信頼に足るいい男だ。その冷静さと非情さは闘いに生きる男にとっては、何よりもの武器になる。そういう意味では、自分の後継である幽助よりも、よほどバランスの良い戦士と言っていい。そんな男も、惚れた女の前では、ただの男になるものだ。
22 ラインを辿るずずっとお茶を啜ると、口の中に渋みが広がった。目の前で正座を崩すことなく座る蔵馬は、いつものように温和な笑みを浮かべていた。
「いい子だよ、あの子は。
お前さん、中々見る目あるね。」
名を言わないのは、この男の表情をちょいと崩してやりたくてだったのだが、それはどうやら失敗したらしい。少しばかり眉を寄せるだけで、直ぐに嬉しそうに笑いやがった。
「お褒めに預かり光栄です。」
照れるでもなく、まるであぁやっぱりとでも言い出しそうな様子。喰えない奴だ。幽助辺りであれば、もっと面白い反応も見れただろうに。
名前の上がらない娘は、ついさっきまでここにいた。特訓中の6人の様子を見に来たコエンマ。その後を追ってきたぼたんは、仕事があるのだと言って、少し話しをして、コエンマと二人で帰っていった。
アレやコレやと6人の怪我をお得意の心霊医術で治し、蔵馬と私には、くれぐれも体に気をつけるようにと言って、少し前にはココを出て行った。
「まったく、長生きするもんだね。
お前さんのあんなに緩んだ顔を、見るようになるとは・・・。」
「すみません。
会えるのも、久しぶりだったもので。」
「おや、そうなのかい?
お前さんも今はこっちに居るんだ。
会いたければ、幾らでも会えるだろう。」
思えば、ぼたんが来たとき、アレは久しぶりだと言っていた。一瞬、ぼたんの方が仕事が忙しいのかとも思ったが、蔵馬は口に少しだけ笑みをのせ、私から視線をそらした。言いたくない、もしくは言うわけにはいけない事情と言う奴だろう。
「今は、軽率な行動を取るわけには、行きませんから。」
「・・・・なるほどな。」
下手に心を晒せば、危険に巻き込みかねないといったところだろう。頭の回るこの男だから、コエンマ辺りにも手を回して、自分と距離を取らせているなんて小細工だってやってのけるだろう。
しかしそれも切ないものだと思う。幾ら妖怪の寿命が長かろうと、恋情なんてものは、理屈ではない。いや、理屈や小手先でどうなるものでないからこその想い。それは、私がずっと昔に置いてきた物でもあった。
「でも、今日は本当に来て良かった。
偶然とは言え、会えて嬉しかったから。」
「そいつは、良かった。
お前さんの恋路の役に立つのなら、私は幾らでも手を貸してやるよ。」
「心強い言葉、ありがとうございます。」
笑顔とも苦笑いとも言えない表情を浮かべて、蔵馬はお茶を啜った。手に持った湯のみの熱がじんわりと、体に移っていく。冬も厳しくなってきた。
山の中で生活していると、四季の移ろいだけが、時間の経過を教えてくれる。もう後何度こうして四季を味わうことが出来るか解らない。一度死に、他人の願いで生き返った自分だ。それほど多く時間が残っているとは思わなかった。それを惜しむつもりはない。もはや幽助は私の手を必要とすることはなくなり、あの男の願いは叶っただろう。悔しいもんだ。結局、私はアイツには最後の最後まで、勝てなかったんだな。
「一つ、いいかい。
お節介。」
「はい。」
「使い古された、決まりきった文句だがね。
”待っているだけじゃ、惚れた女は手に入らない。”」
蔵馬の顔からスッと笑みが消え、瞳に戸惑いが揺れる。私はそれを笑って許した。ひんやりとした空気が、鼻につく。乾く目を瞼で覆えば、幾らでも昔のことは頭をよぎる。麗しい思い出って奴は、いくら色あせたって、消えたりはしないものだ。
