じチームを組んでいる。あの男の顔を思い出すだけで、怒りがさらに膨らみそうだった。
「もうちょっと目上に対しての言い方に気を使え。
偉そうに言いやがって。」
「申し訳有りませんでした。
以後気をつけます。」
また頭を下げる。もう少しもう少し我慢。そう言い聞かせていたときだった。ドアがガチャリと開き、今最も聴きたくない声がした。
「ぉおい、とど・・・ろき?」
思わず頭を下げたまま固まった。間の抜けた声は、場違いで緊張感の欠片もない。一斉に三課の人間が声の主を見たのが解った。張り詰めていた空気が、一気に抜けていく。まるでパンパンに膨れ上がった風船に小さな穴が開いて、空気がもれるように。
「なんだ君は。」
こちらに寄ってきた石垣さんが私の隣に立つ。男は石垣さんをじろじろと不審げに見る。石垣さんも自分より若いが一課の人間だ。また同じことを言い出すのかもしれない。
「あっ、すみません。
捜査一課の石垣といいます。
等々力がこちらに来てるって聴いたもので。
何やってんだよ、笛吹警視が呼んでたぞ。」
「笛吹警視が・・・ですか?」
「あぁ、捜査のことで大至急聞きたいことがあるって。
で、すみません篝さん。
コイツまた何かやったんですか?」
「そうだ。
渡した資料に不備があったと、因縁をつけに来たんだよ。
そっちの伝達ミスだっていうのに。」
チラリと向けられた視線が痛い。怒りだったものが、次第に暗澹とした気持ちに変る。石垣さんのことだから、きっと、この男のように、得意げに散々言われるだろう。(俺がいつも言っていることだろう)とか、(お前が先輩と組むのは、まだ早い)だとか。だけど次にきたのは、小さなため息。
「だから言ってるだろう。
もうちょっと口の聞き方に気をつけろって。
篝さん、すみませんでした。
コイツ前から生意気で、俺も手を焼いてたんですよ。
叱って下さって、ありがとうございました。
ほら、謝れよ。」
今度は加減もせずに、頭をつかまれて頭を下げさせられる。首が痛い。けれど、それを言える状況でもなく、済みませんでしたと言うしかなかった。でも、チラリと横を見ると、自分と一緒に石垣さんが頭を下げていた。それを見ると、痛みがスッと消えてしまった。
「まぁ、君からもまた注意しておくようにな。」
「はい、解りました。
笹塚さんにも伝えておきます。」
「・・・もういい。
笛吹警視も呼んでいるんだろう。
早く行け。」
「はい、ご迷惑おかけしました。
ほら、行くぞ。」
そういって、私の背中をぐいぐいと押してくる。チラリと後ろを見ると、クスリと笑うほかの捜査員の顔が見えて、思わず首を傾げた。そして男の苦々しいような顔も。でもそれを確認するようなタイミングがあるわけもなく、私たちは三課を出て行った。
ゆっくりと扉が閉まると、思わずため息が出てきた。そして気まずいような空気も。元々、私だけのミスではないけれど、結果的に石垣さんは、頭を下げてくれたのだから、やっぱり謝罪するべきだ。例えそれが、普段喧嘩していて、だらしのない先輩であっても、それは礼儀であって常識だ。
人の通りの多い廊下だったけれど、あとになって一課で言うよりは、ずっとマシだと思い、私は前を歩いていた石垣さんに、声をかけた。
「あの・・・済みませんでした。
私の所為で、石垣さんにまで迷惑をかけてしまって。」
上手く声が出ない。意地が咽喉に張り付いて、言いにくいこと、この上ない。きっと馬鹿にされるんだと思うといいたくない気持ちもあったけれど、やっぱり悪いのは私なんだから。
なのに足を止め、振り返った石垣さんに、いつものような偉そうな視線は無かった。それはさっき私を叱ったときのものと似ていた。
「お前さぁ・・・・。
もうちょっとその世渡りベタ、なんとかしたほうがいいぞ。」
その言葉に、頭が鈍く痛んだ。それは侮辱だからではなく、自分でも解っていたことだからこそ、ショックだった。
こんなことは、今までも何度もあった。悪いこと、ずるいことを見逃せずそれを追求して、言われない批難を浴びることや、レッテルを貼られること、嫌われることもあった。教師や友達に苦笑いをされる。でもそれが直すことも出来ず、直す気もなく、だからこそ警察官になった。正しいことを、誰に恥じることもなく出来ると思ったからこそ。
でも、やっぱり警察官の中にも正しいことを悪く言う人や、悪いことをする人間、そして彼のようにサボり魔のズルイ人間も居る。そんなジレンマは、ずっと私の中にあって、私が憧れている笹塚先輩にもそういうのだと指摘されて、解っていた。解っているつもりでしかなかったけど。
でも。
「わっ・・・解ってます、自分でも。」
悔しさとジレンマを、私は怒りにしか変えられなかった。他人から見れば逆切れだといわれてもおかしくない。それでもこれ以上話していたくなくて、私は足早に石垣さんの前を行こうとすると、不意に腕をつかまれた。
「ちょっと来い。」
そのままぐいぐいと私の腕を引いていく。咄嗟に振りほどこうとしたけれど、思ったより強い力に完全に私は体勢を崩して引きずられてしまった。当たり前のことで、石垣さんだって刑事で、逮捕術を習得していているのだから、そうやすやすと放すわけもなく、私は人も居ない会議室に連れ込まれた。
そのまま繋がれたままかと思った手は、部屋に入るとあっさりと放されて、逆にこっちが戸惑う。出ようと思えば出て行ける。でも今、部屋を出るのはまるで、逃げるようでいやだ。どうしてこの男相手に逃げないといけないのか。
「何ですか。」
「・・・・・お前がわかってないからだよ。」
カッとなったのは、きっとこの男が相手だからだ。普段へらへらとふざけてばっかりいるくせに、こんなときばかり偉そうに言われるのが我慢ならなかった。
「解ってますって。
多少の間違いは見逃せってことでしょう。
大体今回のことだって、一課の人が資料が鑑識から来るって、伝えてくれてれば別に、こんなことにはならなかったんですから。
それをあの篝って人も、石垣さんもネチネチと!!!」
八つ当たりだという自覚はあるけれど、止まらなかった。後姿に思いっ切り怒鳴りつけた。
なんでこれほど自分ばかり責められることが悔しくて堪らない。それも石垣さんからだと思うと、はらわたが煮えくり返りそうだ。こんなのはおかしい。いつもと違う。
思いっきり睨みつけている私と、そしていつも冷静に自分を諌める石垣さん。だってこれではいつもと逆じゃないか。
そう、私は唐突に気付いた。今の私はまるでいつもの石垣さんのようだ。ちょっとしたことで反抗して、子供のように怒って、癇癪を起こしている。そんな彼を私はそう思ってみていた。そして、今の彼も私をそう思っているのだろうかもしれない。
気付くと途端に怒りがスッと消えて、もう石垣さんの前だからとかどうでも良くなった。早く立ち去って、いつもの自分に戻りたい、こんな醜態を忘れたかった。
「すみません、言い過ぎました。
あの、笛吹警視、待っているんですよね。
早く行かないと・・・・。」
もうめちゃくちゃだ。自分のために頭を下げさせて、自分を叱責しようとしている先輩の前から逃げ出すなんて、どうしようもない。でも今の私にはそこまで考えるだけの余裕も無かった。
それでも何も言わない石垣さんに、私は痺れを切らして扉に向かおうとした。
「だからお前、やっぱりわかってないんだって。」
腕を一瞬だけつかまれて、そのまま私の額をコツリと叩いた。ゲンコツなんて大袈裟なものではない、軽く触れるぐらいの衝撃。顔を上げると笑っている石垣さんが、私よりほんの少しだけ高い位置から見ていたその顔を、思わずぽかんと見上げる。
「笛吹警視が待っているなんて嘘に決まってるだろう。」
「へっ!?」
我ながら間の抜けた声だとは思うけど、零れてしまう。だって呼んでいるというから、来たのではないのか?