妖怪へと姿を変えたあの男をみたとき、私の中の想いは止まってしまった。心は死ぬことさえ出来ずにただ止まったのだ。それはある意味、死よりも残酷なものだった。頑固で馬鹿で、アレの頭の中は、闘いだけ。解っていたのに、死ねない心は勝手に凍てついて、解けることもなく50年と言う月日だけが流れていった。
それでもやっぱり、私は待っていたんだろう。そうせずには居られなかった。いつかあの男が悟ってくれることを。ずっとずっと待ち続けた。その想いは理屈ではない。後悔さえ出来ないなんて。
「半世紀待った私が言うんだ。
そうそう的外れでもないだろうよ。」
この男まで、私の二の舞はさせたくはないなと思った。頭がいいだけに、損ばかりしてしまう器用貧乏な奴だ。
そして惚れた女は、可愛い良い娘だ。おっちょこちょいで、単純で、無鉄砲なところはあるが。それでもそれを補って余りある良さがある。素直で明るく、情に厚い。いざとなれば、仲間のために無茶も出来る度胸を持っている。そして何より、私の死を泣いてくれた。
霊界案内人と言う、死の立会いを生業としているというのに。私の死を泣いたのだ。ボロボロと涙をこぼして、”どうして、なんで””酷い酷い”と繰り返して、私にオイオイ泣き縋った。閻魔帳を預かって、私の過去など知っているだろうに。待ち続けた馬鹿な女を想って、泣いてくれた。私の分まで。
優しい良い娘だ。だからどうか、誰かが守ってやってくれないかと、想ってはいたんだ。それがこの男だって言うなら、何の不足もない。願ってもないことだ。
「まぁ、この一件が片がつけば、早急にどうにかしておきな。
早いに越したことはないよ。」
「・・・・はい。
ご助言ありがとうございます。」
ご丁寧に頭までさげて礼を言う蔵馬を、頼もしく想う。きっとコイツなら、ぼたんの間の抜けた所も、上手い具合にフォローしてくれるだろう。そしてぼたんなら、先のことばかり考えてしまい疲れたこいつの心を、癒やしてくれることだろう。
苦労もする。困ることもある。悲しいことも山のようにあった。それでもやっぱりいいものだ。誰かを想うということは。
嬉しいものなのだ、本当に。
「せっかく来たんだ。
泊まって飯でも食べてお行き。
私の酒にでも、付き合ってくれると嬉しいんだがね。
酒呑み相手が酎ばっかりだと、疲れるんだ。
たまにゃ、静かに飲みたくってさ。」
「俺で、よろしければ。」
私は立ち上がり、廊下へ向う。そろそろ晩御飯の拵えをしているだろう雪菜に、一人増えることを伝えておかなくてはいけない。大飯喰らいのあの六人も、もう2時間もすれば戻ってくる。
襖を開けると、雪が降っていた。今年初めて見る雪だ。なんて綺麗で静かだろう。こんなにも穏やかに、自分の人生を終えることが出来るとは想ってもいなかった。闘いに死ぬのだとばかり思っていたのに。それでいい、そう出来ればいいと思っていたはずだった。アイツとなら、それでも構わなかったのに。
振り返ると、蔵馬が私を見ていた。いい目だ。だからどうか、幸せになりな。手放しちゃいけない。例えそれが相手のためだって言っても。時には我侭も言うのも良いさ。まして仲間ならきっと分かり合えるだろう。例えそれが、どんな結果になったとしても。
「蔵馬・・・頼んだよ。」
「はい。」
私は、廊下に出て台所へと向う。雪が落ちる微かな音がする。アイツと闘いに死ぬ人生を望んでいた。でもそうはならなかった。もう叶わない。何度生まれ変わろうと。
でもこんな終わりも、悪くはないだろう。良い酒が呑めそうな、そんな気がした。
END

PR