「お前中々帰ってこねぇし、入った瞬間三課は空気おかしいし、お前頭下げてるし。
まぁ笹塚先輩は待ってるから、探してただけなんだけど。
用事も別に急ぎじゃなくて、単にシフトの相談だし。
でも、警視が呼んでるって言えば、説教は終わるだろうって思ってな。
自分より上の人間の名前出されたら、まぁ大体は引くわな。」
「そんな!!
警視を口実に!!!」
「でも、あのタイプは一回愚痴言い出すと長いんだぞ。
お前、それに全部付き合っているつもりだったのかよ。
大体お前みたいなタイプが、何言ってもきかねぇぞあの人。」
そういわれて確かにと思う。実際、あの叱責は既に嫌味に変っていたし、自分ももう後数分も耐えられなかったかもしれない。
「男尊女卑だぁ~ってお前は言いたいかもしれないけどな。
まぁそういうのがいるってのも事実なんだから、上手い具合に交わしていったほうが楽だって。」
そういってケラケラと篝さんを笑う石垣さんを見て、なんとなく”わかっていない”という彼の言葉の意味を私はやっと悟った。石垣さんと私で違ったのは、ただ男だとか女だとか、そんなことだけじゃない。
私たちは私服で仕事をしていて、もちろんネームプレートをつけているわけでもない。それでも名乗りもしない人の名前を呼んだのだ。つまりあの三課の篝さんの名前を、石垣さんは知っていたのだ。名乗りもしない人のことを、知っていた。偶々かもしれない。
警視庁の人間は多く、一課の人間だけでも、とても覚えきれないほどの人がいる。覚えきれないことは、けして悪いことではない。だからきっと篝さんを知っていたのは偶然だ。でもそれだけではない、きっと。
彼は、休憩中やそれ以外の時でも、いろんな人と話をしている。それは一課に関わらず他の部署。時には鑑識の所員や、事務員とだって話し込んでいることがある。きっとそんな中で、あの篝さんのことも知っていたんだろう。もちろん警視庁の全ての人を知っているわけではないだろうけれど。それでも、きっとそれはただの偶然じゃない。
それは私の持っていないものだ。
「でもまぁ、ただ真正面から突っ切るだけが、やり方じゃねぇだろ。」
もしかしたら、三課で尋ねたとき、本当に私の言い方が悪かったのも知れない。心のどこかで、向こうが悪いと決め付けて、そう言うイライラした気持ちが声に出ていたのかもしれない。
昔、友達にも言われた。私には、普段からどこか余裕が無いって。張り詰めた糸のだと言われた。
油断しないように、失敗しないようにと神経を張り巡らしているのは、自分でもどこかで気付いていた。だから石垣さんのように、ふざけているばかりの人がいるのが許せなかった。
でも、誰が余裕のない私に、心を許してくれるだろう。気安く接してくれるだろう。もっと肩の力を抜いて、そして。
「そう。
できんじゃん。」
心から笑うことも必要だったんだ。
「じゃあ、戻るぞ。
先輩待ってるしな。
とっとと、ちょこパの塗装仕上げちまうか!!!」
「駄目ですよ!!!
先に昨日の報告書先に仕上げてください!!!」
さっと翻った後姿に咄嗟に言ってから、私はしまったと口を塞いだ。さっき言われたばっかりのことなのに。また解ってないと言われるかと思ったのに、零れたのは噴出した笑い声。それは子供っぽいなと思った。
「待ってろちょこパ~!!!」
浮かれたような声で、サッとドアを開けて一人で駆けて行った。一人ポツンと残された私は、呆然としてしまって。なんだかキツネにつままれたような気持ちだ。まんまと騙されてしまったのかもしれない。
でも、今日は騙されていよう。きっと石垣さんの作っているフィギアは、笹塚さんが壊してしまうんだから任せておこう。そうしてそんな姿を、笑っていたい。
そんな気分だった。

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